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「喜助、お主も性悪じゃのう。神野が不憫じゃ」

 人の姿へ戻った夜一は、戸にもたれ笑みを浮かべている。ゆかを布団へ戻した喜助は、胡座をかきながら性悪とは心外だ、とでも言いたそうに夜一を見上げた。

「夜一サンこそ、猫の姿で聞き耳立てるなんて、悪趣味っスねぇ」

 早い段階でゆかに強力な薬を飲ませ、話をしても気が動転しない程度で済ませるつもりだった。彼女は知らなくて良いことの方が多い。その算段が早々に悟られてしまうとは。何百年という長い年月を共に過ごした昔馴染み所以か。
「フン、」と夜一は鼻で返事をあしらって、喜助を上から見下す。

「儂がおるのを知っておって、悪趣味が聞いて呆れるわ」
「居たことを知ってるのもバレちゃってるんスか」
「やだなぁ」

喜助が扇子で隠しながら立ち上がって、反対側に置いてあった帽子を取りに向かう。

「これからが正念場じゃぞ」

 気合いの入った夜一を見るのは、今があまりいい状況ではない事を意味する。
 悪い意味ではなく、戦いに本気になっているということ。
 それを重々理解している喜助は、小さく答えた。

「……そっスね」

 そう言って、昨晩ゆかを見守っていた場所へゆっくりと腰を下ろす。正念場、確かにそうだなと思いつつ、寝息を立てる彼女を見た。

「ま、あちらに一報は入れておきますよ」

 夜一は「報告は任せた」と面倒事を喜助へ頼み、部屋を後にする。残された喜助は、はあ、と溜息を零した。正直、この何の変哲も無い女性をここまで匿う気は無かったのだが。突如現れたこの異変を理解しているのか。一方で、あまり深く理解させたくない気持ちもある。自分達の生きる場所は、死神の世界。生きる時間が異なる人間とはなるべく馴れ合わない方がいい。
 だが、目の前で護られるべき命が消えていくのを傍観する訳にはいかなかった。良心が痛んだからか。心持ちがどうれあれ、今後に起こり得る可能性を考えていくと、やはり彼女を置いて監視すべき、と自己解決へ辿り着く。

 ──あんまり、今回のは関わりたくないんスけどねぇ。

 さっき夜一に言われた性悪もあながち間違ってはいない。厄介事は隠しておきたいし、この事象にも見て見ぬふりが出来たら良かったのに、とも思う。だが手を差し伸べた。辛そうな表情に同情したか、傷を負わせた償いか。どの理由をとっても偽善にしか聞こえない。自分の為ではなければ、彼女のためでもなく。世界の崩壊を防ぐため。このまま放った所で世界は傾くだろうと割り切って、仕方なく今の事態を受け入れるという選択肢しかない、のか。

「……さて、どうしたもんスかね」

 どうも落ち着かない。被ったばかりの帽子を隣へ置くと、息が漏れる。そして木目の天井を見上げて、また一つ。
 さっきは揶揄い半分で接してみたが、彼女はあまり冗談を好まないらしい。夜中に目が覚めた時も、こちらの揶揄い文句に黙って耐えているようだった。普段の会話では、周りから突っ込まれたり冗談で返されたりする事が多いために、彼女の反応には少々戸惑いを覚える。恐らく彼女は真面目な性格なのだろう。
 助けた時には事の悲痛さに堪え、粥を食べさせる時も疑心暗鬼になったと思えば、すんなり口に運ぶ。表情が秒追うごとに変わって、その本意が掴めない。彼女はきっと御守りをくれた店主、助けてくれた人、程度にしか自分を認識していないはずだ。なのにどこか、妙な、──。自分を差し置いてでも、やりにくいな、と感じたのが本心だった。彼女の寝顔を見下ろしながらそんなことを思っている自分は酷い奴だな、と自嘲した。

 ──記憶を消してもいいんスけど。消したところで、同じことが起きますし。

 だが、自分のせいで彼女を傷つけたという自覚はある。罪悪感を感じていないと言えば嘘になるが。その償いの為に行動するのは好ましくはない。何百年と生きていれば、後悔など幾らでもある。
 ……と、心ではわかっていてもこの感情は溢れる訳で。結局は、この情こそが、今の自分と彼女の唯一の繋がりなのかもしれない。そう得心させた。そんな不真面目な考えをしながら、ふ、と視線を落とせば、小さく寝息を立てるゆかの口が少し開いていた。薄い唇がゆっくりと動いている。

「まって、」

 誰かの夢でも見ているのか、どうやら彼女にも大事に想う人がいるようだ。そう思うと、この命を助ける事に別の意味も伴う。この現状を繋ぎ止め、彼女を危険から遠ざければ、喜ぶ人もいるのだろう。側に置く理由をあれこれと考えるのは、疲労困憊するだけかと彼女の寝顔を見て悟った。彼女の寝言を耳にして、我に返っていく。さて本来の自分の仕事に戻らねば、と意気込みを戻した。

 ──夢を見始めたら、そろそろっスかね。

 喜助は真剣な面持ちで、ゆかの様子を見守った。

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