「二人共、話は済んだかの?」

 引き戸に立つ夜一は、待ちくたびれたかのように、腕を組み寄りかかっていた。

「喜助! 神野がああ成るとわかっておるのに、何故止められんのじゃ」
「そんなァ怒らないで下さい、夜一サン。生憎、まだ霊体の解析中でして」

 二人のやり取りを追っていると、ほっこりして落ち着く。砕蜂の気持ちが少しわかった気がした。彼女の場合は、喜助にあまり良い感情は抱いてなかっただろうけど。

「私なら大丈夫です」

 決して気を遣って言ったのではない。本当にそう思ったからだ。

「無理をするな、神野。いつ内部から襲われるかわからんからの」
「平気ですよ。それに私が危なくなったら、また呼び起こしてくれるそうですから」

 ちょっとだけ勇気を出して彼に話を振ってみる。

「ですよね、浦原さん?」

 微笑んで喜助に視線を送ると、彼は驚いたように返した。

「ええ、まあ。アタシが何とかします、とは言いましたが……」
「歯切れが悪いぞ、喜助。男ならしゃんとせんか」

 夜一は続けてやいのやいの言っている。当の喜助は気にせず宥めるだけ。
 これが普段の光景なのかなと眺めていると、はっと思い出したように夜一が言った。

「儂はそんな事を話しに来たのではない。神野、お主の包帯の交換と、体を洗いに来たのじゃ」
「え、体、ですか?」

 包帯の交換は頷けるが、もう一つの唐突な申し出にはと戸惑った。
 言われてみれば丸二日もお風呂に入っていない。ずっと横になっていて、体が気持ち悪い訳だ。

「アタシもお手伝いしま……、目が痛い!」
「こんな輩に神野を任せる訳にはいかんのう」

 夜一の裏拳が喜助の顔面にクリーンヒットする。
 思わず声に出して笑ってしまった。あまりに漫画そのものの光景で。

「やっと笑うようになったようじゃな」

 言われて気づく。二人の関係や喜助の言葉にも素直に笑えていることに。

「じゃあ夜一さん、よろしくお願いします」

 喜助を部屋から締め出し、夜一がお湯を入れた桶とタオルを用意した。
 布団を剥いだ夜一はゆかの体をひょいと抱え、広げた布の上に座らせる。
 そして素早く包帯を取って後ろを向かされた。
 思った以上に大仕事のようで、慌てふためく。これでは夜一がヘルパーさんのようだ。

「あ、あの、すみません。私、自分で出来る所は自分でやるので」
「何を女同士で恥じておる」

 ──あ、いや、そこじゃなくて……。

 またもやされるがまま。この状態が恥ずかしかった訳で、女同士とかそういう問題ではなかった。介抱させることは、夜一にとって特に気にかかる事ではないらしい。夜一は「痛かったら止めるぞ」と、静かに体を拭き始めた。部屋には背中を優しく擦る音が響き渡る。

「夜一さん。私は、いつ頃までここに居て良いのでしょうか……」
「どうした急に。傷が癒えるまで居て良いと言うたじゃろう」

 桶にタオルを浸し、ぎゅっと絞る。

「ですが、浦原さんに『環境は整えてある』と聞いて。その理由を聞きそびれちゃって」
「ああ、直ぐに寝てしもうたからの。彼奴はまだ何も言うとらんのか。まあ、儂から説明しても良いじゃろう。人間には記換神機という物を使うておってな、神野に関わる者の記憶を置換しておる。どういう記憶に変わっておるか、儂は知らんがの」

 大方、予想はしていた。だが改めて事実を知ると、事の重大さが不安と共にのし掛かる。
 胸奥が重く感じる中で一つ疑問が浮かんだ。どうして自分の記憶は消されないのか。
 本で読んだ限り、襲われた一般人は何事もないように翌日を過ごすのではないのか。
 自分の立場に困惑し始めた。

「そう、ですか。浦原さんが言っていた敵って、その、」

 言葉に詰まる。本来は知らない相手であるため、その単語を出してはまずいのでは、と躊躇した。

「ああ、あれは虚と言うてな。より霊力の高い魂魄を喰らう奴らじゃ。お主はその特殊能力を持ち合わせた奴に狙われてしもうたのじゃ」

 しかもやっかいな能力のな、と教えてくれた。
 背中の流しが終わると前を向かされる。女同士、しかも相手が夜一だと恥じらいも余りなく。正面にもまだ傷が点在していた。それを見た夜一は顔を顰め、目を細めた。

「……傷を負わせて済まなかったの。おなごの顔と体に。残さぬよう精一杯努力する」
「夜一さんが、そんな顔しないで下さい。あの時、夜一さんも来て下さってましたよね。むしろ私が御礼を言わないと」

 ありがとうございます、と微笑むと彼女も笑ってくれた。

「ほれ、最後は髪の毛じゃ。綺麗にせんとな」

 新しい包帯を巻いてもらい、着物を纏ってから仰向けになる。鎖骨まである黒髪が大きな桶へ浸かると、夜一が梳かしてくれた。優しい手つきがとても心地良い。普段、闘いを得意とする人の手つきとは思えなかった。夜一を見上げる形になり、まじまじと綺麗な顔を堪能した。
 すると「あまり見るでない」と諭されてしまった。

「……あの時、儂は別行動でな。あの場には居ったが、戦闘とお主の保護は喜助に任せておったんじゃ。ああは言っておるが、喜助が一番悔いておるじゃろう」
「そんな。彼も誰も、悔やむ必要なんてないのに、」
「そういう奴なんじゃ。彼奴も、儂も」

 そう言う彼女はどこか遠い目をしていた。
 過去の出来事と重ね合わせていたのだろうか。虚化させてしまった仲間達を。悔いたであろう。
 自分ではとても計り知れないくらいに。
 烏滸がましくも、もし彼にそんな悔みをさせていたらと思うと、申し訳ない気持ちになった。

「でっでも、黒崎くんから浦原さんの御守りを頂いて、本当に本当に嬉しかったんです、私。怪我をしてからお二人に御礼を言うタイミングを逃しちゃって、他にもたくさん感謝していて……」

 御礼を言う事が多すぎて、それだけで一日が終わってしまうくらい。でも全然伝えきれなかった。

「今度、改めて菓子折りでも持ってきますので」

 眉尻を下げると、彼女は急に吹き出した。笑うタイミングがわからず、きょとんとしてしまう。

「野良猫に餌はやらないのがるーる≠ネのではなかったかの?」

 ゆかの顔を上から覗いた夜一は、にやりと勝ち誇った笑みを浮かべた。
 ──思い出されるあの独り言。ゆかは恥ずかしさの余り赤面した。

「よし、終わったぞ。後で髪を乾かすから座って待っておれ」

 赤面したゆかを余所に、夜一は道具を持って、すっと立ち上がった。

「あっ今の事とか話した事、浦原さんには言わないで下さいねっ!?」

 下手に言って揶揄われるのが目に見えている。ゆかはそう思い、慌ててお願いした。

「それは、お主の努力次第じゃのう」はっはっは、と高らかに笑って部屋を出て行ってしまった。

 ──努力って、何の努力なのさ……。

 こうして頭上には、白いタオルが被せられた。努力次第だ、と言われたゆかは、大人しく夜一が戻ってくるのを待っている。何の努力かはわからない。
 だが、下手なことを喜助に知られたら嫌なので夜一に従おうと決めた。

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