§


「うわあ、きれい」

 目に飛び込む眩ゆい細かな電球。街路樹に繋がって輝くさまが、冷たい空気とは真反対に暖色を放っている。昔は独り言のように呟いた感嘆も、今、隣には──。

「季節になりましたねぇ、」

 喜助もまた同じように見上げると、吐かれた白い息が浮かぶ。星もなくて、聳え立つビルの間を縫うように夜空が狭い都内。それでも樹々が彩られているとわくわくして、行き交う大人でも童心に返ったみたいに立ち止まって写真を撮っていた。

「浦原さんがこういうところ連れてきてくれるの、なんか意外ですね」
「あまり見ることがなかったんでね、たまにはこういうのも」

 こちらに目を細めて言うと、電飾いっぱいの街路樹に視線を戻した。

 喜助はよく空を見ている、と思う。そしてその姿がよく似合う。この印象は出逢う前からも初めの頃も寄り添うようになってからも、ずっと変わらない。きっとこの先も同じ光景が訪れて、同じことを思う。何かはわからないけれど何かへ想いを寄せるように空を見据えるあなたが好きだ、って。

 ただ、今は空よりも低いものを一緒になって眺めている。
 遠く、先ばかり追う人が近いものへ目を向けて。
 いったい彼は何を想うのだろう。

 こうして共に過ごすようになって彼の感じ方が少しだけ変わったのならと思うと、烏滸がましいかもしれないけれど、なんだか無性に嬉しくなった。

 ──私たち、普通の恋人に見えるかな。

 いつかは片っぽが老いぼれて、片っぽが若いままだから。
 いずれ不釣り合いになってチグハグに映ってしまう未来がきっとある、寂しいけれど。だからこうして当たり前のことを当たり前に過ごせる今この瞬間が、苦しいくらいに愛おしい。誰にも見せたくない宝物を抱きしめるように、ゆかも明かりたちを眺めていた。

「鼻、赤いっス」

 いつの間に見られていたのか。そう指摘され指で隠そうとすると、すっかりその手先も冷え込んでいた。
 くい、と徐ろに手を握った喜助は、そのダッフルコートのポケットへと押し込んだ。

「わ、あったかい。人間カイロ、あ、死神カイロだ」
「語感が悪いんで人間カイロでいいのでは」
「あ。歩くカイロでもいいですね」
「そういうのこだわるんスか」

 そんなどうでもいいことで笑い合いながら、ポケットの中では喜助がぎゅっと指先を握ってくれた。さっそく動くカイロが機能してくれて頬が緩む。
 人目の多い、公の場所でくっつくことなんてあまりないのに。おまけに今日は二人とも真白い服を纏って。
どれだけ長生きしていても、十二月は誰でもしゃぎたくなる月なのかもしれない。

 ふ、と思い返してしまう。
 彼のコートはかつてデートみたいなことをした時に着せられていたもの。自分のこれはそのプレゼントでもらったもの。あの頃とは全く違う関係になった今でも同じ服を着てくれるのが、なんだかむず痒くて、互いに惚気ているようで。
 ゆかは「やっぱり今日の浦原さん、いろいろ珍しいなあ」とはにかんだ。

「まあ、いろいろと慣れてきた証拠じゃないっスかね」
「お揃いみたいなコート着てデートすることに?」
「あなたと生きていくことにですよ」
「それは合わせてくれてありがとうございます」
「ボクがそうしたいだけなんで」

 煌めくイルミネーションを目の目にして投げ合う言葉は、恋人らしさに富んでいる、と思う。こうして繋いだ手をポケットに収めることも。
 あったまってきたら拘束し合うみたいにして指を絡めて握り直した。指と指の間、しっかりと逞しさのある男性を感じて、ぽかぽかと温かい。
 さすがは歩くカイロ。普段、薄着で冬でも下駄を履いているせいか代謝が良いらしい。あれは痩せ我慢なんかじゃなくて、きっとあんまり寒くないんだなあ、と思うことにした。本当かどうかは知らないが。

 ──慣れてきた、って言いながらまだ無理してそうだけど。かわいいから言わないでおこう。

 だって冬服を着込んでいる今は、こんなにも熱が篭っていて。彼の手を意識すると、時折り手のひら全体でトクンと打つ脈を感じる。

 そろそろ汗ばみそうな、合わさった手のひら。
 じっとりとする感触すらいとおしい。脳みそ全体が浦原喜助という人物で侵されているみたいに満たされている。きっと彼は暑いのかもしれない、そう思うと痩せ我慢とは真逆の響きなのに結局は痩せ我慢≠しているようで、心の中でくすりと微笑んだ。

 ──これは私だけの宝物。


§



 煌びやかな世界を楽しんだら、あてもなく歩く。特に代わり映えのない街中を眺めて会話するだけの街ブラ。
 喜助は、なにかしたいことありますか? と聞いてきたが、一緒にいたらなんでも楽しいので、うーん、と考えて足を止めた。あまり買い物もしないし、催し物へ飛び込むこともない。

「普段できないこととか、ですかね?」
 
 だってせっかくのお出かけですし! 揚々と答えると、喜助は「普段できないこと、っスか」と顎に手をあててから続けた。

「虚圏とか行っちゃいます?」
「ほんとうに行けちゃう冗談はやめてください」
「ぜーんぶ真っ白で見るところはないっスけどねぇ」
「全然デート向きじゃないですね」
「あちらに女性の知り合いがいましてね、ゆかサンとは馬が合うかも」
「ひょっとして一護のことが大好きなネルちゃんですかね」
「ご名答っス」
「いいですね、ネルちゃんとなら楽しめそうです」

 小さいかもしれない、いや大きい方かもしれないネルがいたら、従属官のドントチャッカやペッシェにも会えるかも。少し喧しそうではあるけれど、楽しくて面白いこと間違いなし。自分と合いそうなと言ってくれているが、相性はどうだろう。虚圏も悪くない気がしてきた。難しいことを言ったつもりはないものの、場所の選定に彼を悩ませていたらと思うと不本意なので、「あ、でものんびりこのまま歩いて帰ってもいいですよ」と返した。
 すると喜助は何かに閃いたように、繋いだ手を引いて先を行く。

「いえ、せっかくなんでね。お外で楽しみましょ」

 百貨店らしき大きな建物を通り過ぎ、さらに何個かの信号を渡る。雑居ビルの下に入ったと思ったら、被さるように抱きしめられた。

「どこへ?」と困惑している間に、「はい、動くから捕まって」と囁かれる。すぐさま、遠くまで移動するんだ、と理解した。口上もなしにこのまま虚圏、なんてことはないよねとその予想は打ち消した。

 瞬歩してもらってから顔を上げると、風が強い。
 ここは? 傾げて上を見れば、ビルが少なくて先ほどよりも空が開けていた。辺りは綺麗に整備された広場になっていて、ベンチもある。

 柵の向こうには大きく架かる橋。夜の灯りが輝く。
 どうやらここは湾岸沿いのようだった。冷たい夜風が僅かに頬を掠める。目の前の真黒い景色からは潮の香りが漂ってきて、普段は知らない新しい冬を感じた。

「さすがですね、浦原さん。虚圏かと思いきや、まさかの海沿いなんて。冬の海、素敵です」

 無茶振りに近かったにも拘らず、彼なりのデートスポット選択が恋人らしい所で。それもまた意外性が高かった。

「そりゃあボクだって恋人らしい処くらい考えますって」

 言ってないことまで見透かされて、あはは、と照れ隠しに返した。向こうまで行きましょう、と喜助がまた手を引いて歩く。
 そこは恋人たちが賑わうような王道スポットではなく、少し人目につかない暗がり。遠くの街灯りが一層映え、景色も綺麗に収まる素敵なところだった。隣に建物があって死角になるのがあまり一般受けしない理由の一つだろうけど、敢えて彼はそこを選んだのだろうと期待の眼差しで喜助を見上げた。彼はいつだって天邪鬼だから、ヒトと違うところで夜景を楽しみたいのかもしれない。
 ネオン輝く橋を下から一望できて、うわあ、と圧倒されていると喜助が嬉しそうに囁いた。

「ゆかさんって、こういうのお好きですよね」

 こういうのと聞かれ、今見ている夜景だと理解した。

「あ、はい。光とかイルミネーションは、目に触れる機会がないのでとても好きです」

 ずっと見入っちゃって子供みたいですよね、と認めたら照れ臭くなって。顔を背けようとすると、それを喜助の両手で止められた。

「こういうの、ですよ」

 なんだと訝しむ間もなく喜助は控えめに唇を落とす。
 一回触れただけで、かあっと赤面していくのがわかった。真冬の海風が熱冷ましにならないくらいに、なんて単純な体だと思った。

「な、なな、外ですよ、」
「ええ、ですからこういうのお好きですよねって聞いた訳ですが」
「ちが、だからだめですって、ば、」

 抗議の途中、少し外れた口端に、むにゅ、と喜助の薄い唇が添えられる。

「駄目、なんスね? 嫌、ではなく」

 それだけ言うと、間髪入れずに唇を塞がれてしまった。
 これでは訊かれているのに答えられない。ゆかはぱちぱちと瞬きを仕切りに繰り返し、『だめですよ!』と目で訴えた。が、それが通じるわけもなく。

 口をぴったりと合わせたまま、喜助は薄眼を覗かせてこちらを見下ろしている。お互いこの状態で目を合わせているのは耐久レースみたいで、今更ながら恥ずかしいものがあった。

 ──ひとに見られたら、どうするの、こんな、外で。

 それでも頑なに出先でこれはやめなければ、と両手でぐっと体を押してみたが微動だにしない。男性一人を動かせないのはわかってはいたが、一度抗議したら控えてくれると思ってたのに。

 恐らく彼の性格上、場所など全てを考慮してなぜだか平気だと確信している。大丈夫だと高を括っているのだと思った。いやそういう問題ではない、これはモラルの問題。

 ──も、喜助さん、て、そういうとこ、強引、

 じっと見下ろして逸らさない二つの眸が縛り上げるみたいで、離してくれない。今の喜助は紳士的よりも情慾塗れでサディスト寄りに感じた。
 チクチクしていた髭に慣れを感じると、それは段々と濃く深い行為になった何よりの証拠。

 ──ああ、ほんとうにいけない。これでは思考がままならなくなる。

 黒眼を動かしたり瞬きを繰り返していたゆかも、次第に口内へ侵入するものへは抗うことができなくなって、「んっ」と短く声を上げてしまった。頭では、だめだめ、と否定続けるも、それと同時に目蓋は閉じられ。結局、喜助の誘導に乗せられた形になった。

 喜助を剥がそうとした腕が力なく垂れ下がる。
 生憎、両頬は彼に固定されたまま。それでも彼の熱い口づけは止まってくれない。

「っ、は、」と息を吸うことが許されたのも束の間。
 短く引く糸を喜助が舌で絡め取ると、「……唆られる、」とだけ零してから引力みたいにまたくっついてきた。

 体が火照る。寒空の下、冷えるはずなのに、ぼんやりとして。熱を帯びる。ゆかは堪らず喜助のコートの一部を縋るように握りしめた。

 ちゅ、っ、ん、と重なっては響く接吻音。
 その合間、互いに篭った熱を体外に吐き出すたびに声が漏れ。彼の追い詰めてくるような劣情に振り落とされまいと、ゆかも短く酸素を吸う。

「、らは、ふ、くるし、」

 息が続かなくて肺がもたないと警鐘が鳴る。
 なのに彼は口元からずらしただけで、熱い唇を首筋へあてがった。呼吸を整えさせてくれる間、ちろりと這う舌がくすぐったくて「んっあ」耐えられない嬌声が上擦る。外で出してはいけない声。喜助には当然聞こえているだろう。恥ずかしさのあまり、自身の手のひらで隠そうとすると、それを阻止するように喜助が再び唇塞いでしまった。

 彼の舌が口内をなぞりながら掻き乱していく。
 まるで、もっとボクを満足させてよ、とでも言いたげに求めているような。お外なのに、あれ、ここはどこだっけ、と一瞬居場所が分からなくなる。なにがなんだか、もう訳がわからないくらいに。脳が痺れて全身が蕩けていく。
 しばらくされるがまま。彼の欲するままに舌を絡め合っていると、次第にゆかの腰から下の感覚が不安定にぐらつき始めた。

 ──あ、も、だめ、ちからが、はいらな、

 たったのこれだけのキスだけなのに、腰が砕けたように脆くなっていく。奪われた口では訴えられないから薄っすら目蓋を持ち上げると、喜助も薄目を覗かせてこちらを見下ろしていた。その琥珀色の双眸は僅かに上気を孕んでいて、彼自身の慾情をありありと見せつけているようだった。

 この羞ずかしい有り様をずっと見られていたのかと思うだけで心臓が早くなる。彼の慾に対して自分もまた煽られて、内面から彼を求める慾に駆られてゆくのを感じた。

「ん、っん、」

 途端、がくん、と膝が崩れた。
 もう立っていられなくて無理だった。
 お外でこんなにふしだらに感じるなんて最低だ、と自身を軽蔑しながらも、自制のきかなさが怖くなってぎゅっと目蓋に力を入れる。恥ずかしいことに、今、理性の動くところは目元くらいで。彼の劣情塗れの表情を遮断した。

 ああもう足が倒れる。
 そう思ったところで、ぐい、と腰に片腕が回された。厚いコート越しでも分かる、喜助の逞しい腕に支えられて。膝をがくりと半分落としながらもゆかは、喜助に掬い上げられる格好となって身を預けていた。

 下半身に力が入らないまま。半ば弓反りのようになってもなお、喜助は口づけをし続ける。
 止めるどころか、むしろこれを機に激しさを増したような。なのに、止められないなんて、自分もこれが好きだからなのか。いやらしくて、恥ずかしい。
 ちゅ、っ、ぴちゃ、とくっついてはわざとらしく鳴らせる水音。求め続ける彼についていくのが精一杯で、もうすぐ自制どころかなけなしの理性がぶっ飛んじゃうんじゃないかって自分自身が恐ろしくなった。

 目を瞑ったまま、ゆかは指をそろりと上へと這わせていく。指先の感覚だけでその体躯を想像し、顔までくると喜助の輪郭をなぞって優しく髭を撫ぜた。
 その頬がピク、と痙攣みたいに動いたのを感じると、彼は喰みなおしながら繋がった唇に荒く吸いついて、その瞬間、ようやく喜助が「は、」と気息を溢した。ゆかは閉じ切っていた目蓋を上げて、いとしい想いを視線に乗せる。

 はあ、と彼の呼吸が乱れている。わかりやすく何度も整えて。彼もまた苦しいながらも愉しんでいたようだった。
 こんなに厭らしいことをしていたのに一番最初に浮かんだのは、私なんかに慾情してくれるのが嬉しい、だった。今に至るまで理性はもう飛んでいたと思う。

 すると喜助はそっと親指をまなじりに添えて呟いた。

「……泣くほど良かった?」

 広い指の腹で、堪らず滲んで溢れでた色慾が拭われる。
羞ずかしい、羞ずかしくて弾けてしまいそうなのに、その通りだったから、コクンとだけ肯いた。
 少し前なら『なに言って』と、強がりを吐いていた。けれど。本当にたったのキスだけで、字の如く骨抜き状態にさせられたから、良かった? の問いには肯くしかなかった。
 この首肯が、また半歩ほど、二人の関係を進展させた気がした。

「ありゃ、……ずいぶんと素直であなたの方が珍しい」

 こちらから色々言わせたい魂胆が見え見えなのだけれど。
「だって、それは、うん」とだけ言って、理由を告げることなく口を濁した。

「で、でも、こんなところでしなくたって、」

 今くらいの愛情表現なら心身のためにも室内で仲良くすべきでは? 流石に苦言を呈したくもなる。
 だが悪びれることもない喜助は「いやあボクも怒られるかなあと思いましたけどね、多目に見てやってくださいよ」と胡麻を擂るように、ちゅ、と頬を吸った。

「さっきゆかさん言ったじゃないっスか、普段できないこと、って」

 ニヤニヤとだらしなく笑って、「良かったでしょう? ボクのアイデア」と続けられてしまった。
 ああ、そうだ、彼はそういう男だった。
 都合の良い責任転嫁に、そうでした、と得心に至り「い、言いましたけど! そういうんじゃなくって」と言い返したものの──。

 舌戦では勝てないと諦めたゆかは、喜助の手を引っ張りながら「はい、もう帰ります」と強い足取りで先を歩いて行った。

「こっからじゃ瞬歩じゃないとキツイっスよー」

 そう宥めるお調子者の声を背後に、だらしなく頬を緩ませて。


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