§


 ちょっと、とはどのくらいなのか。
 すぐに、とはどの程度なのか。
 慣れない小綺麗な街並みのど真ん中で、ゆかは喜助から告げられたまま待ち惚けていた。人が多く行き交う、軒並み高そうな路面店の広い通り。今日は世間一般のごく普通なデートにやってきたのだけれど、その当事者は今隣に居ない。
 遡ること、かれこれ数分前──。

『あの、ゆかサン。すみませんがちょっとばかし待っていてもらえます?』
『? 待ってますけど……何かあったんですか?』
『いえ、すぐに戻ってくるんでこちらにいてください』
『あっはい』

 静かに状況を察したゆかはそれ以上問わなかった。
 そして彼は走るわけでもなく傍に逸れてから瞬歩で姿を消した。きっと彼にとっては近いけれど案外距離があるに違いない。敢えて瞬歩を使うとはそういうことなのだと理解した。

 こうして数分は煌びやかな店の前に待っているのだが、一向に戻る気配はない。店の入り口では邪魔になると思い、ささっと横へずれてみたけど人混みが凄い。なんでこんな所に立ってるんだ、という眼差しを既に幾つか感じた。

 唯一の救いと言えば、自分がいつもより少しだけ粧し込んできたこと。実は乱菊が現世へ遊びに来た際に、『これでも着てデートしてきなさいよ!』と溌剌に押し付けられたものを着用してきた。膝上がほんのりスースーする。いつもより少しだけ短いスカート丈に体の線をなぞるトップス。色っぽい彼女らしいセンスで。きっとこれなら場違いではないと思うのけれど、そんなこと、都会の大多数は気にも留めないだろう。

 ──……きっと喜助さんなりの考えがあって、離れた理由を言わないんだろうけど。

 多少は気になるが彼のことだから、と些細な自我は呑み込んだ。

 途端。──ゾク、と背筋に走る悪寒。
 大寒を越えた今日だ、厳しい底冷えの所為かと思ったがそれだけではないと脳の奥で直感が働いた。そのまま感覚を研ぎ澄ます。自分の感知能力は多少鈍ってはいるものの衰えた訳ではなかった。幽かではあるが、確かに邪な霊圧を感じる。

 ──でも待つように言われてるし、きっとこの付近の担当死神さんが対処してくれる。

 だから大丈夫、と素知らぬふりをしてこの場を過ごすことにした。
 しかし暫くしてもその小さな霊圧は同じ場所を動くことなく、じっと微動だにせず。良い方向へ考えれば悪さはしないのかもしれない、ただし最悪のことを考えれば、魂魄を狙っている可能性もある。

 後者の予想を思い浮かべた直後、自ずと体がその方角へ向いていた。肌を刺す厭な霊圧に、滲む脂汗。心配性が一歩、また一歩と足を近づけていく。

 ──少しだけ、そっと様子見て悪い虚だったら行動すればいいよね……。

 確認するだけだ、遠巻きに。悪い破面もいれば、逆の性格を持つ者もいたのだから必ずしも邪悪とは限らない、と思いたい。

 ──それにこの程度なら縛道で動けなくできるはず。あとは死神の人にお願いしよう。

 自分の霊力は知っている、その力量も弁えている。

 広い大通りから脇道へ入った突き当たり、その手前にある建物と建物の間。微弱であるが霊体を感知していたゆかは、ここだ、と定めをつけた。車一台が駐車できる程の路を、そっと覗く。

「おねーさん、こんな所で何してんのー?」
「迷子ー? 案内してあげよっか?」

 背後からかけられた声に「え!?」と驚きながら振り向くと若者の男性二名が。何故か真後ろに立っている。
 ここはどこから見ても誰もいない路地裏。もしかして、もしかしなくても怪しまれたのか? 慌てながらその場を取り繕った。

「あ、えっと、ちょっと人と待ち合わせしてまして、」

 両掌を小さく正面に向けて、大丈夫です、と弱々しくその誘いをお断りする。

「へぇ、こんな人気もないところで待ち合わせ?」
「お姉さん嘘が下手だねー」
「いや、ほんとに待ってて……」

 確かに喜助から待つように言われているが、その場所からは若干離れてしまった。彼のことだから自分の霊圧を辿れば大丈夫だと高を括って、虚の居所まで来たのは良かったが、──まさか、まったく別の問題があろうとは。予想だにしなかった。

「……あ、ひょっとして。いけない事しようとしてたとか?」
「うわ怪しい、葉っぱなら今ここで通報しちゃうけど」

 あろうことか、話が良くない方へ転がり始めた。
 自分の態度が宜しくなかったのだろうか、癪に触ったのだろうか。ニヤニヤと薄ら嗤う彼らは、どれも本心で言っていないように思えた。単なる声かけ事案のはずが終いには不審者扱いへと変化している。

「な、何言ってるんですか、そんなこと……!」

 よくある警察密着番組で見かけるような路地裏ではあるけれど、あまりに心外だった。全くとんでもない話だ。
 目前の若者たちをどうにか上手く対処しないと、後ろに潜む虚を縛ることは愚か、確認することも出来ない。

「とにかくここは危ないので、あっちに行ってください!」

 ぎゅっと掌を握り、叫ぶように告ぐことしか浮かばなかった。この場合の臨機応変な受け応えを誰かに示して欲しい。
 何がどう危ないかなんて、霊力のない人達には到底理解させることなど不可能だ。それでも「危ないから」と警告するしかなかった。

 だがこちらの忠告は意味を為さず。一人が、はは、と嘲笑し、もう一人は「はあ?」と小馬鹿にしたような言い草でずずい、と近づいてくる。

「じゃあさ、お金持ってない?」

 これは親父狩りならぬ、似て非なるなにか。
 まさかこんな形で恐喝紛いの犯罪に直面するとは思わなかった。そういったものとは縁のない人生だと思っていたのに。

「俺ら行くからさ、何万かくれたら」

 二人の安全も考えたら、ここは大人しく渡した方が手っ取り早いのだろうか。と一瞬だけ怯んだものの、いやいやこんな横暴な輩にお金を渡すなんてあり得ない! と早々に我に返った。

 段々と怒りの情が露わに、顔が歪むのを感じた、矢先。
 コツ……コツ……、ゆっくり歩く足音が建物間で反響した。そしてその音の主が視界の端に入る。

「あー、ゆかサン、こんなところにいた」

 颯爽と闊歩するように向かってきたのは喜助だった。
 ああそうだ、今日はいつもの下駄じゃない。首元から覗く鼠色の徳利と薄茶色したロングコートに身を包んだ革靴。それがすっかり頭から抜け落ちていた。無論、帽子もないのだから気付くのが更に遅れて。小綺麗な街でデートだからと一護の父、一心に再び仕立ててもらったと言っていたんだっけ。

 かけられた声にゆかが「あの、喜助さん、」と心許なく返答すると、彼は依然変わらない調子で近づいた。

「探しましたよ。駄目じゃないっスか、待っててって言ったのに動いちゃあ」

 喜助は二人の男には目もくれずに通り過ぎ、集ろうと立ちはだかっていた一人とゆかの間に入る。すかさず「すみません、虚の気配を放っておけなくて」首を垂らす。短く謝るだけにしておけば良いのに、あわあわと言い訳までしてしまった。

「よく気づきました、ただ少ーし焦りすぎっスけど」

 言ってゆかの頭をぐしゃりと撫でる。
 若干荒々しく感じたけれど、無骨でいて優しい手つき。
 彼のあからさまな、周りを無視した言動に、一人の男性が苛ついた態度で喜助の肩をグッと掴んだ。
「おっさん、急になに」喧嘩をふっかけるような物言いは物騒で。独りだったら怖かった。

 その肩越しに見えるもう一人の男も「俺ら楽しく話してんだけど。邪魔すんならおっさんも金くれよ」と親父狩りの常套句を吐いて。緊迫する空気に萎縮する。

 ところが喜助はそれらに構うことなく「虚はアタシが縛っておくんで大丈夫っスよ」とゆかに優しく笑んだ。

「おい聞いてんの」と男の掴んだ手が肩から胸ぐらへと移りそうになった時。喜助は呆れたように目を細めた。
 そして振り向きざまに、──。

「……しつこいな、ウチのになにか」

 戦闘でも通常でも聞き慣れない低音。
 こっちの方が断然物騒で恐ろしいと思わせるそれに、ゆかは目をぱちぱちと瞬かせた。

 あっちを向いていて、一体どんな表情でそれを放ったかは分からないけれど、喜助越しにいる二人の様相を見れば一目瞭然だった。彼らの血の気の引いた、慄く様子が全てを物語っている。

 数秒経ってから無言で喜助の肩から手を退かした輩は、謝ることなく去っていく。突っかかっておいてたったの一言で一蹴された挙句、尻尾を巻く姿。おまけに謝罪すらなく何とも失礼極まりない奴らであった。

「……あ、行ってしまいましたね……」

 突風のような勢いに茫然自失に声を返したものの、喜助が来てくれて本当に良かった、と安堵感も大きくて思うように表現できなかった。
 喜助はそれに対して特に答えることもなく、つかつかと細い路を進んでいく。その行き止まりに潜むのは先ほどの虚。

 ──勝手に行動したから、怒ってるの、かな。

 せっかく珍しい洋服デートなのに雰囲気を台無しにしてしまい、一気に翳りが襲って。不安げに喜助の後ろから様子を窺う。
 彼は徐に仕込み杖を逆に持ち替えてから、右掌を突き出した。

「縛道の六十一、六杖光牢、……と」

 詠唱破棄とは思えない威力で虚の胴回りを六方面から刺していく。
 階級が低かったのか。幸いなことにこちらの存在には気付いておらず、この虚はギェェ、と弱々しく叫び声を上げた。
 喜助が怒る怒らないなど、とんだ思い違いだった。そんなもの取るに足らぬ問題で、彼は単に仕事をしただけに過ぎない。『虚はアタシが縛っておく』と言ったばかりではないか。

 高等な鬼道を放ったにも拘らず、喜助は腕を休めることなく敵へ向けていた。

「縛道の六十三、鎖条鎖縛」

 彼から続けて放たれた縛道。今度は虚の口元と喉回りを覆うように金色の鎖が絡みついていく。宣言通り縛られた虚は奇声を発せなくなり、大人しく縮こまった。

 くるっと振り返った喜助は頬を緩めて、「はい終わりっス! あとは死神サンに任せましょ」パン、と両手を打ち鳴らす。流石は彼だった。事を荒げることなく危険が排除された。

「安心しました良かったです、でも浦原さんが全て対処してもいいんじゃ……?」
「アタシが担当死神サンの手柄を奪っては可哀想ですし、それに今日は大事なデートっスよん」
「そっそうですか、」

 ほっとしたはずなのに動悸が止まらないのは何故だろう。絡まれたのが怖かったせいかな、それとも見慣れない洋服姿だからかな。いやその両方かも、とゆかは堪らず視線を逸らした。

 訪れる無音。ひゅう、と建物の隙間風が二人の間を抜ける。

「……先ほどはボクがあなたを置いていったのが悪かったっスね、軽率でした」

 すいません、と目を合わせずに謝られるのは不慣れで。思わず喜助を見上げた。
 彼には珍しく、ばつが悪そうに眉根を寄せてはそっぽ向いている。喜助の、眼を逸らす所作。昔だったら些細な嘘を吐く際の合図のようなものだったが、今のこれは全くの逆だと理解するとなんだか無性に嬉しくなった。
 そうか、怒っていた矛先は彼自身だった。その上、知らない人達に話しかけられてしまって。もしも彼の立場だったら、同じことを思うだろう。

 ──こうなったのも独りにさせたからって、きっとそう思ってる。

 相変わらず皆まで言わない性格。悟られたくはないのだろう。でも残念、今回は悟ってしまった。ゆかは彼なりの謝罪と恥じらいを孕んだ瞳をまじまじを覗いてから、爪先立ちで背伸びする。一向にこちらを見ない喜助の顔を両手でぐいっと。

「浦原さん、こっち、向いてください」

 いつもと違う、誤魔化せない表情を独り占めしたくて。

「助けてくれて嬉しかったです。それに私は、いつでもあなたのですから」

 絡まれてしまったこちらの不注意もあるけれど。
『ウチの』なんて、少し雑な物言いではあるけれど。
そのたった三文字がすごく、すごく嬉しくて。酷く独占慾に塗れた愛を感じて、それが何よりも幸せで自惚れてしまって、ああもう溶けてしまいそうで駄目だ。
 そんな弾けそうな想いを胸にゆるゆると眦を垂らせば、喜助の面食らったような顔。軽口の多い薄唇は小さく開いていた。

「……ゆかさん、あなたってヒトは……」

 頬を挟まれたままの喜助は、同じようにゆかの両頬をむぎゅ、と挟み返した。

「へへ、あっ、もしかして。もしかしてですけど、さっき妬いてくれてました?」
「自分以外の男と会話されて嬉しい男がいますかねぇ」
「じゃあ妬いてたんですね」
「逆にそうでなかったらあんな風に言います?」
「あーそんなこと言って。素直に妬いてましたって言えばいいのに」
「アハハ、強情なのも年の功ってね」

 互いの頬を挟みあったまま、笑い合う。これはもう仲良しな証だろう。側から見たらよくある恋人同士のいちゃつきでしかないが、幸いなことに此処は路地裏。些か大胆になってしまっても仕方ない。場所がどこであれ一緒にいるだけで多幸なことに変わりないのだから、まあいっか、と微笑んでいると、──。

「……妬きますよ、そりゃあ」

 ぼそり、彼が伏し目がちに零した。

「親しい相手にだってそういう感情を抱くんだ、知らない男に言い寄られて妬かない訳がないでしょ」

 そこまで口早に言ってから、むにゅう、と片頬を摘んできた。

「え、親しい相手って、平子さん、とか?」

 その言下に、もう片頬を引っ張られた。

「あらあらいけない口っスねぇ、ヒトに触られておきながら他の男の名を口にするなんて。これ、前にも言いませんでしたっけ」
「ごめんなひゃい、ふいまへん、まひがえまひた」

 うっかりだと伝わると頬が定位置に戻され、ぐりぐりと軽く揉まれる。
 人の口まわりを餅のようにこねくり回す方がどうかと思うが、喜助は愉快げにしているのでまあいいやと言わないでおくことにした。

「さて、楽しいデートの続きとしましょうか」

 気を取り直して、と喜助が大通りへ誘導する。
 はい、と置いて行かれぬよう小走りに腕を組んで、恋人らしい恰好へ。

「あ、ところでさっきはどこへ行ってたんですか?」
「実はアタシも別の場所で虚の気配を感じましてね、それでっスよ」
「なーんだ、それなら言ってくれれば良かったのに」
「せっかくのお楽しみ中にそんな話をしたくなかったんスよ」

 ほんとうかなあ? と半信半疑で話を聞いては他愛のない会話をして。二人の姿は雑踏の中へと溶けていった。

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