「んーっ」
よく寝た、この四文字に尽きる。こんなに熟睡して爆睡したのはいつ振りだろう。
ぐーっと伸びをして振り返る。枕元にあるデジタル時計は五時を表示していた。
──朝の五時? あれ、昨日。何してたっけ……。
まだ開ききらない目を擦って無心から脳を働かせる。
何時間前か何十時間前か、頭をフル回転させて遡った。確か喜助さんと帰って来て、話していて、バレかけて怖くなって。でも優しい声で諭されて──。じわじわと浸透する記憶に目を見開いた。
──わ、私、泣いてた。しかも、号泣くらいに。そのあとは……覚えてない……。
うわあ、と顔全体を両手で覆う。続けてやってしまったと後悔の嵐が心の中で吹き荒れた。
もう弱味は見せないと決心していたのに、なんて情けないのか。起きて早々、蒼ざめて項垂れる。
──どうしよう。怖いし、気まずい。
喜助は家に居るのか帰ったのか。わからぬまま今後のことを考えた。が、居ないにしても浦原商店に帰る他、選択肢が浮かばなかった。関係を断ち切ることも選択に置いたが、内部に虚がいるうちは現実的ではない。それは最終手段として取っておこうと頭の片隅にしまうことにした。
ああ、と自分の行いに落ち込みながらも、意識は上々、気分爽快。
日頃の睡眠不足も解消され、久々に快調を感じた。……待て待て。最後の記憶が夕刻近くだとしたら、確実に十二時間は寝ているじゃないか。そりゃ気分爽快だわ、と一人で納得した。
すると、ふわりとリビングからいい匂いが。お出汁にお魚の馨りと、トントンという包丁の音。
──え、まさか。喜助さん……? いるの。
まるで実家にいる時のように懐かしいそれは、体を布団から引っ張り出すには十分だった。
そっと扉を開けると、キッチンには喜助が立っている。
扉の音に気づいた彼は、おたまを持って振り返った。
「おはよっス、ゆかサン。どうっスか? 気分は」
彼の調子はいつもと変わらない。だが弾けるような笑みは朝だからだろうか。
おたまのお陰もあってか胡散臭さが抜けて、不釣り合いなその爽やかさが眩しいとさえ感じる。
「おはようございます」と喜助の方へ駆け寄った。
「浦原さん、昨日は、えっと……すみませんでした。たくさん寝てしまったようで、お恥ずかしい限りです……。でも、お陰様で体調は万全です」
気恥ずかしさと気まずさを交えながら、ぺこり、と御礼をする。
昨日の会話については出さなかった。聞きたかったら向こうから問うだろうと。
すると喜助はまるで気にしてないという態度でこちらを見下ろした。
「やっと安眠できたようで安心したっスよ。あ、勝手に台所をお借りしてますって、見ればわかりますかね。もうすぐ出来上がりっス」
喜助は「色々勝手に使っちゃってスミマセン」と添えながら、お椀に味噌汁を注いだ。
「いえっ、そんな全然。むしろ作らせてしまって……って、浦原さんお料理するんですね。いい香りがして起きちゃいました」
「普段は任せっきりですけど見よう見まねで。男の独り暮らしは長いっスから、味はわかりませんがひと通りは」
頭を掻いた喜助は、眉尻を下げて笑う。
「独り暮らしじゃないですよ、みんないて。私お皿並べますね。手伝えることはありますか?」
喜助は「いえ、ソファで座っていて下さい」と、二つのお椀をテーブルへ運んでいく。
ゆかはほっとした。昨日のことにあえて触れないのはきっと彼なりの優しさなのだろう、と。
この空気を崩さないために、話題に出さないよう心がけた。
──『……いいんです、今は』
昨日、最後に交わした彼の言葉が頭の中でこだまする。今だけは、許してもらえるのだろうか。
もちろん前の世界かったことにしないし、したくない。あの場所でこの世界を知ったのだから。
ただ、この狭間の感情を一旦どこかへ置いてしまえば気が楽になるのもまた事実。
──ここが異世界だなんて今は忘れていたい。
放念するようにソファに腰掛ける。心地良い朝へ気分を切り替えようとテレビをつけた。
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