損得勘定、互恵作用、手前勝手
「みんな〜ジュース買ってきたっスよぉ〜」
入り口から響くその声に、どたどたと廊下を駆ける足音が耳に入ってくる。小さく屈んだゆかはその声の方向へ一度は目を向けるも、自分には関係ないかと手許の作業へ意識を戻した。
──ぜんぜん足りない……なぜ……。
ああもう、とおもむろに立ち上がった。
顎に手を当てては、足元にあるダンボール箱を見下ろす。じっと考え込んでいると、今度は複数の声が近づきながら響いた。
「雨にジン太。はいジュース。……ところで、ゆかサンは?」
「さァ? 俺は見てねぇよ」
「……あっち。奥でお菓子、眺めてる」
遠くの方で名前を呼ばれた気がする。
が、今はジュースどころではないし、眺めたくてお菓子を眺めている訳でもない。雨もあと少し大人になれば分かるよ、と思いながら顎に手を当てては首を傾げる。
──どうしてこうなった……?
そう、今は久しぶりに仕事をしているのだ。
その志願した作業がこんなにも煩雑としていて解せないと、無駄に生真面目な性格が妥協を許さない。
ここは廊下奥にある駄菓子の在庫管理室。
言うほど管理室らしさはなく、納戸に近い。
今日の仕事は棚卸しだ。電卓と鉛筆を持ち、ダンボールに残数を記載しては売り上げ数と照らし合わせる。
商いをする以上、定期的に棚卸しはするはずなのだが。どうもおかしい。
顎に当てていた手を腕組みに変え、小鼻を膨らませながら息を吐く。
「……おやァ、お仕事っスか?」
出た。ついに顔を出しにきた。
横目で腕を組んだまま「そうですよ」と答えれば、彼は部屋に入って言った。
「そんな眉間に皺を寄せたって、変わらないもんは変わらないんスから。って、さっき呼んだんスよ?」
眉間の皺と言われて、あぁ、と我に返る。完全に仕事中の顔を露呈してしまった。しかし自分が何に悩んでいるのか、この人は分かっているようだった。これは問いたださないと、相手は店長、店の主≠セ。つまり今現在の上司にあたる。
「はい、呼んだのは聞こえてましたけど。雨ちゃんとジン太くんが向かって行きましたよ? 私は別に……」
だからジュースどころではないのであって。
そもそもあまりジュースは好んで手に取らない。甘菓子は大好物だが、雨やジン太らが好むようなサイダー系の飲み物はあまり馴染みがないのだ。
そう思ってゆかは再びダンボールと売上票を睨めっこした。
すると喜助は「ダメっスよ、ワガママを言っては」と、まるで飲み物を選り好みするな、と言ってきたように聞こえて少し驚いた。どこまでの読心術をこの人は持ち合わせているのか。
「アタシは『みんな』って言いましたよー。いいっスか? みんなって言ったらゆかサンも入ってるんです。ワガママに一人だけ別行動ではいけませんねぇ」
予想の斜め遥か上をいく答えで、我が儘ってそういう意味か、と驚きよりも感心を示した。
ただ子供たちと一緒くたにされている言葉には引っかかりを覚えたが、それには蓋をする。
「あ、すみません。ワガママじゃなかったんですが……。ただ、」
そう言うと「ちゃんと、カフェオレとプリンも買ってきましたけど」と喜助がこちらの言い訳を遮った。
思わず、「え?」と聞き返してしまう。彼が言ったそれらは紛れもなく自分の好物だ。
──だがなぜそれを知っている。
すると彼はみるみるうちに、大口を開けてニヤつき始めた。
「なんで知ってるのって顔してますねぇ?」
あはは、と笑う面にほんの少しむっとした。
自分の好きなカフェオレとプリンが小馬鹿にされたようで。まあ気になったのは事実だし聞いてあげるか、と話に付き合ってあげた。
「ではなぜ知っているのかお聞きしましょう?」
犯人を推理するかのような流れに少しずつ面白おかしくなってきた。
「アタシこれでも目と耳は良い方でして。この間、雨にプリンを。ミルク多めのカフェオレを夜一サンにあげてましたね? 冷蔵庫に大事そうにとってあったのに。実にゆかサンらしい心遣いで自己犠牲だなあ、と感銘したんスよぉ」
何故だろうか、最後の語尾に含まれた笑みがやはり小馬鹿にされているような気がする。今度は好物達にではなく、自分に向けて、だ。
「あの場にいなかったのにまるで地獄耳ですね。さすがの観察力で、逆に感心します。ところで、」
このままでは喜助が調子に乗りっぱなしになるので、今度はゆかから話を切り出した。
「この宇宙玉の在庫数、まったく、帳尻が合わないんですが」
すると喜助は防衛するかのように、ばっと扇子を広げた。
「隠したってダメですよ? だいたい……どうしたらこういう事態になるんですか」
今の職場は外営業が絡んでいるが、元の世界では内勤事務だ。数字や細かい処理には嫌というほど携わっていた。ただどちらの職も今は放棄しているが。
「まぁまぁ……ひょっとしてアレっスかね、」
「アレ、とは?心当たりが?」
「……妖精サンたちがイタズラにくすねた、みたいな」
「なんですかそれ」
あまりに真面目腐って低い声で言うものだから、思わず噴き出した。無精髭を生やした胡散臭い男性の口から、妖精≠ネどというファンタジー極まりない言葉が発せられるとは。
かつて居た処の『妖怪のしわざ』ならまだしも、この世界にはそれも存在しないので彼が知る訳もなく。
きっとその“妖精”も数人の身内かもしれない、と一人で納得し始めた。
おまけに当の店長がこの態度じゃ致し方がない。こういう上司がいるのも世の中大切なのかもなあ、と色々と諦めた。
「じゃあその二人くらいの妖精さんがくすねたってことでいいので。私から帳尻合わせ、いいですか?」
そう言うと喜助は構えていた扇子を、口元が見える程まで下げた。
「なんでしょ?」
電卓と鉛筆をぽっけへしまうと、喜助に右手の掌を差し出す。
「カフェオレとプリンをいただきます」
今度は喜助が笑い声を上げた。
「もちろんいいっスけど。最初から欲しいって言えばいいじゃないスかぁ」
「宇宙玉ばかり数えていてそれどころじゃなかったんですってば」
「あー、宇宙玉のことは暫く考えなくていいっス」
「……それって店長としてどうなんですか?」
彼はそれに議論することはなく、「あっちで食べましょう」と自分を連れ出し前を歩く。
今日のおやつは格段に美味しいはずだ。久しぶりの好物たち。ゆかは細やかな喜びを噛み締めた。
だから彼が食べ物で自分を釣っている事実に関しては、気づかないふりをしておこう。その方が向こうもこちらも都合が良いのだから。