奥の部屋。いつも自分が使っていた部屋を指して言ったのだが、結局喜助に連れられたのは彼の自室だった。初めて放り込まれて挙動不審になってしまったことが、昨日のことのように鮮明に想い出される。ここへ入るのはこれで三度目。それらのどの時とも抱いていた感情が異なっていて、時の経過を感じた。前回は夜一のような衣装を頂いた時。あの時は妙にぎくしゃくしていたように思う。その時とも違って、今回は互いに同じ目線で向き合うように座布団を用意された。そこに座って足を崩すと、喜助も楽な姿勢をとるように胡座をかいた。

「さて。どちらから話しましょっか」

 糸の張った空気を感じさせないように、喜助が口を切った。先に話があると言ったのは自分からで、それは穿界門を通る前のこと。あの時はまだ不審がられる程度で色々と未決だったようだが、尸魂界へ行ってからは様々な事柄が明るみになったのだろう。こちらから話そうと用意していたことは、もう彼にとって既知の事実なのでは、と疑念を抱きながら重い口を開いた。

「私から話があるって言ったので、先に話します。けど……もしかしたらもうご存知、ですよね」
「ええまぁ。色々と調査はしましたし、涅サンからも精密な調査報告をいただいているのは事実です」
「そうですか、さすが浦原さんです。ではもう、心置きなく」

 視線を落とすと同時に、ある思いを手放すように目を細めた。淡々とした彼の口調のお陰か、心拍が安定する。身に纏う厭な空気を断ち切るように、すうっと息を吸って吐いた。かつてはこの境遇を考えることすら恐れていたが、今はもう真逆の覚悟が宿っている。こんなにも前向きで晴れやかな心持ちは、自身でも珍しく。

「ゆかさん。調査をしたと言っても、貴女のことを暴きたくてしたんじゃない。むしろ逆っス。なにも疑いたくはなかった。その確証を探せば探すほど、真実味を強めてしまった。それだけは解っていただきたい」

 ひどく真剣味を帯びた声に目線を引き上げると、彼は真っ直ぐにこちらを見据えていた。

「本当にお優しいですね。どこまでも気遣ってくださって、ありがとうございます」

 告げた礼よりも、ぎこちない笑顔。その全てを『気遣い』と一括りにした。それは排他的感情を遠ざけるための防御。自分でもわかっている。ああもう直前まで腹を括って前向きで穏やかだったのに、一気に情けなくなった。結局、根っからの弱虫だ。
 喜助はそれに返すことなく、黙ってこちらの話を待った。

「……あれは、秋から冬に近づく頃、外もまだ暗い明け方でした」

 ぽつりぽつりと、あの日の不思議な出来事を回想していく。

「突然。体が大きく揺れて、地震だと思って飛び起きました」

 そこから、慌てて外へ出たところまでを順を追って伝えた。

「しばらく外を歩いていたんですが、特に被害もないし、誰も外に出てこないし、変だなと思いながら結局家へ戻っていって。ふいに郵便受けを見たら……」

 あの衝撃を思い出すと、上手く声が喉を通らない。泡を吹きそうな、目が眩むような現象を一体どう伝えれば良いのか。詰まったところで、喜助が紡ぐ。

「……知らない住所になっていた、と」

 それに小さく首肯いた。正しくは『知らない住所』ではなかったが、それを明確にするのは今じゃないと唇を結んで肯定した。

「そのあと。上司から電話があって、知っている上司の声なのに職場や職種が全く違っていて。隣の奥さんに聞いても地震なんてなかったって言うし、その上いつの間にか彼女には子供までいて、なのに私はその子と遊んであげていたようで、もう混乱するばかりで……」

 はあ、と溜息混じりに思い返すと、喜助は先を急ぐように事の結末を口にした。

「それで、やはり。別の世界に来てしまった、と認識したんスね」

 彼が『やはり』と明言したあたり、科学者としてすでに結論を導き出していたのだろう。もはや隠すことも臆することもない。この人になら真実を告げてもきっと大丈夫、もうなにも怖くない。残っていたわだかまりを勇気に変えて。彼の淡色な瞳を見据えながら、

「はい、ここは私のいた場所ではありません。……引っ越してもいません」

 はっきりと告げた。
 他所から越してきたと偽り続けてきたが、早いうちに喜助には見破られていたに違いない。そのことも、もう吐き出してしまいたかった。

「……なるほど。アタシの仮説がこうも道筋立って実証されると、なんだか誇らしい気分です」

 へらへらと戯ける喜助が、肩の荷を下ろしてくれて、先ほどよりも弛緩した空気を運ぶ。

「浦原さんは科学者だから、こういうファンタジー極まりない話は信じないって思ってましたよ」
「見たことも聞いたこともないモノを創りあげるってのが科学者の真髄っスから、真っ向から信じないってことはないっスよ。それに。貴女の口から出る言葉なら、なおのこと」

 彼は平気でこういう事を口にする。
 揶揄い文句も得意分野なら、女をそそのかせて口説き倒すのも得意分野なのではと思わされた。大事な話をしているのにこんな思考回路になるのはなんとも申し訳ないのだけれど。

「……ほんと、この状況でよく平気で軽口が叩けるもんですよねぇ」

 もう、と呆れながらも愚直な口端は緩む。

「はは、それは褒め言葉として受け止めます。……あと。それとは別に聞きたいことが」

 喜助は気になっていたであろう部分を掘り下げようとする。

「本来いた場所のことですが、」

 そう本題へ踏み込むが、それは最後にと思い、その追求心を断る。

「あの、すみません。次は浦原さんにお話をお伺いしたいのですが。私のことは一番最後に……」

 先に告げて喜助の動揺を誘いたくはない。いや、彼のことだから動揺なんてしないはずだけれど、それでも真っ先に話すことではない、と今は遮った。

「わかりました、公平にお話しましょう。……この間、技術開発局で挙がった事柄についてでも」

 そう言うと、喜助は帽子をさらに深く被り直した。こういう話をする時は目深が落ち着くのかもしれない。

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