運ばれている間、ふ、と目蓋を下ろした。溜め息代わりに瞑ることで気分を和らげる。そうして戻ったら敷布団へゆっくりと降ろされ、熱を帯びたまま喜助を見上げた。

「今、お薬持ってきます」そう言って布団を肩までかけてくれる。よいショ、と零した喜助が立ち上がろうとした時、ゆかは離れかけた彼の作務衣の裾を、無言で掴んでいた。

「……珍しいっスね」

 さては寂しいんでしょう、なんて揶揄うんだろうなと覚悟していたのに。今日はそうしてこない。流石の彼も状況を見て控えたのか。

「もう少し居てもらっては、だめでしょうか」

 自分でも驚く。こんな言葉が恥じらいもなく出てくるなんて。相当疲れているのだとは自覚している。それでも口が勝手に動いたことに吃驚した。
 すると立ち上がりかけた喜助は体を再び戻し、胡座をかいた。

「駄目な訳ないじゃないですか、当然のことを」

 今度はこちらが「珍しい」と言いたくなる。揶揄どころか冗談のひとつも言わずに向ける柔らかい笑みに。いや、普段の自分はどれほど彼を天邪鬼だと感じているのだろう。密かに反省した。

 そしてゆかは、ありがとうございます、と喜助を眺めたままはにかんだ。居て欲しいと頼んだ手前、視線を外す事は失礼ではと妙な気遣いが走った。

「ところで。見ていたのは一体どんな夢です、時に鬼道を放ちそうな霊圧の荒れっぷりですが」
「……ええっと。あまり言いたくはないんですが……」
「悪い夢は話すと吉だって聞いたことありません?」
「うーん、聞いたことあるような気もしますけど、あんまりよく知らないです」
「逆に良い夢は他言無用、なんてのも聞きますよ」
「浦原さんってそういう迷信を信じてるんですね、意外です」
「信じる信じないはまた話が別ですが、貴女のことはなるべくあたしも共有したいんですがねぇ」

 さらりと言ってのけるこの男は狡い。計算尽くしを匂わせないほど、さり気なく狡猾。これでは言わない理由がない、というより拒みたくない、という心理へ持っていかされる。

「……あのーあれです、破面の、」
「ああ、魂魄移動を引き起こし元凶となった」
「はい。首元を捕まえられたら離されて、頭から落ちていくんです。落下直前でいつも目が覚めて、」

 はあ、と浅い溜息を共に天井へ視線を向ける。
 薄ら目を開けていると、喜助は「なあんだ」と何故か安堵したような色を浮かべていた。その表情にゆかは眉根を寄せる。やっと意を決して口外したのにどこか軽く捉えられて解せなかった。

「ああ、すみません。大丈夫っスよ。あたしがその悪い夢を消してあげますから」

 大口を開けて微笑む彼はとても自信満々で。それが小さな子供へ言っているようにも聞こえて少しだけむっとしそうになった。
 そんな疑心を秘めていると、喜助は「ただその前に」とすっと立ち上がって廊下の奥へ消え、また戻ってくる。

「お薬飲みましょ。万能薬なんス、コレ」

 手にはどこからか持ってきた薬詰の小瓶。
 万能薬と言う割には、市販の風邪薬のようだ。普通の薬なのでは? と不信を抱けば、ああ彼のことだから思い込みで効きやすくなる『プラシーボ効果』を暗示したのかも、と雑念が浮かんだ。

 彼は、はい、と言って錠剤らしきものを出して見せる。だが一向に渡してくれず。ゆかはその様子を見上げながら、小首を傾げていた。

 すると突然、喜助は躊躇なくそれを自身の口へ含む。
「ちょっ、──」何して、と戸惑いの声を上げた直後。有無を言わせず迫り来る瞳、鼻先、そして唇。相変わらずの端正な顔立ちだなんて褒め称える余裕はなかった。

 喜助はへらへらと口角を上げている。
 この状況下、この後に起こりうる行動を直感で理解すると、鼓動は強制的に速まってしまう。

 ──う、うそでしょ。

 流石にこればっかりは慣れるものではないし、慣れたくない。え、いや、ちょっと待って、心の中はかつてどこかで得た焦燥感に圧倒されていた。どこかで、じゃない。これはあれと全く同じ。英雄の如く助けに来てくれた、あの時と。

 ──いやいやいや、って過去と重ねてる場合じゃない。

 当時は、近寄る唇に驚愕して、自ずとぎゅっと目を瞑っていた。いや今でももちろん驚いているし、ぼんやりとした意識ではあるが、目は開けていられる。不慣れなりに今なら避けられる。今回はそうはさせない、とゆかは布団からすっと腕を上げ、咄嗟に両手で口許を覆おうとした。

 少しの余裕ができたことを良い事に、「もうその手には乗りませんよ」と得意気に口を開けた。

 ところが。突如、視界が暗転。目の前が真っ暗に。目蓋は下ろしていない。「えっ?」額周りがほんのり冷えたような、それでいて硬く骨のある温もりを感じる。と同時に、気付く。──喜助が両眼を大きな掌ひとつで隠したのだ、と。
 途端にひと握りの余裕は尻尾を巻いて逃げ、心は丸腰になったように慌て始めた。

「え、見えな、ああ、ちょっと、あ……」

 彼の指でくい、と顎を引かれ、自然と下唇が開かされる。

「はい、病人はこうやって呑まされてればいいんス」

 ああ結局、またこれだ。
 おまけに今回はタチが悪い、前が見えないというのだから余計に。特段両手は抑えられている訳でもないのに、視界を支配されているとこうも人は無抵抗になってしまうのだろうか。未知なる状態に緊張感が増した。

「ま、」

 待って、さえも言い切ることが叶わず。
 こうして相手の思惑のまま唇が重なり、内部には錠剤が押し込まれ、ぬるりとした触感が侵入する。前回と違って嚥下や呼吸に問題はないというのに、喜助の舌は奥近くまで掻きまわすように這ってきた。

「……んんっ、」

 ごくん、と固形が一気に器官を下る。
 直後、喜助が息を吸う間は一秒にも満たない。光を通さぬ暗闇の中で、湿った音が何度か響いた。薬を飲ます行為は既に終えているのに、押し付ける唇は愚か、彼は目蓋から掌を離すことさえもしてくれなかった。

「ハハ、どうっスか、たまにはこういうのも」

 掌の向こう側でにんまりと笑う喜助が容易く浮かぶ。ゆかはむすっと口を一文字に結んでから、苦言を呈した。

「どうって……! 全然前が見えませんし、わっ私は、どちらかと言うと浦原さんが見えた方が、──」

 良いです、と告げる前にようやく視界が開ける。そして予想は的中、嬉々とした表情の喜助が待ち構えていた。

「あはは、すみません、アタシもそういう趣味はないんスけどね。でもほら、イヤ〜な夢のことなんてすっかり忘れたでしょ?」

 取って付けたような理由を並べられるも、確かにあの悪夢による恐怖心はすっかり消え去っていた。「ええ、まあ……」ゆかは渋々そう納得しながらじっと顔を見やる。ただ、これをへらりとした彼のお陰と捉えるのは些か腑に落ちない。

「ですけど。前と同じやり口ですよ、二回目です。しかも今回は不可抗力でもないんですからね」

 まったく、と呆れ半分に返すと、喜助は「あ、イエ、あー、実はっスね」と頬をぽりぽりと掻きながら言いづらそうに口籠った。

「……コレ、三回目っス」
「はい?」
「ですから、三度目でして。あなたに口移しするの」
「……は。な、本気ですか、ふざけてるんですか」
「至って本気ですね」
「いっ、今まで知りませんでしたよそんなこと!」
「だって今初めて言いましたもん」

 こちらの抗議は彼の心へ微塵も響いている気がせず、項垂れた。いや横になっているのだから、体勢は項垂れようにも頭を抱えようにもできないが。心の奥の何かが深く垂れ下がった。一旦整理をつけるため、ゆかは目頭を押さえる。

「……一体いつですか、それ……」

 唐突に明かされた事実、不本意だが柔軟に受け入れるしかない。

「最初の頃、悪夢を見ないようにする薬を投与したって言ったじゃないスか。あの日の夜です、あなたの家で。深く寝られてしまったんで、致し方なく」

 あんまり昔まで遡ったのでパッと目頭から指を離し、そう言えばそんな事もあったっけ、と記憶が回帰した。そうして沸々と、過去は蘇り。

「あ、それ闇医者だと思った時だ」
「え、なんスかそれ、ヒドくないっスか」
「いやだって勝手に薬を入れたって聞いてたので。……って、そんなことはいいんです。それより、ほんとうのほんとうに口移しで投薬したんですか?」

 あれはまだ出逢って間もない頃のはずだ。心底驚いた、あの時にはもう喜助と唇を重ねていたとは。とても信じ難い。元来の性格を考えたら不思議でならなかったし、彼の正気を大いに疑った。

「はい。あれこそ不可抗力でしたし。起こそうにも意識はほぼ持っていかれてたんスよ。…そうしなければ、ゆかさんの魂魄は悪夢によって内部から喰われていた」

 一変して今度は真面目腐った顔で言いのける。少しでも揶揄してくれたらまだ心持ちが変わるのに、当の本人がこの様相で口移しの事実を告白したら、こちらの調子が狂うばかりだ。

「なんでそんな大事なこと言わないんですか」
「あら、大事だったんです?」
「う、浦原さんからしたらそうでもないかもしれませんが、私にとっては──」
「大事なことでしたか」

 あ、しまった墓穴を掘った。と思いつつも反論するのは止めて、ゆかは困ったように視線を逸らした。関係が全く異なっている時の行為を知ってしまい、それに対してむず痒い羞らいを覚えると、うまく喜助の眼が見れなくなった。

「色々と事後報告でスミマセン。ですがもちろん、僕にとっても大事なことっスよ」
「……そうですか」

 ああもうやっぱり熱のせいだ。
 普段だったら、まだ知り合って間もない相手にですよ! とか、ずっと黙ってるなんて! とか口先で虚勢を張っているはずなのに。ただただ調子が狂う、恐らくどこかにネジを落とした。多分、夢の中で落下中に落としてきた。

「まあまあ、そんなにいじけなくても」
「いやいじけてなんかないです」
「ところでゆかサン。顔の赤みもひいて、万能薬はよく効いたようですよん」
「あ、でもお薬飲んだら本当に楽になってきました、ありがとうございます」
「いやぁ、『アタシの』万能薬が効いたんスねぇ」

 コレコレ、と喜助は掌をひらつかせながら唇をすぼめる。ゆかは、全くこの男は、と口があんぐりしかけ、──。

「だ、誰が万能薬ですか! 私にそういう極端な趣味は全くなくて、第一、緊張しますああいうのは」
「……あのー大変申し上げにくいんですが、それってご自分で興奮したって言ってるのと同じですよ?」
「そんなことは微塵も思ってないですし、してもないので申し上げなくていいです」
「はは、ゆかさんは案外強情のようだ。まあ、この続きは全快するまでお預けってことで」
「…………」

 ──続きって何をだ。そう聞こうにも肯定しようにも。不埒に響く物言いに、じっと見やる視線で察しろと訴えるしかなかった。

「そんな怖い眼しても喰べたりしませんから、ご安心を」

 含み笑いを浮かべた喜助は額へ、ちゅ、と音を立てる。柔らかな唇の感触。食べないと言ったそばから残される熱い湿り気。安心と呼ぶには警戒心が勝り、思わず「ん、」と身構えた。

 ひと昔前の暴露話をされたせいか、記憶の残滓から呼び起こされたのは地下勉強部屋での行為。当時は曖昧だった『おまじない』は、さては口づけだったな、と確信へ至ると同時に、今の会話を上手い具合にはぐらかされたような、気がしなくもない。

 ──てことはやっぱり喜助さんって、キス魔のエロ店主だ……。

 それに緊張を興奮だなんて。一体何をどう変換したらそう捉えられるのだろう。ちっともイコールの感情ではないのに。
 さっきの動悸は嬉しいから舞い上がっていた? いや、そんなことはないし、そんな風に思い直したら自滅する気がする。最近話したガールズトークも重なって、邪な念がぐるぐると蔓延った。

 ──今は体力回復に専念しよう、そうしよう。

 小難しいことはもう降参だ。

 ──今日のところは、おやすみなさい。

prev back next

×
人気急上昇中のBL小説
BL小説 BLove
- ナノ -