「どーも失礼するっスー、こちらで良かったっスかねぇ」

 気の抜けた声。いつにも増して感情の薄いそれに、これまでの多幸感が削がれた気分だった。

「合うてるから早よ入れや」投げやりに返せば、
「いやぁ、技術開発局のあとに執務室へ伺ったら今日は客間だっていわれましてね、遅くなっちゃいましたよぉ」と間延びした返事。
 平子はへの字口に、「最初っから客間やて京楽サン言うてたやろが、通知見てへんのか」と呆れ気味に声を落とした。

 ゆったりと入ってきた喜助は、想像通りのにやけ面で。総隊長との会合とあって帽子は置いてきたのか、その表情が窺いやすい。

 ──しっかしこれがこの娘のオトコやねんもんなあ、ほんま色事っちゅうもんは分からんなあ。なるほどなあ、さっぱりやわ。

 ちろ、と横目でゆかを一瞥すると、彼女は頬を朱に染め目は右往左往とさせている。

 ──いやいやいや、なんでやねん。えらい温度差やんけ。ジブンら毎日顔合わせとんのちゃうんかい。そもそも来るて分かっててなにビビってんねん。

 平子は上げそうになった真っ当な突っ込みたちをギョッとした眼で呑み込んだ。
 立ち上がったままの京楽は戻ることなく、喜助の肩を労うようにぽん、と軽く乗せると「あとは任せたよぉ」と出て行こうとしていた。

「おや、京楽隊長はもう行かれるんスか? ボクに何かお話があったんじゃ?」
「いいや、もう済んださ。彼女から君らのことは聞いたし、ボクから話はもうさせてもらったから。あとでゆかちゃんから詳しく聞くといいさ」
「そうですか、分かりました」

 普段通りのにこやかな様相で去る京楽は、「あ、浦原店長」と思い出したように眉尻を下げた。

「……お疲れさま」

 平子は悟った、この一言が全てなのだろうと。
 今回の会合はこれに始まりこれで終わりなのだ、と。──現に。飄々とした態度の喜助が珍しくも、驚いたような面を晒している。口では「いえ、そちらこそお疲れさまでした」と丁寧に返しているものの、彼も呼ばれた理由がこれまで耐えた苦慮への恩情だと察知したようだった。

 こうやって二人の会話を眺めると、もしも喜助が復隊していたらと頭に浮かんでならない。が、コイツはそんな道選ばへんなあ、と現世にいるかつての十二番隊副隊長を同時に浮かべていた。

 ──……ひよ里に今の喜助見せたら、『オマエいつまで腑抜けた面さらしてんねんキッショ!』とか言いそやな、ゆかちゃんに会うてもどつきそうやし。……面倒な上にこわぁ、さぶいぼやん。

 遠くないであろう未来を想像し血の気が引く。しばかれたら臨終やで、と心で合掌した。

 そして京楽が退室したあと、入れ替わりでその場所へ喜助が腰を下ろした。「まるで総隊長になった気分っスねぇ、ははは」なんて巫山戯たことを抜かす。
 直前までの神妙な面持ちと空気は一体何処いってん、と溜め息混じりに呆れつつ。「あんなあ、お前が総隊長んなったら護廷の奴らでクーデター起こすで」平子はこめかみをヒクつかせた。

「それは怖いんでボクは現世にいるとします」
「どっちにしろ戻らへんくせによう言うわ」
「まあ、あっちの方が色々と動きやすいんでね」

 そう返す喜助に、やっぱ復隊する気はないねんなあ、と妙に納得した。

「ところで京楽サンの用は済んだみたいっスけど、平子サンはそうでもないって顔してますよね」
「えらい真正面から聞くやん、そりゃあそやけども」
「どうしてゆかサンが戻って来たのか、ですよね。聞きたいことは」

 これまでの浮ついた流れを遮るように、喜助が切り出す。暫く傍観していたゆかの名前が急に出されると、彼女はハッとしながら背筋をしゃんとさせて座り直した。

「そやな。……ホンマに最初ゆかちゃんは記憶失くして帰ってたんやろ? あっちに」

 喜助に聞く代わりに話しやすいよう、ゆかへ問いかけながら顔を向けた。すると先程よりも緊張は解れているらしく、彼女が首を縦に振りながら答えていく。

「はい、記換神機で消してもらったんですけど。でもえっと、私の残留しえん? っていうものがこちらにあったみたいで」
「支援じゃないっスゆかサン、思念っス」
「あっそうでしたっけ」
「支援してたら思念が残らないっスね」
「そうか、そうですね」

 思わず平子の口許が緩んだ、──なんや仲ええな。
 小難しい本題の煩雑さが皆無で、睦まじい様子を魅せつけられたようだった。

「まあ、ボクから簡単にご説明しますとね。彼女の記憶が戻る可能性を考慮して、それが訪れた時には世界を選べるよう選択肢を与えたんス。その際に必要だったのが、今お話にあった残留思念。より強力な思念が残滓としてこの世界に残っていたため、魂魄移動が可能となった訳っスね」

 これまた、めでたしめでたし、と入れたら締まりそうな物言いにすかさず平子が口を挟んだ。

「待て待て、記換神機て欠陥あるんか。まずそこに驚きやねんけど。……それに最後の話やと、その手の込んだ技術も戻る前に予め喜助が用意しとったって事んなるし、ゆかちゃんがこっちに未練タラタラやったって聞こえるんやけど、合うてるか?」

 平子は自身で薄々勘付いた事をまとめながら畳みかける。気を緩めたら上がりそうになる口角を堪え、至って真面目に核心へと迫っていった。
 再び、ちらり、とゆかに視線を移せば、今度は顔を耳まで紅色に染め上げては泡食って。「っ、タラタラって…! そんなこと!」と声を張っていた。

「なんや俺にはそう聞こえてんけど、ちゃうかったかー」
「ちゃっ、ちゃいますよ!」
「へぇー、違うんスか?」
「……ち、違わない、です……」

 茹でだこのように真っ赤にして俯く彼女。相変わらず遊び甲斐のある娘やと、平子はついつい頬を緩めた。
 対する喜助は余裕げに、あはは、と笑っている。案の定こちらの揺さぶりには動じず、淡々と疑問に答えていった。

「ええ。平子サンの仰るとおり、記換神機には脆弱性がありまして。人間にしか効力がない上に、有効性は必ずしも一定ではない。そこを逆手に取ったって感じっスかね」
「ほーん。なんや、最初っから二人とも素直やったらなあ」
「そうしたら元の魂魄の方の意志を蔑ろにしてしまいますから」

 困ったように「これで良かったんスよ」と述べるあたり、入れ替わったというもう一人のゆかとも幾度となく対話を重ねたのだろう。
 別人のゆかとは魂魄移動直後に疎遠になったと聞いていたが、恐らくそれも真実ではなく。初対面とは言え、彼女が普通の生活に戻るまで面倒は見ていたはず。何故なら喜助がきっちりとヒトを観察する性分だと十二分に知っているからだ。

 ──マユリと違うて、コイツはこういうとこあんねんなー。せやから科学者っちゅうのは信用できひんねん。

 平子は耳をかっぽじりながら「ああもー、二人してややこしいわー」と悄気るように声を落とした。

「ええか、これから俺に遠慮とだんまりはナシやで、寂しいっちゅうねん!」

 ええ加減泣くで、といじけるように念を押せば「ハハハ、色々とお話できずにすみませんでしたね」と喜助は声を返す。
 それにゆかも続けて、「何かあったら、いえ、ある前に、ホウレンソウをしっかりしていきたいと思います」そう、キリリと言った。

 この面持ちは会社勤めのそれだ。真面目で堅苦しい姿は最初の印象とちっとも変わらんなと、平子は「いやいやホウレンソウて」とキレのない突っ込みを入れた。

「あ、そうや。五番隊に桃と乱菊ちゃん置いてきてん。暇しとるはずやから、ゆかちゃん遊び行ったり」
「えっ、勤務中じゃないんですか? 平子さんここにいるし、忙しいのでは」
「ほんまに遊び心が足りんなぁ」
「仕事に遊び心って……だってお邪魔じゃないかなと」
「もっと肩の力抜いて遊べ言うたやろ、また俺が教えたろか?」
「ええっとそれは、」
「それは論外っスね、もう教えなくていいってボクが前にも言いましたし」
「喜助に聞いてへんねん、イジメはんたーい」
「いじめじゃないっス、教育方針っス」
「それもそれでオカシイと思うで」

 クスクスと堪えながら口許へ手をあてるゆかへ、平子は目を細めた。

「ええから早よ行き、積もる話もあるやろ」

「はい」と快い返事で立ち上がると、足が痺れていたのかヨロヨロと両脚をフラつかせて出て行こうとする。「おっと危ない」見兼ねた喜助が咄嗟に立ち上がってその肩を支えた。

「あとで迎えに行きますんで、それまでゆっくりしてきてくださいな」

 彼女はそれにコクンと頷き戸を閉めた。

 こうして紅一点が消え、客間に二人残された訳だが。
 平子は、もう解散でええんちゃう? と思いつつ、折角京楽隊長からいただいた公休時間を無駄にするのもなあ、と天井を仰ぐ。一番隊舎の外庭からは、ちゅん、と小鳥の囀りが。重なって暖かな陽射しが。

 ──アカン……野郎と二人はきっついやろ、暇や……。

 すると途端に、ピピッという電子音が部屋に響いた。
「なんや? 伝令神機か?」平子が問うと、喜助は「ああ、コレっスね」と懐から伝令神機よりも小さい探知機のようなものを取り出した。

「何やそれ」
「名付けて、霊圧感知センサー(改)っス」
「おまっ、まさかまたゆかちゃんに得体の知れんもん……」
「ご明察っス! ただ得体は知れてますし、許可も頂いてます」
「そうゆう問題やないねん、倫理的なもんや。立派なストーカーやんけ」
「いやいや、ご本人の公認なんで全くの逆っスね」
「これがストーカーのそれやなかったらなんやっちゅうねん!」
「趣味、っスかねぇ」
「……うっわあ、えらい悪趣味しとるな」
「そんな、ゆかサン自体が悪趣味みたいな言い方されましても」
「ちゃうわ! その情報収集が悪趣味や言うてんねん!」

 再びピピッと鳴り響くそれへ目を落とした喜助は、どこか嬉しそうだった。

「……んで。霊圧になんかあったんか? ゆかちゃん」

 以前のように戦闘や監視のような仰々しいものではないだろうが。何か不穏を感知したのか。

「いえ、単なる霊圧のブレですね。彼女の霊圧は普段はなんともないですが、暫くこの世界から離れていたので、制御が些か不安定なんスよ」
「そうゆうもんなんか。ほんで、なんで急にブレたんや」
「恐らくですが。五番隊に到着して入ったら松本サンがいらして再会と同時に飛びつかれた。逆に雛森サンだと感極まりそうですしね。……とまあ、考えられることと言えば、このくらいかと」
「それだけて。そんなんただのビビりやんけ、いつまで緊張しいな性格やねん……」
「寧ろ彼女らしいでしょ」
「逆や、寧ろ先が思いやられるやろ」

 ははは、と喜助が楽しそうにしているあたり、確約された二人の行く末に心配は無用なのだと悟った。
 彼女の不完全な箇所を喜助が補うような関係性。それはまた逆も然り。喜助に足りない何かを彼女は担っているのかもしれない。

 異なる世界の死神と人間。
 見ていた景色が、流れる時間が、どれほど相反していようとも。二人は一瞬一瞬を共に歩んでいる。平子は絆よりも眼に視え難い姿を目の当たりにし、心底、安堵した。

 ──……喜助、良かったな。

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