「あっそうだ」ゆかは徐にソファから立ち上がる。
 テレビ台の棚から何かを取り出して戻ってきた。

「今日は映画でも観ませんか? もう一人の私が居た頃のDVDがたくさんあって。おもしろそうなんです」

 これとか、と手渡されたパッケージに目を落とすと、どうやら恋愛ものの洋画らしい。あらすじを黙読していると、こちらの様子を窺うように、ええっと、とゆかが割り込んだ。

「これはですね、主人公の男性がタイムリープ? というもので過去や未来に行って恋をするお話みたいで。私そういうの観たことなくて。浦原さんが平気だったら、と思ったんですが、どうでしょうか」

 観たくてうずうずしている彼女を断る理由は見当たらない。
 ちょっとしたことでも許可を得ようとする行動すら、微笑ましく思える。惚れた弱みというものは、何にでも付随してくるから厄介だ。うっかりしていると通常思考が危ぶまれる。
 まるで子供のような無邪気な姿を前に、喜助もつられて「ええ、もちろん。ぜひ観ましょ」と笑みを向けていた。

「にしてもアタシらみたいっスね」

 得た要点を理解したのち、はい、とDVDを返した。
 一方、ゆかは頭上にはてなを浮かべ小首を傾げる。

「……そうですかねえ、全然状況が違うと思いますけど」

 彼女はそれを裏返してあらすじ詳細を眺める。
 まあ、文字通り過去や未来を行き来した訳ではないが。それは喜助も解っている。意図したことはそういうことではなかったのだが、言いたいことは観てからにしようと、「さあさ、お店からお菓子も持ってきたんで、映画鑑賞会としましょうかね」テーブルに様々な駄菓子を広げた。

 わあ! たちまち彼女の双眸は輝いていく。
 早く観たいのか、早く食べたいのか。時間に余裕はある。急ぐ必要はないのに素早く再生準備を終えてから横へ戻ってきた。その様子はテキパキと仕事へ勤しむ姿よりもあどけなく、商店ではあまり見られないので得をした気分になった。
 
 ソファに胡座をかいた喜助は、お菓子に手を伸ばしたゆかを「よっと」抱え上げ、ぽすんとその中に収めた。
「あっ、」と甘菓子ばかりに気を取られている彼女へ取り損ねたチョコレートを渡す。そうして彼女も小さく膝を抱え、寛いだ格好に。

「上の照明、少し暗くしましょうか」

 画面が見やすいよう、喜助はリモコンを取った。

 こうしてなんの変哲もない日常を、人間と過ごす。
恐らく自分達のように身を重ね合って映画鑑賞をしている人々が世の中にはごまんといることだろう。恋人達の平々凡々な団欒。強いて違いを言うならば、人間の相手が死神ということくらいか。けれども、そんな差さえ微塵も感じさせず。些事なことに過ぎない。共に居ることを当たり前に接してくれる貴女は、何ものにも代えがたい存在なのだ、と秒刻みに思い知らされる。



§



 鑑賞し始めて二時間過ぎ、物語はあっという間に進んでいく。
 場面は山場を迎え、終盤が近づいてきた。物語中、幾度となく訪れる岐路で、彼女は時折りティッシュを手にしていた。
 その様子を後ろから一瞥しては、画面を見やり。脚の中で彼女が優しく肩を震わせているのを眺め、可愛らしく思えた。

 もう長いこと鼻を啜っているが、映画が終わるまでは話しかけないようにした。
 こうなるのは大方予想がついていたと言うのに。恋愛ものの映画というものは大概がそういったものだ。もう一人のゆかとは嗜好が異なり、知らない映画が自宅にたくさんある、と以前彼女は言っていた。だからこういう分野には疎いのかもしれない。

 真っ暗な背景にエンドロールが流れ、薄暗い部屋を幽かに照らす。壮大で感動的な音楽を乗せて。これは更なる余韻をもたらしそうだな、と彼女の横顔を覗いた。ギョッとした喜助は想像以上にぼろぼろと大粒の涙を零すさまを受けて、思わず心配になった。

「大丈夫っスか」

 声をかけるとより一層、起爆剤になったかのように溢れ出た。

「っ、はい。だいじょぶ、です、」

 いや全然でしょう、とは突っ込めず、落ち着くまで静観することにした。
 エンドロールは終わらない。喜助も映画というものにあまり縁がないが、最後のクレジットは長いものだなと腕に彼女を抱え込んで眺めていた。
 暫くしてゆかは、息を整えながら口を開ける。

「はあ、映画ってあんまり見ないので……こんなに泣けるんですね、」

 再び垂れてきそうな鼻にすかさず喜助が、どーぞ、とティッシュを渡す。
 そして自らも「最後は大円団でしたねえ、じーんときました」当たり障りのない感想を述べた。

「浦原さん、ほんとうにそう思ってますか、なんか軽い気が」

 なかなかの鋭い指摘。
 薄々見破られている気もするが、「ほんとうですよ、良い結末です」彼女の感涙を壊さぬように、と返した。

 伏し目に画面を見ていたゆかは、「はい、感動的でした」と涙声で紡いだ。昂った感情から絞り出した感想で、再び涙が込み上げてきたらしい。
 貴女はあれを観て何を得たのか、どう揺すぶられたのか。正直なところ映画の内容よりも彼女の胸の内に関心が向いていた。恐らく自分には理解し難い何かを考え、想いを発する。温かなものを持つヒトから出る言葉を聞き逃すまいと喜助は聞きに徹した。

「……何度も別れなくちゃいけなくて」
「そういう境遇でしたね」

 物語では男性が特殊能力を宿し、それで時空を往来するものだった。彼女の言葉で今観たものを整理する。

「でも違う年代でまた二人が巡り逢えて、」
「はい」
「その度に恋に落ちる」
「ええ」

 そこまで述べるたゆかは、はあ、と何度目かの感嘆の息を長く吐いた。
 途端に言い終えたので後ろから覗き込むと、彼女は指の腹で眼尻に留まる涙滴を拭っていた。

「二人とも辛いのに……。素敵なお話でした」
「…………」

 これに喜助は口を噤んだ。
 同意する訳でも、首肯く訳でもなく。彼女から発せられた情感をそれごと呑み込むように受け入れた。いや実際、その感性を咀嚼することに意識がいって、返すべき声を瞬時に用意できなかったのかもしれない。

 テレビから流れるメインテーマがようやく終焉を迎えた頃、ゆかは放心にも似た泣き顔で後ろに向けた。その目許は優しく濡れていた。
 そうして喜助へにこりと眉尻を下げてから、続けた。

「でも最後は報われて良かったですね」

 それは客観的視点なのか、主観的なのか。恐らく彼女は意図せずに前者なのだと思った。

「そうですね」

 彼女の零した映画の感想。
 ただの一言が脳内で酷く反響した。
 観る前から過去と重ねている自分は、主観的にこの物語を観ては投影していたのだろうか。これは柄でもなくとても彼女に言えないな、と胸中は明かせなかった。

 境遇は違えど、当時貴女が体感したものはどうだったのか。

『二人とも辛いのに、素敵だった──』

 当事者としてのあの頃は素敵などとは当然、微塵も感じなかっただろう。
 客観的に出されたそれが離れぬまま、彼女を見やる。
あの時、貴女が辛く苦しむのは解りきっていた。だが己もそうだったのか? まさかそんな自問めいたことはしない。今更咎めても何の意味もない。知識欲に忠実なものの、自身が何を感じてどう想うかに対しては如何せん関心が希薄している。

 今観た物語のように現在と過去を行き来したのではないが、本来交わる筈のない魂魄同士が巡り逢った境遇は限りなくこれに近しい。
 そこから確信することは、ただひとつ。
 貴女がこの物語をそのように想ったのなら、貴女の言葉で言えば自分らのどの瞬間も、素敵だったのだろう。

 ──だから言ったじゃないスか、アタシらみたいだ、って。

 喜助は眼に視えぬ何かを証明したかの如く誇らしく、それでいて歯痒かった。
 伝えようにもどう説くべきか迷う。本人が気づかぬまま過ごしてみるのも敢えて信実さを守れるような気がして、知らせることが勿体ない気がしてきた。

 仮にゆかから「直前のあれはどういう意味だったんですか」なんて訊かれても、はぐらかしてしまうだろう。
 その代わりに、自らも貴女への感想を述べるなら、──。

「──ええ、報われて良かった、本当に」

喜助がそう零すとゆかは、物珍しいものを見た、という表情を晒した。
 きっと映画の感想を告げたことが驚きだったに違いない。彼女にはそう思わせた方が良いとその真意は隠した。

 ──でもまあ、事実は小説よりもって言いますから。

 唯一、約二時間半の物語と異なる箇所。それはこのすぐ近くにある、明白であり確かなもの。視えはしないが永続する、命を賭すまで。いや賭してもなお、在り続けさせる。
 たとえ彼女が先に物故したとしても、魂魄は残る。
 悪いがそれを彼方側に預ける気は更々ない。つまりは今観た映画の二人よりも、永久的に添い続けられるというわけだ。

 物の喩えで『アタシらみたいっスね』と告げたものの、作られた物語と全く同じではこちらとしても困る。
 二時間半の恋模様と何百年先を見越した共存の沙汰は、天秤にかけるまでもないのだから。


 頭に残る痺れたような余韻。──映画の、というよりか彼女から溢れ出た感想の余韻。
 その真っ直ぐな言葉が澄み渡っては脳髄を支配していた。

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