こうして週末だけに訪れる浦原商店。
 以前は匿われたとあって長いこと住まわせてもらっていたが、喜助との関係が一変すると以前のように住むには気後れに遠慮を感じ、同居は控えた。
 商店の戸を前に、喜助は繋いでいた手を離して立ち止まる。

「ゆかさん、金曜からと言わずに木曜からいらしてもいいんスよ?」
「それ承諾したらどんどん前倒しする気じゃないですか」
「ありゃりゃ、バレましたか」
「バレバレです」

 元々一人暮らしをしていたのだから、働ける内に働いて生活には減り張りをつけた方が良い。特に話し合って決めたわけではない。この馬鹿真面目な性格がそうさせているのだと思う。

 兎にも角にも、長かった一週間。今日を終え、ほっと息を吐いたゆかは喜助の後に続いて「ただいま」と上がる。それが聞こえたのか奥から、お帰りなさい! と子供たちが廊下へ顔を出した。さらにその背後から夜一がひょこっと覗かせて。

「おーおー。姫君のお帰りじゃ」
「だ、誰が姫君ですか……やめてくださいよ」
「まあ喜助が殿方というのも不平に不満ではあるがの」
「ですから姫君で話を進めないでくださいって」

 もう、と呆れ顔で靴を脱ぐと、いつかの十三番隊舎での会話が蘇る。あの時も夜一は自分を『姫さまじゃ』なんて言っていた気がする。あの頃となんら変わらないやり取りと同時に、同じ想いが掘り返された。

「そもそも姫さまは夜一さんでしょうが」

 ただ。あの頃と変わった事と言えば、少しだけ事情を話せるようになったこと。
 前の居場所でこちらの事情を知っていたとは明かせないものの、別世界から魂魄移動をした事実だけは共有できた。最も、喜助の配慮があってこそだが。

「儂には身に覚えがないのう」

 したり顔で笑む夜一は、自分がずっと黙っていた理由を問うことも責めることもなく、至って普通の処遇を持って接してくれていた。引っ越してきたと繕うため嘘を重ね続けていたのに、この世界の住人は一人も責めたりはしなかった。どうしてか励ましの言葉なんかを貰ったりして。不思議な、それでいて確かな安堵感で満たされていた。

 そして唐突に「そうじゃ神野、儂と風呂にせんか」と誘われる。テッサイの腕に縒りをかけた夕飯にはまだありつけないらしく、代わりに夜一が先に湯を沸かしていたようだ。懐かしいお誘いに、じんわりと心が休まっていく。
 ゆかはそれに「いいですよ、入りましょう」そう快く応え、以前はよく入っていたな、と懐古した。

「えー、夜一サン。それはボクの役目じゃないっスか普通」
「お主には不平不満があると言うたろうに、まだ青いわ」
「そんな、勘弁してくださいよぉ〜」
「残念じゃったな、暫くは任せておけんのう」

 なにやらこの二人にしか分かり得ない事情があるようだった。夜一は喜助に対して何かを根に持っているような、いないような。にしても。喜助と共に風呂へ入ることに関しては、自分も気が引けてしまうので、正直ほっとしてしまった。

 ──単にそういうのには無関心なのでは。喜助さん長生きしてるし、でもやっぱり興味、あるのかな……いやあるよね、普通……。

 二人のやり取りを苦笑気味に眺めては、脳裏に浮かべてしまう。接近することに不慣れとは言え、喜助側からは多めに触れてくる上にキス魔ではある、と思う。それは戻ってきたあの日を思い返せば簡単な答えであり──。けれどもそれだけだ。だからってどうすることは無い。夕刻から一体自分は何を考え始めているんだろう。
 商店へ戻って早々、ふしだらに不埒で破廉恥な考えばかりが巡り、ゆかは悶々とした謎を引き摺りながら風呂場へと向かった。

 ──だめだ、変なことを考えすぎちゃよろしくない。だめだめ、こんなことばっか考えてちゃ。

 不浄な煩悩は悪だ、とまるで僧侶にでもなったかのように己を律する。ゆかは何を頑なに拒んでいるのか、自分自身ですらどうしたいのか分からなかった。
 借りているいつもの和室へ荷物を置いたあと、脱衣所で心を入れ替える。

「夜一さん、入りますよ〜」

 先に湯船へ浸かる彼女へ声をかける。ガラリと開けると、夜一は両腕を縁にかけながら宙を見上げていた。

「良い湯じゃぞ、早よ入れ」

 ゆかは軽く体を流してから、向き合うように湯船へ浸かる。

「ああ、いい心地です、最高ですー。お風呂ありがとうございます」
「そうじゃろう。やはり儂の湯加減は格別じゃな」

 彼女は誇らしげに笑うと、悪巧みをしたような表情を自分へ向けた。

「……さて神野、がーるずとーく≠始めるぞ」
「ええっ、なんですか急に」

 この顔はもしや。何かを根掘り葉掘り聞かれるのでは。
そう脳裏に浮かべた途端──。ゆかはまずい、と「か…髪でも洗おうかな」と脱出を図る。が、自分の腕は褐色のそれに止められた。

「っと逃げるな逃げるな、その為に風呂へ誘うたんじゃからのう」

 けらけらと笑い飛ばす夜一は「全くお主も青いの」と零した。観念して湯船に戻ったゆかは、溜息混じりに声を返す。

「ガールズトークするものなんてなにもないですよ、私」

 現に進展はないのだから、とまでは言えずに察することを願ったがどうだろう。

「どうじゃ、喜助との相性は」

 儂に言うてみよ、とあっさり言ってのける夜一。察するどころか遠慮という言葉もないらしい。願うことは諦めた。風呂場にいるというのに、土足で上がる言い様にもはや呆れもしない。明け透けな物言いこそが彼女の性格なのだから。

「えっ、と……相性というのは、性格、でしょうか」

 頬を赤らめるのは湯加減のせいではない。
 こんな話をする状況を恥じるのは当然だと思うが、夜一にとっては大したことではないように見えた。そして案の定、「阿保、」と一蹴される。
 彼女の言いたいことは正直解っていたものの、少しは悪足掻きでも、と口を濁しつつ逃げたのだが無意味だった。

「なんじゃ。やはりな、まーだ手を出されておらんとはのう」
「ま、まあ……。あんまり興味がないんじゃないんですか?」
「はっは、生温いな。お主は関心あろうに」
「よく、分かりません……私にそういった色気はないようですし」
「まあ儂のようなものはないな」
「そんなはっきりと言いますか」

 ゆかは意気消沈の如く、悄気ながら目前のたわわな実りへ視線を落とす。自分のそれとの落差に深い溜息を漏らしそうになった。そんな空気を払いのけるように、夜一は一層明るく声を上げる。

「まあ落ち込むな、そんなものはどうとでもなる。いけ好かぬ事はひとつだけじゃな」
「ひとつだけ、とは?」

 夜一の言わんとする事を呑み込もうとすると、彼女は持論を述べ始めた。

「喜助が一言『良いな、抱いてやろう』と云えぬのが問題じゃ」

 そう告げたあと、褐色の掌をゆかの頭に乗せてがしがしと荒々しく撫でる。

「神野を大切に思うとる証拠じゃがの」

 夜一はふっと目を細めて笑った。
 毎度のことながら。髪に触れる手もその表情も、戦いを極めた人とはやっぱり思えなくて。心まで強くて人思いで頼れて、自分と対照的な彼女に、じわりと目頭が熱くなる。

「……こんなことまで気をかけさせてしまって、すみません」

 全く色恋沙汰もいいところ。あまりの進展のなさを見兼ねた夜一が助け舟を出したのだと思うと、情けなさに不甲斐なさを重ねた。

「まあ、大舟に乗った気持ちで儂に任せておけ」

 素直に『はい』とは言えぬ言葉に、ゆかは「えっあのっ、変なことしないでくださいね!?」と慌てて声を張る。

「はっはっは、なあに案ずるな」
「いや、案じます案じますって。夜一さんの言う大舟は勢いよく大破しそうで」
「ほーう? 神野ー。言うことが喜助に似通ってきたか?」
「えーそんなことないですよ、どこがですかぁ」
「なんじゃ嬉しくはないのか、やはりお主らは不思議じゃな」
「だって私は胡散臭くなりたくないですもん」

 あはは、と笑い飛ばした声が浴室で反響していく。
 普段は烏の行水の如く終えるこの時間も、二人で入ればこんなに楽しくて。ガールズトークなんて柄ではないけれど、たまの華金な女子会は悪くないと思えた。

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