§


 ──……冷たい……。

 寒気を感じて目を覚ました。仰向けになっている事に気付くと、ああ帰り道に襲われたんだった、と思い出す。布団は肩まで掛けられていたが、汗でびっしょりになった服が冷えたのだろう。傷も多かったのだから熱も上がる。身体が、動かない。寒いです、とも言うべきか。周りに人はいるのか。田舎のお婆ちゃんの家で見るような木目のある天井を見つめては、どうしようと考えを巡らせる。目だけを上にやったり、横にやったり。そうして辺りを確認すると、外はまだ暗く真夜中のようだった。部屋は薄暗く、窓からの月明かりだけが中を照らしていた。

 首を右に向けたら、後頭部を斬られていた事もあり、ズキン、と響いた。思い出した感覚と恐怖で、思わず目を瞑ってしまう。

「っ、……」

 頭を右へ向けたまま、ゆっくりと目蓋を開けると後ろ側から声がした。

「お目覚めですか……?」

 まさか他に人が居たとは気づかず、反射で声のする方へ頭を向けようとするもその声に遮られた。

「無理に向かなくていいっスよ」

 ゆかはその口調で憧れの彼だとようやく気付く。やっと意識が戻った状態で初めて会話を交わすのに、顔が向けられないとは。貴方をちゃんと正面から見たいのに、と心底悔しがった。

「会話、できますか?」

 黙ったままの自分を見兼ねてか、続けて問う。口内が切れているのか心的ショックを受けているのか確認したかったのだろうか。

「は、い」
「良かった。何か、必要な物はありますか?」
「えっと、」と答え方に戸惑っていると、「遠慮なさらず何なりとドーゾ」と優しい声で促された。
「少し、冷たくて、寒気がします」

 それでも遠慮がちに、ぽつりぽつりと伝える。
 今の状態を感じ取った彼は腰を上げたようで、キシ、と床が鳴った。後方から膝で擦り歩く音が聞こえる。自身の左側へ近づいてきたと思えば、彼は躊躇なく言った。

「ふとんを開けても?」
「あ、はい」

一瞬、返事を迷ったことが伝わらないようにと願った。

「スミマセン、失礼します」

 そんな願いも虚しく、きっと彼にはお見通しなのだろう。今度は彼が遠慮がちに布団に手を掛ける。初対面の上に助けられ、悲痛な表情を晒し、看病されるのだから普通の人は戸惑う。ただ、ゆかのこの戸惑いは、憧れの人との最悪な出会い方所以だが。
 顔は横を向いたまま、ゆっくりと開けられる布団。そこから更に冷気が入り、ぴくりと震えた。おまけに畳に響くんじゃないかってくらい心臓がうるさい。紅く染まっているであろう頬に気付かれないように、と密かに願う。いやきっと、月明かりだけの仄暗い部屋に救われているはずだ。

「服、変えた方がよろしいかと思いますが、いかがします?」

 ゆかはどうしたら良いかわからずぎゅっと目を瞑る。
 心臓が跳ねると同時に、驚きと情け無さで呼吸が苦しくなった。

「って、治療する時にもう変えちゃってるんスけどね」

 彼の言葉一つで、顔や全身に熱が上がっていく。もう寒気などしないから、いいから後ろへ下がってくれ、と心の中で叫んだ。声にならない叫びがキリキリと喉を詰めていく。茶化される事に慣れていない上に、緊張しすぎて何もかも最悪の状況だ、と更に胸奥が苦しくなってきた。
 押し黙ったままその場をやり過ごそうと唇を噛むゆかの様子を見て、彼は半笑いで続けた。

「冗談っスよ。先程も女性に着替えをお願いしたんで、呼んできますね」

 彼が布団を戻してゆっくりと立ち上がると、足元の方にある引き戸を開けて出て行ってしまった。感情を揺すぶられた後に、急に独り残される。勝手に勘違いをした頭を冷ますには十分だった。

 磨り硝子が組み込まれている木製の引き戸はどこか懐かしい。その硝子を眺めていると、ぼやけた深緑のシルエットが見えてきた。あ、彼だ、と思うものの冷静になった今では心中穏やかである。暫くして、引き戸の向こう側から「なんじゃ、こんな夜更けに」と話す女性の声と、それを宥める彼の声が近づいてきた。

「開けるっスよー」

 軽やかな声が扉越しに響くと、ガタリと音を立てて戸が開いた。部屋に明かりが灯される。長い事、月明かりだけで室内を見渡していたため、眩しく感じた。

「どうじゃ、気分は? まだ痛むじゃろう」

 褐色の女性が、先程まで寝ていただろう目を擦りゆかに話しかける。ゆかはその声に小さく肯きながら「おかげさまで、大分、良くなりました」と告げると、彼が口を開けた。

「夜一サン、ゆかサンのことよろしくっス。終わったらまた呼んで下さい」

 そう言い残すと、足早に部屋を出て行ってしまった。
 初めて名前を呼ばれて驚いたのも束の間、夜一は横になるゆかの側に近づいて額に手を当てた。

「喜助におなごの着物を変えさせる訳にはいかんからの。どれどれ、熱は下がったようじゃな」

 勢いよく布団を剥ぎ取り呆気にとられていると、夜一は何やらしたり顔でゆかを見下ろす。

「先日ほどの元気はまだないようじゃな、ん?」
「先日?」

 状況が掴めていないゆかは、夜一が言ったことをそのまま聞き返した。

「儂は覚えておるぞ?神野が優しく話しかけてくれた事、それと逃げ出した事をのう」

 そう言えばこの人は黒猫だった。思い返せば、黒猫に会ったような。いつだったかと思えば、初日の出来事だった。

「あ。あの時の猫、やっぱりそうだったんだ」
「なんじゃ、猫の姿しか見とらんのに、もうわかってしもうたのか」

 ……失言をした。思い出したことを言ったが、本来であれば女性を思い出さなければおかしい。ゆかは咄嗟に笑って誤魔化した。

「越してきたばかりなので、女性の知り合いは……猫ちゃんしかいないかなーって、ははは」
「おかしな奴じゃな」

 夜一は怪訝そうにしながらも、手早くゆかの服を着替えさせる。着流し程の丈がある白い浴衣を着せられていた。

 ──いや、猫に化ける人に言われたくないよ。

 そう思いつつ適当に相槌を打つ。服が交換されて寒気も引いた頃、秘めていた疑問を投げかけた。

「なんで、私の名前を?」

 喜助も夜一も自分の名前を知っている。身分証でも見たのかと思ったが、何で一護ではなく喜助が助けてくれたのかもわからないし、解せないことだらけだった。

「儂もよくわからんが、喜助が事情を知っておるはずじゃ」

 夜一は笑いながらそう言った。名前を知っているのに、儂もよくわからんとはどう考えても変だ。絶対に何かしら事情を知ってるよね、と胸中で嘆息を吐いた。

「さて、儂はもうひと眠りするかの」

 猫のように伸びをしてから布団の側から立ち上がる。夜一が出て行く前にゆかは身を捩った。

「あの……夜一さん、ありがとうございました」
「礼など良い。癒えるまでゆっくり休んでゆけ」

 喜助を待たなくては、と意識を保とうとするも温かい布団に邪魔され、うとうとしてきた。彼はきっと自分に話したい事があったはずだ。夜一が話していた事情とやらを聞かないと気分が晴れない。そんな抵抗も虚しく、睡魔はゆかの意識を奪っていった。暫くして、戸が開き消灯する音が鳴るも、小さな寝息だけが部屋に響いていた。

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