§


「ちょっといいかい? 平子隊長」

 隊首会の終わりに京楽から話しかけられた平子は戻ろうとした足を一歩引いた。

「はーい何ですかー総隊長」と、なんとも面倒そうな声で体を室内へ向き直す。
 京楽は、呼び止めて悪いね、と申し訳なさげに続ける。

「少し前に来てた神野ゆかちゃんて娘がいたろう。……覚えてるよねぇ?」
「あーはい。桃が長いこと面倒見てたんであの娘のことはよう憶えてますわ」
「実はさっき店長さんが来てね、報告がてら伝言を頼まれたんだけど」
「ほーん喜助が。俺に直接言わんと、ですか」
「うん。でね、彼女のことは原因不明による霊力並びに記憶の消失ってことでみんなに周知しといて欲しいってさ」
「……ハイ?」

 唐突に理不尽な役回りを振られ、平子は瞬時に悟った。
 京楽があの内情を知っていることも、喜助が自分を避けた訳も。

「はは、だよねぇ。そういう反応するだろうと思ったよ。ボクから言えることはこれくらいしかないんだけど……きっとまだどこかにいるかもねぇ、彼」

 そっと片目を細めた京楽は、この後の行動を察するかのように声を低めていた。

「……なんや伝言や言うても結局ど突きに行かなあかんのかい」

 そう独り言ちた後、平子は「言付けご苦労さんでしたァ」と京楽の元を離れていく。その表情は誰が見ても虫の居所が悪そうなほどに険しく、顰めていた。
 出て行く平子を見届けた京楽は、遠巻きに見守る七緒に柔らかく微笑む。

「……いやぁ若いっていいねぇ」溜息混じりに零して──。

§


『どこかにいる喜助を探してこい』との命にも近い情報を受けた平子は、幽かに残る霊圧を探ってある場所へと辿り着く。そこは十二番隊にほど近い通り路だった。すれ違う白い作業着を纏う死神たち。技術開発局に用があったのかと推測するも、今はそれすらもどうでもよく感じられた。

 ──こうもわかりやすい足跡残しおって、隠す気更々ないやんけあんのアホ。

 ぎり、と歯噛みしながら擦り歩く。面と向かって苦言を呈すか否かは顔見てからや、平子はそう言い聞かせては胸中を落ち着かせていた。そうして追いついた暗色の羽織り。平子は荒げることなく第一声をかけた。

「おー喜助ェ、京楽さんから聞いたで伝言」

 一応は形式的に、おおきにな、と労いを送る。上層に顔を出していたからなのか、ゆらりと振り返った喜助は帽子を外していた。

「ああ平子サン、ご無沙汰してますー。……ってやっぱり納得いかないっスよねぇ」

 ハハハ、と彼は予見していたような口ぶりで頭に手をやる。

「あれで納得いく方がおかしいで。解ってんなら最初っから俺んとこ連絡せえ、回りくどい」
「いやァ、直接そちらに伺うのも些か大袈裟と言いますか」
「ええやんか来たら。誰にも聞かれたないんやったら俺も配慮くらいはするっちゅうねん」

 どうも本調子でないようなその様子に、直前まで言おうとしていたことを控えることにした。本来であればいの一番に核心を突くのだが、喜助と彼女の話をするのはあの日以来で。あの憶測を告げられた衝撃は今でも色濃く鮮明に蘇る。そして、複雑すぎる事柄を改めて理解した。救護詰所で喜助から耳打ちされた仮説はやはり真実なのだと。

『恐らく、彼女は、──別世界から来た人間です』

 あの話を受けた時は驚きのあまり絶句した。直後はうまく呑み込めなかったが、後の文書伝達で魂魄のみが他所から入れ替わっていたと知り、ようやく点と点が合致した。あの時を思い返すだけで、苦渋の選択をした喜助の表情が焼き付いて離れない。

「……で、帰ったんやな。ゆかちゃん」
「ええ、魂魄移送は無事に成功しました」
「そうか。今の娘には霊力の欠片もないんやな?」
「はい、ひと通り説明はしました。なので今は霊力と共にその間の記憶も消失したという体裁で過ごしてもらっています」
「あーそこだけ京楽さんから聞いたんやわ。……なんやお前には辛い役回りになってしもうて」

 抱いていた憤りはとうに消え失せ。喜助の心情を察するあまり同情してしまう。

 ──喜助もやけど、ゆかちゃんも帰る直前まで苦しかったんやろうなあ。

 彼女の気持ちはよく知っている。あの月夜輝く帰り道。歯痒い距離感を保つ二人に痺れを切らして問い質したこともあった。彼女はちゃんと全てを告げられたんやろか、そう思っては目を細めて。

「最後はなんか言うてたか、ゆかちゃん」
「……いえ、何も」

 含んだ物言いにこの感触。平子は瞬時に落としていた視線を上げる。

「お前、まさかやけど。何も聞かんとそのまま帰したんやないやろな」
「ボクは何も聞いてないですし言わせてもないっス」

 喜助にしては珍しく。いつもなら『何の話っスか』なんて惚けるくせに、趣旨をはぐらかす事をしなかった。ついこの間の出来事だからだろうか。まだそこまでの余裕が無いのか、敢えて不都合を買って出たか。若しくは突っ掛かられるのを予想していたとも。

 ──ほんまやったらここで強く言わなあかんのやろうけど、とても言われへん。

 自ら振った話題に声を返せず黙り込む。

「そのあと、彼女の記憶を全て消して元の場所へ帰しました」
「おまっなんやて」
「ですから彼女に記換神機を使いまして」
「……ッ、」

 平子は静かに拳を握り締めた。全て消した、とは即ち自分や出逢った人々のことも何もかもだ。消す必要のなかった娘の記憶を本当に──。今にも胸ぐらを掴みかかりそうになるのを堪え、わなわなと肩が震える。だが平坦な音で最悪な事情をのうのうと打ち明ける喜助に何も出来なかった。

「お前は……それで良かったんか」
「良いも何も、彼女の最後の要望ですし。聞かない訳にもいかないでしょう」
「んな、ほんまか? それ」
「もちろんっス。流石にこの流れで嘘は言えないっスよ」

 あの彼女が、芯の強そうに見えた彼女が。大事な想い出を消して欲しいと言ったなんて、平子からしてみれば意外そのものだった。自分の知らない彼女がどんなに弱かったとしても、自らそんな選択をしたのかと。

 ──『はい、自由に生きてみせますよ』

 ふと脳裏に過る朗らかな声。それは最後の別れ間際。……まさか、あの時。彼女の意図した自由、ひょっとしてそう仕向けたのは、──。

「……俺、言わんでええこと言うてしもたかもしれん」
「何言ってるんスか。そう決めたのは彼女です。平子サンが何を伝えたのかは存じませんが、最後に決断したのは彼女なんスから」
「……ああ、そうやな。……ゆかちゃん最後は笑てたか」
「はい、やけにたくさん笑ってから帰っていきましたよ」
「ならええねん。……んで喜助は大丈夫なん」

 最後は、彼が秘めているであろう苦悩を憂うように問いかけた。

「お気遣い有難いっスけどボクは何の問題もないっスよ。もうじきに彼女との接点も消えますし」

 平子は気づいていた。
 ──接点は消えるもんやない、自ら消してんのや、と。
 だがその真意を確かめることなく、相槌を打って同意する。

「そうなん。そら外面は同じ人間やし。まあ中身だけ違うた生きる義骸みたいなもんやしな」
「……あー。いえ、同じなんス」

 喜助の返しに首を傾げ、その後の言葉を待った。

「趣味嗜好が違うのは当然でしたが。性格は同じなんスよ、彼女と」

 伏し目がちに吐く姿に、かけるべき適切なものが見当たらなかった。彼の声音はまるで『参りますよ』と暗に伝えているかのような言い草で。今の心境を仄めかしているようだった。

「ほんなら早々に距離置いた方がええな」

 平子は不本意にもこう返すしかなく。

「そっスね、ボクもそうしようと思ってます」

 喜助もやむなしといった声で首肯く。
 すると、馴染みの霊圧が徐々に近づいてくるのを背に感じた。

「あっ、平子隊長! またこんなところで道草を……。あ、浦原さんがいらっしゃってたんですね、お久しぶりです」

 遣いの途中なのか、少量の書類を抱えて現れたのは副官だった。正直この状況では、あまり歓迎できない。

「おう桃。喜助が久々に遊び来ててんけどもう帰るんやて。無駄に忙しい男やからな喜助は」

 適当な事を言って話を逸らそうとした。が、自分の気遣いは儚く散る。

「今日はゆかさん来てないんですか?」

 平子は、あーどないすんねんもう、と項垂れそうになったが懸命に取り繕う。いきなり霊力消えて記憶も消失しましたァなんて言えるかボケ、と心で悪態をつきながらも言い訳を考えていた。

「あーそれはやな諸事情でな、」
「すいません、彼女は暫く来れそうもないみたいで」

 苦笑気味に告げたのは喜助だった。今この場で詳細を誤魔化すのは雛森が取り乱す可能性があるからか、真実を避けるように隠した。

「あれらしいで、人間様は毎日毎日お仕事で忙しいねんて。まー長いこと休んどったらそら仕方ないわな」
「えー残念。お話したいこといっぱいあったのにな」
 しゅんと首を垂れる雛森に思わず「次会えるまで桃も頑張りー」と励ましていた。

「ええまあ頑張りますけど……平子隊長も! お仕事頑張ってくださいね!」

 痛いところを突かれ「そ、そろそろ俺も戻らなあかんな」と慌てて言葉を被せる。

「浦原さん、ゆかさんに宜しくお伝えください」
「はぁい、伝えとくっスよー」
「ほな、また連絡するわ」

 そっと目配せする平子は手を振って別れを告げる。喜助も現世へと踵を返していった。

 懐かしい彼女の話をしながら五番隊へ向かうと、雛森が「あっ書類置いてくるの忘れてました!」と慌てふためき来た道を引き返して行く。「先に執務室戻ってるでー」言い残してから、平子は一人考え込む。さっきの会話と、どうやって事情を周知させるかに頭を悩ませた。

 ──言うてもええけど……俺に詰め寄られても困るっちゅうねん。それにアイツの態度。

 溜息を吐いてから、圧し口を開ける。

「……何とも思ってへんなら、名前くらい言うたれや」

 平子は気づいていた。幾度こちらが口に出そうとも、一度もその名が呼ばれなかったことを。

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