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 好きになった人がタイプだと言うけれど、どうだろう。
逆に、タイプの人は? と聞かれて指折り答えられるものは小学生の頃に口にする「足が速い人」と同じ類だと思う。

 浦原喜助、──遠く彼方の世界にいた頃は憧れだった。
 届くはずのない人物。人となりを見て知って、こういう人の生き方もあるんだな、から始まる憧憬は悪くなかった。だが同じその世界で「憧れは理解から遠い」とも学んだ。昔の雛森のように盲信するが如く憧れていたらそうなのかもしれないし、深く理解していても尊ぶ場合だってあるのかもしれない。どちらも、もしもを語る空想論だけれど。

 ──まだ寝てるし、さっき起こしたのに。

 目の前で、縁側寄りの広い廊下に寝っ転がる店主。
 今にも涎を垂らす勢い、見た目はぐうたら。顔立ちは端正。無精髭は好みではない。髪の色素は透明感があって好き。前髪の真ん中だけ長い拘りはよく分からない。切れば幾分スッキリすると思う。痒くないのかな、とも思う。これは単に自分の好き嫌いの話であってタイプかどうかはまた別だ。

 じっと喜助を見下ろすゆかは、研究熱心でお疲れな彼を休ませてあげよう、と覗き込むように屈んだ。

 ──昼間からいびきをかくほどの爆睡、……うん、かわいい、けどさ。

 好きになった人がタイプ、それはつまり中身の話なのだろうか。
 特徴的な好き嫌いを並べても、堂々巡りばかりで締まらない。基本的に温柔な人だと思う、少なくとも自分には。
 ──いや当たり前か。
 ただ俗に言う優男に近い時もあれば、自分を通す我が強い時もあったりする。口先は浮ついていて揶揄が趣味、信用ならない事も多い。科学者の割に人の想いや絆に妙な拘りを持ってる節がある、気がする。過去、一護を追ってきた同級生たちに「あれで絆を断ち切った気でいる」と想いの強さを侮らないでいたり、「想う力」に「半端な覚悟」と自ら忠告したり。

 ──想ってくれるところ、が好き……? いやいや私、何でこんなこと急に、不安になってるのかな。

 彼はフラついているように見えて、志が強い。どうして想われているのか、自分もしっかりと想えているのか? 所々胸に閊える疑問。
 こちらへ帰ってきた時に説明された複雑で難しい概念の話もあった。だがそれらのどれも好きになる起因が狭くて、聞こえもおかしい。
 なのに事実、好きだなあ、と思っている。不覚、深く。

 ──ほんと、自分でもなんで好きになったのか、いつの間にか過ぎて。……それにしても、折角お店にいるのに寝過ぎでは?

 漠然とした不安感を覆そうと想い起こすは、これまでの馴れ初め。揶揄われたりいっぱい話したり、冗談だったり真面目腐ったり。
 その中で段々と意識し始めたのかもしれない。でもハッキリと自覚したのは家へ帰宅命令が出た時だった。それまでは緊張も当然していたが、その先は特に感じなかった。異性として好きだとか考える余裕が無かったからか、あの頃は異世界に化け物という眼に視える問題ばかりを重視していた。

 こうして暫く屈んだまま。不純な瞑想を重ねていると、自身の眉間に皺が深く寄っていた。

「……あんまり見られてると顔に穴が空いちゃうんスけど」

 急に話しかけられて心臓がどきりとした。
 目を瞑ったままでもこちらの気配を感じてくれるところは、無条件に嬉しくて、好き。

「見てないですよ、起きてたなら寝たふりしないで下さい」
「ちょうど今気づいたんスもん。そんなに刺さるような視線くれちゃって、ほんとうにゆかサンはアタシのこと大好きなんですねぇ?」

 そうやって片眼を開けながらヘラヘラと軽口叩くような性格は本来タイプじゃない、のに。言われて肯くのも本当は癪なのに──。

「……そうみたいです」

 零れ出たのは惚れた弱みを認めたような不貞腐れ声だった。自分でも素直じゃないし、どこか腑に落ちない。だが彼の言う通りなのだ。
 すると喜助は何かあったのかと驚いたように両眼をぱちぱちと瞬かせた。

「……小難しい顔して好意を伝えるなんて、一体全体どうしたんですか」
「私だってよく分かりません、けど。タイプってなんだろう、どうしてそれが昼間っから寝てるぐうたらな人なんだろうって」
「ええっ! ゆかさんそんなこと考えてたんスか、流石のボクも傷心っスよ」
「違うんです、……色々考えてたけど、それも含めてかわいいなってなるくらい結局、浦原さんを見てると、ですね」

 始まりから今の心境までを吐露していたら、仰向けの喜助から目を逸らしていた。あんなにタイプとは何だ好き嫌いとは何だ、と逡巡していたのに、様々な概念は全て消え去っていく。この人の前ではそんな議論は無意味なのかもしれない。

「見てるとなんですか」

 下から手を伸ばした喜助は、両頬を挟むように添えた。ああそうか、理屈なんて必要なくて。ただ、ふっと、貴方への想いが燈る。
 そうだと確信へ至ると、後は音に乗せるだけ。ゆかは乞われた願いに応えていく。

「……好き、だなあって」

 相変わらず不服げな顔を晒しているのに、それでも彼は呆れずに聴いてくれた。

「あの。そんな風に言われたら、ボクも冗談ばかりで済ませられないでしょ」

 そう言ってから喜助は両手を首裏に回し、上へ乗っかるように引き寄せる。「わっ、」落ちる先は、はだけ出た胸板。いきなりの事に勢いよく赤面する熱を感じた。目のやり場に困る。ゆかは作務衣から覗く隆々しい肌を避けながら、その額を遠慮がちに襟元近くへと移動させた。

「まだ分かっていただけないのか、ボクが貴女を不安にさせてしまったのか。科学者や研究者って結構しつこい性質なんスよ。諦めが悪く執念深い、よく言って粘り強い」

 彼は幼子へ言い聞かせるように、ぽんぽんと後頭部を撫でる。

「は、はい、知っていたはずなんですが、すみません。私がどうでもいい考えをして、──」

 ああもう変なこと言わなきゃ良かった。
 目の前で寝られている普通の日常に、独り勝手に不安がっていたのかもしれない。そんな必要はちっともないのに。共に過ごせられる時間を見誤って焦って、生き急ぐ。自分の悪い癖だ。折角一緒にいられるのに、と不必要に悄気てしまって。

「とは言ってもです。ゆかさんの性格を考慮すれば、限られた時間の中で共に過ごすことに重きを置くべきですし、ボクもあなたに飽きられるのだけは御免被りたい」

 どこか寂しげに響いた後、彼は独り言のように続けた。

「……これが上手く伝わらないのは僕自身に憤りすら覚える」

 その声音は先ほどよりも小さく、辛辣にも聴こえて。
 今。どんな表情でこれを告げたのか、興味本位で頭を上げようとしたけれど、少し浮かせたあたりで肩口へとぐっと押さえられた。
 一瞬だけ見えた瞳は、彼自身に納得のいかないような。あまり見慣れないものだった。

「ものすごく情けない顔してるんで、見なくていいっス」
「え、いや、別に私は責め立てたりしていた訳じゃ、」
「もちろん分かってます、自分の技量不足に呆れただけですから」
「浦原さんが? 技量不足? えっ意味がわからない」
「いえ、それは分からなくていいんで」

 ようやく顔を上げさせたと思えば、続くはずだった声を遮るように口づけを。きっと彼は言葉よりも行動で示す人なのかもしれない。いつもみたいに軽口で好意を告げるのかと思いきや、先に唇を降り注がせるのだから。一旦離しては、糸の引くそれに再び引かれ、「ん、」角度を変えながら重ねていた。

 ──好き、って、考えたって仕方なかった、

 重ねる度に想い出す、初めてしてくれた時のこと。心臓を差し出してもいいと喜悦に満ちたこと。それは柔らかくて、優しくて、時に荒くて。
 ぼんやりと思い返せば、彼の慾望を押し付ける姿ばかりが浮かんでいる。正に今、深い接吻行為に及んでいるのに、頭の裏では同じ光景を描いて思い出してまた刻んでいる。

 ──どうしてこの人をって思うことも、不安がっても。ふと好きで、理屈なんかなくて、

 口内を這うように刺激され続け、苦しくなると「ふ、はあ、」と嬌声に富む気息を落とした。自分でも思う、不埒なほど煩悩塗れで、とんだ痴女かもしれない。一気に蒸気が上がって熱をあちこちに恍惚と。

「あなたにどんな風に想われようと、好きですから」

 知っていて欲しいとでも言い募るような言い草で、喜助は鼻先が掠めるほど近くまで顔を寄せる。彼の言葉は嘘が多そうに見えて、いつだって真っ直ぐに響くのだから、絆される。

「私、ずっと寝てる浦原さんも、子供っぽい浦原さんも、男らしい浦原さんも。どれも全部好きですよ」

 心配させてごめんなさい、と笑って告げた。
 顰めていた眉根をようやく緩めた彼は、安堵したようだった。

「そんな。本来謝るのはボクの方なんで。
 ……どうです、お詫びにここで一緒に二度寝でも、──」
「いや、それはしませんね」
「即答とは厳しい、少しくらい考えてくれたって」
「ですが困りました、この特等席からは降りたくないのです」
「特等席」
「わ、わたしだって思ったことくらい言いますよ」
「あー、それはもっと言って欲しい」
「……検討します」

 遥か雲の上にいたはずの彼は、いつだってすぐ隣で嘘偽りのない想いを届けてくれる。すっと浸透して、常に心の内側に居るかのように感じるから不思議だ。

 どこの世へ移ろうとも『遠くて近きは男女の仲』なのだろうか。ならば、かつての世界で抱いた印象に対して、どうやら少しだけ思い違いをしていたらしい。

 浦原喜助は、憧憬よりもさらに遠くて到底理解の及ばない、それなのに、傍で寄り添ってくれるとても情愛深いひとだった。

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