こうして喜助に連れられ、何事もなくマンションに辿り着いた。
 当初目的とした御守り探索は帰りに、と一旦諦めることにして敷地内へと入っていく。
 咄嗟に近所の目について口走ったが、正直なところ、隣に住んでいる奥様には出会いませんようにと願っていた。見られたくはないというか、変な勘違いされても説明しようがないので困る。

「散歩じゃなくて、本当は家に戻りたかったんスよね?」
「……はい」

 それをわかっていて、家までも知っている。名前を知っていた理由も聞いていない。今更確認しても変かなあと疑念が小さく渦巻く。きっと「黒崎サンから聞いた」と言うに決まっているが、正式な自己紹介もしないままだとやっぱり気になる。
 すると喜助はオートロックの扉の前で立ち止まり、一歩下がった。そのタイミングで、裾を掴んでいた右手が離れ、冷たい空気を感じた。消えた手の熱は、指先に寂しさを運ぶ。

「あれ、来ないんですか?」

 ここまで来てしまったら、てっきり部屋まで来るかと思ってしまったのだが。そう感じた自分は変だろうか。荷物をまとめるだけだし、居ても邪魔ではない。

「こちらで待ってますから、どうぞ」

 改めてこの人は掴めない人だなと思うと同時に、ゆかは静かに息を漏らして、告げた。

「こんな寒空の下、裸足で下駄を履いている方を待たせるなんてできません。お茶くらい出すので、上がってって下さい」

 こうでも言わないと彼は来ないのだろう。一週間も同じ屋根の下で暮らさせておいて、今更、女の家に上がれないっスよ、なんて考えてるんじゃないだろうな、そんなことを秘めていた。

「そんじゃ、お言葉に甘えてー」

 語尾に音符が見えた。実に軽やかで嬉しそうだ。承諾することを知っていたかのように、喜助はすぐさまこちらへ近寄って来た。こちらが秘めていたことは微塵も考えてなかったらしい。

「待ってますなんて、思ってないじゃないですか」
「そうっスけど、一応、アタシも男なんで」

 妙に胸をどきりとさせた。
 いつもより少し低音だったからか、男女の線引きをさせられたようで、変に意識してしまった。

「……女を住まわせて、今更言いますかね」

 苦笑で返す。ああ可愛くない返事、自分ではわかっている。もっとこう頬を赤らめて煌めいて、何か可愛いことが言えたら良かったのだろう。いやそんな関係性は必要ないし、それこそ変な勘違いが生まれる。ゆかは乱されたペースを落ち着かせた。
 扉を抜けたら部屋のある三階まで階段で向かう。
 家に向かうだけなのに久々に階段を使って、はあはあともう息が上がってしまった。半階ずつ上がっては、踊り場で休憩をする。横から喜助がゆかの様子を心配そうに窺った。

「体力はまだ回復してないようっスね。……よっ、と」

 見兼ねた喜助はゆかをひょいっと肩へ担いだ。

「わわっ、ちょっ! きっ、うう浦原さん!」

 急な行動にうっかり『喜助さん』と呼びそうになった。喜助の肩で自分の上半身が乗りだし、腰には手が回っている。喜助の背中をばんばんと軽く叩いて抵抗の意思表示を試みた。

「何してるんですかっ、お、降ろして……!!」
「はーい、一階もまともに上がれないヒトは、黙って担がれて下さいねぇー」
「あがれます! ほら、駅の階段で疲れちゃうようなもんですって、だから」

 ああだこうだ言っているうちに三階までついてしまった。
 誰にもすれ違わなかったことが唯一の幸いか。

「部屋はあっちっスよね?」

 人の訴えを無視した喜助が淡々と確認する。小さく肯くゆかを見ると、廊下にカランコロンと音を響かせた。はい着きました、と彼の肩から降ろされると、囁くように御礼を言った。それを聞いた喜助は、いえいえ、と笑む。不穏な空気を変えるべく、ゆかは急いで開錠して中へ入っていく。 
 玄関で待たせた喜助に、慌てて言い放った。

「えっと、ちょっとだけ待っててもらえます? 呼んだら上がって下さい」

 マンションの下で変に男女を認識させられたゆかは、階段での出来事もあり先ほどまでの余裕が薄れていった。念のため部屋を確認しないと、安心できない。
 ささっと散らばったものを棚に押しこむ。片付けたとは言わない。
 世界を移行したせいで、向こうで保持していた小説や漫画はもちろん存在しない。

 ──流れで誘ったとは言え、喜助さんが家に上がるとは。……本がなくて良かった。

 お湯を沸かし、お茶の支度をする。
 彼を呼びに玄関に戻ろうとリビング扉を開けると、廊下にはすでに喜助が。

「あ、待っててって言ったじゃないですか」
「スミマセン、待ちきれませんでした」

 へらへらと言う喜助に呆れつつも、ソファへ案内した。喜助の子供のような行動は珍しかったが、客人を立って待たせる自分に非があるなと得心した。

「今、お茶出しますね」

 ソファの後ろのキッチン。茶葉を取り出そうと、位置が高めの戸棚に手をかける。
 日本茶の茶葉缶なんて滅多に使わないからと、奥にしまったことを後悔した。
 んーっと手を伸ばしていたら、気づかない内に横に喜助がいた。

「これっスか? はい、どうぞ」

 今日の彼は普段より過保護な気がする。夜一さんもそうだったなあと思い返した。
 もう怪我は大分良くなっているはずなのだが、まだ心配は解けないのだろうか。

「助かりました、浦原さん」

 踏み台がないので困っていた。すぐさま取ってもらった茶葉に、沸いた熱湯を注ぐ。

「お待たせしました、暖まって下さい」

 コト、と置いたお茶はお口に合うだろうか。淹れたてで、まだ味は薄いかもしれないけど。

「美味しいですよ、ゆかサン」

 いつもなら何とも感じないのに、どうしてか名前を呼ばれて胸がちくりとした。

 ──あ、なんで名前と家を知ってるのか聞いてなかった。

 妙な胸騒ぎはそれが原因か、と喜助の左隣に腰かける。

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