§


「──トリック・オア・トリート!」

 閑散とした店内は今日だけ活気に溢れる。
 近所の子供たちが店長に向かってカボチャの入れ物を差し出した。溌剌と元気よく。見ているこちらまでも楽しくなる行事だ。

「なに笑ってんだよ。さっさとよこせよな、菓子!」

 可愛いとは肯定し難い口調で言い募るジン太。
 ふわふわとしたメルヘンな情景から目が醒めたゆかは、「あ、はい」と小さなお菓子を予め用意していた袋から取り出した。

「ちぇ、こんだけかよ」

 そう吐き捨てられ、ガサゴソと勝手に袋を漁られた。
片手に飴やチョコを取れるだけ取って背を向ける。

 ──……男の子ってこういう行事は楽しまないのだろうか。

 苦笑で誤魔化すと「ダメだよ。みんなの分がなくなっちゃうでしょ、ジン太くん」後ろに並んでいたウルルが助け舟を出してくれた。本来、大人である自分が叱らなければならないのだが、今日はあくまで陰でのお手伝い。

 それに常日頃からお世話になっていると言っても、自分はただの──。恋仲、なんて家族面して胸を張れる訳でもなく、子供たちにはあまり強く言えないでいた。

 暫くすると、町内を回っている子供が親御さんとともに訪れた。
 よく見るわんぱく坊主やちょっと強気な女の子。みんな今日はヒーローだったりお姫様だったりいろんなコスチュームを纏ってお粧ししている。最初の印象は、なんて可愛らしい! に尽きた。最初は。

「ほらぁ、店長さんに言うこと言って?」

 お姫様のお子さんとやけに胸元の開いた服の母親。
 お母さんと言うよりはお母様の風貌に近い。黒色のセットアップは魔女のコスチュームにも見える。もしやこの方も今日の行事を楽しんでいるのだろうか。

 ついつい目で追ってしまう。
 それほど惹きつけられる色っぽい方で、膝を屈めて娘に接する様子は店長を惑わせているようにも映ってしまい。ゆかは魂を吸い取られたかのように固まった。

「トリック・オア、……」

 なんだっけ、と小首を傾げるプリンセスにお母様はそっと耳打ちする。
 その所作すら色っぽい。参った。際どい胸元、たわわで豊満なものが溢れそうで危ない。危ないか溢れないかは悲しいことに自身に経験がないので分かりかねる。が、もし自分が男だったら確実に、ラッキー! と小躍りしている。……いや、女でもすでに目を奪われているのだけれど。

「お姉ちゃん、トリック・オア・トリート!」
「あ、黒崎くんの妹ちゃんたち。遊子ちゃん、かわいい衣装だね」

 横から声をかけたのは黒崎遊子、その隣に夏梨。一護の双子の妹だ。
 面識は何度かあったはずだが接点はそんなにない。ジン太が仲良くしているから来てくれたのだろう。特に姉の遊子には好意を寄せているようにも見える。赤頭巾に扮した彼女は、籠の代わりにカボチャを提げていた。一方の夏梨は見慣れたキャップ帽をかぶっている。全く真逆な性格は二卵性の特性なのだろうか。

「どうぞ、お菓子です。あと夏梨ちゃん、だったよね? はい、どうぞ」
「私はいいよ。興味ないからそういうの、もう中学だし」

 大人びた口調で断られた菓子。思春期の女の子は難しい。手のひらに残されたものを袋に戻そうとしたところを「じゃあ私にちょうだい? 一兄にもあげるんだー」とお兄ちゃんっ子を魅せられ、ほっこりした。先ほどの薄汚れた心を浄化する清らかさだ。

「はい、黒崎くんによろしくね」

 ありがとう、そうお辞儀されると二人はジン太と雨の方へ走っていった。他の子も続々と列を成しては、ゆかの前で順番を待っている。そのお母さん方は店先に立つ店長を囲って談笑している。
 皆、人妻で、皆、子持ちで、皆、美しい。

 ──ああ、もやもやする。

 きっとこれが嫉妬というのだろう。
 呼んでもない悪魔が心に居座りはじめた。
 でもなんで。相手は行事に参加させてあげる、子供想いの親御さんなのに。間違っても皆下心なんてないし、ちょっと話したいだけで。彼が自称ハンサムって言うからそれが噂になって、その噂が現実だっていうだけで。

 ──って、なんで私は自分に言い聞かせてるの。

 いけないいけない。今日はお菓子を配る役に徹する手伝いの女。バイト、助手。なんでもいいから背景に紛れ込む。何を見ても笑顔、何を思っても笑顔。商店の印象を悪くしないよう。表情筋がヒクつきながらも口角を上げ続けた。

 人が帰っては入ってを繰り返し、配るために用意したお菓子がそろそろなくなってきた。最後のチョコと飴のひと塊りを女の子に「来てくれてありがとう」と渡すと、近くにいた母親が「良かったわねぇ、次はあっちね」と言いながら入り口を一瞥した。

 次のお菓子を店長からもらう意図だと分かっているのに、喜助の方へ視線を移す姿をまざまざと目の当たりにしたゆかは、袋の持ち手をぎゅっと握りしめていた。

 最初は墨汁の一滴ほどだった。
 そこから肥大した真黒い塊は全身に巡って、刃物に変わって、じくじくとあちこちを痛めつけていった。それは毒々しくて。子供に見せちゃいけない感情を隠しながら、笑顔を振りまいている。
勝手に妬いては自傷行為をしている、そんな謎の感覚に陥った。

「はいはーい」

 手を打ち鳴らし、喜助が引きつけるように合図した。
彼が店の奥に寄ってきて、ゆかの左に立つ。直前のヘドロと化した悪魔はすっと息を潜めた。

「えー、今日はハロウィンということで、ウチみたいな駄菓子屋にもたくさん来ていただきありがとうございましたー」

 喜助は律儀に閉会の挨拶をはじめた。
 変わらずゆかはお手伝いの女に徹し、静かに傾聴した。

「もうお菓子もなくなるんで、ここらでお開きとさせてもらいます」

 ようやく終わる。長くも短くもなかった。正味、一時間弱だろうか。なのに厭な思い出を作ってしまった。正直なところ来年は気が向かない、再びこんな感情を抱いてしまうのであれば、──。

「では、最後にアタシから。お子さんのために来ていただいた親御サンたちにも、お土産をお配りいたしますんで、順にどうぞ」

 ハッとした顔で店長を見上げた。
 
 ──なにそれ聞いてない。

 そのお土産はどこにあるの、と辺りを目で探してみるも見つけられず。喜助の案内と同時に黄色い声の奥様方が呼び掛け合って近寄ってくる。再びじわじわと。あの墨汁が染みを滲ませていった。

 すると喜助は、自身の傍に置いてあった紙袋をこちらに手渡した。

「ゆかサン。すみませんが、これを皆サンにお配りするんで右手で袋を持っていてください」

 恐らく渡すのは喜助の役なのだろう。それは店長として当然だ。
 なのになんで、自分がその台座役をこなさなければならないのだろうか。しかも、持ち手まで指示されるなんて。訳がわからない。

 入り口であんなに楽しそうにしていたのだから、自分で持って手渡せばいい──。

 この醜い嫉妬心はいつしか喜助に飛び火していた。

「はい、わかりました。右手で袋の底を支えてるので、浦原さんは皆さんにお渡しをお願いします」

 商店の大事なお仕事だ。
 妙な気持ちを態度で察されてはならない。
 努めて冷静に、笑顔を忘れず、けれど私は最低だ、と釘打って。周りに接し続けた。
 奥様が一人、また一人やってくる。

「ではこちらを、お気をつけてお帰りくださいっス」

 左側に立つ喜助は反対の腕を伸ばし、ゆかの持つ袋からお土産を一つずつ取り足していく。
 なんでそんな面倒な取り方をするのだろう。
 片手でお渡しするなんて、と怪訝に見上げた途端、──。

 ぐっと喜助が肩を寄せて。
 彼の右手と私の左手が体の後ろで重なった。
 指と指の間に骨張った彼のそれが絡められて。
 密着して、硬直していく。

 心臓が飛び跳ねた。どくんどくん、ポンプのように。人前で、脳みそが真っ白になる。
 今はお手伝いの最中だから袋を落とさないようにとだけ努めた。アドリブなんかきかなくて頭が回らない。びっくりしすぎて目を見開いてしまい、接客用の笑顔が次第に消えていった。

 今度は全身に巡っていた真黒いもやもやが喜助の思惑によって解毒されてく。まるで毒を以て毒を制すような、なんだ、これ。

 ──なに、新しいイタズラ? 正気……?

 個包装のお土産を手にした奥様は、うっとりと目を細めた。

「わあ、こんな素敵な焼き菓子、フィナンシェだなんて。嬉しいわぁ」

 子供には見せないであろう媚びたような声色も、今はなんにも感じない。

「はぁい、どうぞよしなにー」

 彼は店長としての仕事を次々と捌いていく。
 その度に、私たちの背後ではしきりに指が絡められて。隠しているのに魅せつけるようにして。
 人目を忍んでは、静かに愛を確かめ合っている。

 ご近所のグループが一旦途切れ、一人と一人の間が少し空いた。私はそれを見計らって口を開けた。

「……あ、あの。これは、こんなことして、」

 大丈夫なの。
 訊こうとしたのに、向こうからぎゅうっと強めに手を握られて声が引っ込んだ。

 違う、本当はもっと煌めいて、あの女性たちのように甘い声で喜ぶべきなのに。そんなこと訊かなくたって、大丈夫か大丈夫じゃないかなんて、考えなくても分かること。なのに今、確かめようとした自分がいた。──あなたの気持ちはちゃんと私に向いているよねって。

 後ろでは彼の大きくて長い親指が私の手の甲をすりすりと撫でてくる。訊き損ねた答えを示すようだった。指を絡めあったまま、その感触を密かに味わうことしかできなくて。私の思考回路はとうとう寸断されてしまった。

 まるで、聞かなくても分かるでしょう、と愛を囁くようにして手を組み直す。
時に、ぴた、と掌を合わせあって、背徳感が増していった。

 ──まともに顔を上げられない。

 伏せ気味のまま横を一瞥すると、彼は挨拶しに来た親御さんに笑顔を向けていた。ここまでくると、表面ではこんな顔して裏では平然かつ大胆に手を繋いでいられることに、すごいなあと感心を抱いてきた。

「ほら、あなたからもご挨拶をお願いします」

 喜助はゆかに御礼の挨拶をするよう振ってきた。
この状況でそんなことさせるのか。彼はとことん意地が悪いと思う。
 こっちが緊張しているのも分かっていて言うのだから、最低だ。それに善がってしまう自分も最低で、彼らしい愛の体現は、最高だ。

「あ、ありがとうございました……、今後ともよろしくお願いいたします」

 熱を伴う頬を見られないよう、すぐさま頭を下げた。
親御さんは「こちらこそ、また来ますねぇ」なんて。焼き菓子に対してか、喜助に対してかは分からないが、浮わついた声と足取りで去っていった。

 そうして全てが終わり、子供たちも中へ戻ったあと。
店内の片付けと称して残されたゆかは、ようやく喜助に向かって「……浦原さん!」と声を荒げた。

 ただ、この左手は固く繋がれたまま。一向に解かれる気配はない。

「アラそんな怒っちゃって、なにかご不満でも?」

 喜助はなんでもないように言ってから、絡み合った指たちに視線を落とした。

「し、仕事中にこんなことして、社会人としてどうかと思います」
「トリック・オア・トリート、ですよ? お菓子くれないんで、イタズラしちゃっただけじゃないっスかあ」
「そんな子供じみた言い訳が通ると思ってるんですか」

 ああ、なんで怒っちゃうんだろうなあ。
 本当は喜んでた自分がいるくせに。
他人に向ける事のない情愛を与えられて嬉しかったくせに。

「……まったく、その仕事中にバチバチ嫉妬心を剥き出しにしてたのはどこのお嬢さんですかねぇ」
「う、」

 ──ばれてた。
 認めたくなかったけど途中から諦めてた醜い感情。
しっかりと彼に悟られていた。

「あんなに背後から視線感じたら分かりますよ、ああこりゃあ妬いてるなあって」
「もう、いいです、言葉にしないでください……」

 彼に説いた社会人としての矜持が、ブーメランになって自分めがけて盛大にぶっ刺ささる。恥ずかしいを通り越して情けない。自己嫌悪したくなる。

 きっと面倒がられているな。そう感じて一旦離れようとパッと掌を広げるも、彼がそれを許さず。逆にぐい、と手首を掴み直してから言った。

「ですが、悪くはなかった」
「え?」
「いつもは動じないどころか興味すらないはずのゆかさんが、たったのあれだけでボクへの愛を剥き出しにしてくれるんですから。ここぞとばかりに堪能しちゃいました」
「……浦原さんの悪趣味」
「あ、勘違いしないでほしいっスよ。談笑はわざとじゃなくて、あの親御サンたちから寄ってきたんですもん」
「それは分かってます! 見てたので!」

 言ってからはっと口に手をかざした。

「ほぉら、見てたんじゃないスかぁ」
「も、もういいじゃないですか……私が大人げもなく妬いてしまったということで……」

 自白させられていく毎に、全身からやかんみたいに湯気がたちそうで。もうそろそろ頭のてっぺんから音が鳴る。

「ちょっとイタズラが過ぎたかもしれないので、これで終わりとしましょ」

 喜助は首を垂らして、背中を曲げた。
 顎に指を添えられ強制的に上へ向かされると、甘い褒美が落とされる。これはどんな甘菓子よりも美味しくて。醜くほろ苦い悪戯の後には、糖度メーターが振り切ってしまうくらいの濃厚なもの。次第に角度を変えて、その味も深まっていく。

「んぅ、」

 どちらかも分からぬ息が洩れ、腰も蕩けてしまいそうになって、それを喜助の腕で支えられ、──。
 数十分前までは子供たちやご近所さんがいた空間での行いに、人としての後ろめたさが迫りくる。
なのにそれよりも悦びがまさってしまって。

 ──ごめんなさい悪魔さん、どうしようもなくいけない社会人は私です。

 可愛らしいハロウィンの終わり、こんな風に盛り上がってしまって衝動を抑えられない。

「……う、らはらさん、私まだ、終わりたくないです」

 恍惚感の中、途切れ途切れに。ハロウィンを暗に意味したのだけれど、今のは言葉足らずだったかもしれない。
 喜助は頬をポリ、と掻いて笑った。

「そりゃ良かった。……ボクもまだ甘美が足りないようなんで、」

 これは少し曲解されてしまったかも。
 ゆかは、ひょい、と肩の上へと抱え上げられた。
この後どうするとも言わず、喜助はすたすたと廊下を歩いていく。

 悪戯だとか菓子だとか、そういうものはもう要らないから、今はただこの愛おしさを胸に眠りたい。ああもう秋の夜長のせいだ。
 ゆかは心に居ついた寂寥を慰めるように、ぎゅうっと喜助の首回りへ抱きついた。

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