風花、小米、結んでひらいて (HBD in 2021)


 しゃりしゃりと音の鳴る路面を進む。真っ暗な夜道、街灯に照らされた関東も珍しく積雪が見られた。空は先が見えないほどの曇天。気温が低くなければ雨だったのだから、悪天であってもこういう雪は嬉しい。ただ一瞬でも気を抜けば、──。

「う、わわっわっ」
「っと、気をつけてくださいよ。凍ってるところもあるみたいなんで」

 喜助がすかさず肘を持つ。そのまま滑ってしまわぬようにゆかの腰をグッと引いた。雪道、まではいかないが凍結した道路は不慣れだ。それに手土産を提げていたから余計に心臓が跳ねた。暖を優先してもこもこのムートンを履いてきたのだけれど、いつもみたいに歩いたらすってんころりんいってしまう。

「あ……危なかったです、助かりました、あはは……」

 一方の喜助はいつもより厚めの冬仕様になった羽織と白色マフラーに下駄。ただ、流石に素足ではいろいろと宜しくないようなので直足袋履いていた。下駄でも滑らないのは体幹が整っているからだろうか、なんてどうでもいいところで感心する。体幹どころじゃないゆかはせめて怪我しないように気をつけようと自戒した。

「にしても冷えるっスねぇ今日は」
「もう大晦日ですからね」

 足元を見ながら、喜助の腕を掴んで進む。スケートリンクの上で誘導してもらってるようにしっかりと踏み締めた。大晦日といえば言わずもがな。彼の日なのだが、日中は互いに予定があり、ゆっくり会話するタイミングがなかった。歩きながら祝う事ではないから今は場所を改めているところで。様々な言い訳を重ねながら向かう先は、想い出深くて心休まる場所。
 はあ、と白い息を上げて見上げたクロサキ医院の看板は、昔に来た以来の、変わらぬ景色だった。

 ──懐かしいな、最後に来たのって喜助さんが一心さんの洋服を着させてもらった時だっけ。

 あの頃は訳もわからず緊張して常に手汗を握っていたと思う。全く余裕のなかったかつての自分を思い返して、それを笑って眺めるどころか後悔の方が多くて、彼らからしたらちっとも良い印象ではなかっただろう。同じ場所なのに再び二人で立つこの関係だけが当時とは異なっていて、不思議な心地だった。
 喜助が呼び鈴を押すと、待つ間もなく玄関が開けられた。

「おういらっしゃい! ゆかちゃん、と浦原。雪降って寒かったろ」

 ほら早く入んな、と数年ぶりに顔を合わす一護の父親は少し髭が増えていた。一心はニカッと以前と同じように大きく笑って、嬉しそうに招き入れる。珍しいことに、今年はみんなで年越しを過ごさないか、と一護と織姫から誘いを受けていたのだ。

 その下準備と手土産を用意していたら結局こんな時間に。当初喜助はあまり乗り気ではなかったが、こちらから「せっかくですし是非行きたいです」と告げると渋々承諾していた。「そっスねぇ」と言葉尻を濁され快諾には見えなかったが。恐らく自分が年越しより誕生日を優先するものだと踏んでいたのだろう。いや、そう思っていたかは分からないけれどそうだったらちょっと面白いなって。なんだか年甲斐もなくて微笑ましいのでそう思っておくことにした。もちろん彼の日も大切だけれど、何百回もある誕生日のうちで現世の一般家庭で過ごす日があったって悪くない。というか自分が黒崎家に久々に行ってみたいという好奇心の方が大きかったのは、口にしないでおく。

「いやー冬はあったかい室内に限りますねぇ、お邪魔するっスよー」

 後に続いて、お邪魔します、とゆかも廊下に上がる。

「すみません、煮込みものとお酒を持ってきたんですけど一心さんと浦原さんしか飲まないですよね? 祝い酒なんですがおつまみの方がよかったかな」

 袋から取り出した日本酒。きらきらと浮かぶ金箔が年賀を先取りしていて見るだけで心躍る。たくさん呑める訳ではないので嗜む程度だが、年末だしほろ酔いくらいは感じたいところだ。

「ああ、まあ大人が俺たちだけだからねぇ。ゆかちゃんも無理にとは言わないが少し飲むかい?」
「はい、もちろんです! たくさんは飲めませんが、嗜む程度には飲めますので」

 そう返すと横から、「アタシがちゃんと見てるんでお構いなく注いじゃって下さい」と割り込む。

「オメーな、ゆかちゃんの分まで勝手に飲む気満々じゃねーか。ウチにある分しか用意してねーんだぞ、正月分もなくなったら買いに行けよな」
「まだ飲んでもないのになくなるかなんて分かんないでしょう。大丈夫っスよぉ、そんなしこたま飲んだりしませんって」
「ま、浦原が酒飲むのは見ねぇからな。案外下戸だったりしてな」

 お酒を飲む喜助。随分前ではあるが、あれは下戸を装ったようだったなと思い返した。

「私もべろべろに酔っ払った浦原さん見てみたいですね、まあそんなことにはならないんでしょうけど」
「へぇ、ゆかちゃんでも見たことないのか。よし、んじゃ、あとは適当に寛いでてくれ。夕飯はウチで用意してる」

 リビングへ入ると、ソファに座った一護とキッチンに立つ織姫が振り返った。おたまを片手に織姫は「わあ! ゆかさん!」と。嬉しそうに笑む。
 所用で日中にも顔を合わせたのだけれど、名前を覚えていてくれていて、当たり前のことなのにそんな些細な再会が嬉しかった。

「織姫ちゃんのエプロンかわいいね、すごく似合ってる!」

 フリルのついた可愛らしい白色。まだ婚姻はしてないはず、でもまるで新婚さんのような姿に堪らず近寄った。

「ドーモ黒崎サン、満更でもないようで」
「……うっせぇな、なんで俺に振るんだよ」
「いやぁ俺も黒崎さんなんだがな、こんな可愛い娘がいて鼻高々だよ」
「いいからわかったから親父は黙ってろ」

 一心はすでに息子と彼女を公認といった様子だ。
 正直お付き合いはしているのか定かではないが、あれだけの境遇を経ていたらそれなりに進んでいるのかもしれない。全てを聞くのは野暮な気がしたし、自分たちの関係も声を大に口外している訳ではないので訊ねることはしなかった。

 すっと立ち上がった一護は「なんか手伝うぜ」と織姫に声をかけた。未来の夫婦の姿があまりに微笑ましくて、嬉しくて。涙が滲みそうになるのは年のせいだろうか、これまでの軌跡が眼に浮かぶからか。まだ至ってなくても当然のように寄り添える、内面で繋がった家族っていいなと改めて思わされた。

「はぁいどうぞ! ゆかさんからいただいたお肉の煮込みも置いときますね、ありがとうございます」

 織姫と肩を並べる一護。飲み物やら冷蔵庫から取り出しては、はい、と彼女へ渡す。口許を緩ませるその顔つきは恋というか愛というか。まだ齢は若いのにすっかり大人になっていた。
 食卓に並ぶ、オードブル、お肉、サラダにスープなど。色取り取りの家庭料理が並んで鮮やかなホームパーティーが始まった。家族の触れ合いを黒崎家を通して身に染みこませる。温かさに有り難さ、それとちょっとした羨望。
 こちらのにいる神野ゆかの家族には会っていない。魂魄が元の彼女と入れ替わってから、それを見透かされるのが怖くて。逃げてばかりで会えていないから、いつかは来年こそは、と思いながらまた一年が過ぎた。ただ進歩としては、メールや電話はしていて、聞き覚えのある同じ母親の声質だったのが救いだった。ただ別世界の此処で人物の個は完全に同一ではないから、僅かに不安が拭えないのは仕方がなかった。
 今はそんな個人的事情も遠くへ投げやって、机を囲む。いただきます、食べ進めては織姫特製の手料理を頬張った。

「パエリアもあるなんて、んん、すごく美味しいです!」

 普段のテッサイお手製とはまた違って今日は洋食も多い。商店では和食を好む人が多い印象だから、いつもとは異なる所に来たなあとしみじみ感じた。
 そうして「今年もお疲れさん」一心が紡ぐと、今年一年だったり昔話だったり大晦日恒例の総括が続いた。みんな悪い年でなくてよかった。

「……だが娘たちが浦原商店にいるって考えると心配で箸が進まねぇ」
「おかわりしてる奴がよく言うじゃねーか」
「心配でしょうけど娘サンたちは大丈夫っスよ、テッサイがいますし。まあ、お父さんと過ごすより御学友の方々と過ごした方が楽しい時期ってあるでしょ」
「オメーに子供心も親心も語られたくねーよ」

 一心の当たりの強いツッコミが喜助に飛ぶ。ゆかはその様を、確かに中高生の頃って友達と過ごしたいよね、と首肯きながら耳を傾けていた。
 
 一旦ご飯が落ち着いたところで、席を立つ。
 食べ終わったお椀たちを台所へ持っていくと、いいからいいから、と織姫から止められた。自分を含め、やはり今日は客という扱いらしい。一緒に来た喜助を一瞥するとちびちびと酒を呑んでいる。ほんのり顔を赤らめた一心と会話を弾ませて。

「ゆかさんもお酒飲まれますか?」
「あっはい、ありがとう」

 完全に奥さんの風貌の織姫に畏まってしまった。ビールと日本酒どちらがいいか聞かれて炭酸より飲みやすそうな日本酒にした。小さなコップにとくとくと注がれる。それを口に含んで、ちょっと強めのアルコールが焼くように喉奥を通っていった。彼女にも一杯、と勧めようとしたが今はまだ成人を迎えていないはず。最初に一心が大人は俺たちだけと言っていたことを思い返した。

「あ、じゃあ、そろそろ出しますね」

 織姫がこっそり言って冷蔵庫へ向かう。それと同時に、パチ、と部屋明かりが消された。薄暗くなって人影もわからないが、恐らくタイミングを見計らっていた一護だろう。
 
「ハッピーバースデートゥーユー、」

 可憐な澄んだ声で始まった。なかなかこのフレーズをしっかり歌い出すのは勇気がいる。彼女に照れ臭さはなく、この演出を楽しんでいるようだった。
 数本の蝋燭に灯された火が揺れながら前を通って、喜助の前へ置かれた。苺の代わりにシャインマスカットを乗せただけのショートケーキ。形はちょっと歪かも。そして歌の終わり、「ハッピーバースデー、」で自らも声を重ねて拍手して。

「ディア、浦原さーん」

 男性陣の声より女性陣の歌がリビングに響く。
 柄ではない黒崎親子も仕方なく手を打ってる感じがまた面白可笑しくて。最後の「ハッピーバースデートゥーユー」の後、日中機嫌を損ねていた喜助を宥めるようにゆかが近くに寄った。

「お誕生日おめでとうございます、喜助さん」

 薄琥珀の大きな垂れ目が二、三度瞬き。手にしていたお猪口を置いた喜助は、はははと愉快げに声を上げた。

「いやぁ皆サンからこんな」

 一心と一護からも「おめでとうな」と祝福されて驚いたようにまた笑った。

「どうぞ消してください」

 ええ、では。そう言って、ふーっと吹き消した。
 煙の香りが鼻につんとくる。人の煙草も煙管もそうだが、燻ってるのは嫌いじゃない。今日は誕生日特有の匂いだからか妙な特別感があって。
 直後、電気が点けられた。白熱光の下だと、荒くて雑な作りが露わになってしまって気恥ずかしくなった。早く切り分けてしまいたい。

「このケーキ、今日ゆかさんが作ってくれたんですよ」

 ビクッと肩が跳ねる。隠せたら隠し切ろうと思っていただけに、まさかの暴露で「あっまあ、ちょっとだけ手を加えたと言うか、」あわあわと変な言い訳が先行した。

「織姫ちゃんの提案で、家に取りに来てくれて、ケーキの保管をお願いしたんです。歌は苦手だから織姫ちゃんがいてくれてよかったなって、はは……」
「成る程、日中用事があると言ってウチに来なかったのも、昨日泊まらなかったのも、ご自宅でケーキ作りがあったためと」
「はい、みんなでお祝いしようってことだったので」
「大晦日に誕生日ってまた忙しい男だよな、この年の瀬によー」

 説明している間に織姫が切り分けてくれた。

「クリームのお味とか塗り方とか、あの、細かいところはほんと目を瞑っていただけたら、と」
「いえいえお手製なんて。お時間割いてくれて嬉しいっス。ではいただきますね、有り難う」

 主役がぱくりと食べ始めたのでみんなにも御礼を告げた。

「一心さんも一護くんも、今日は場所をお借りしてありがとうございました。甘いの控えめにしたので召し上がってください。あ、あと妹さんたちの分もあるのでよかったら」
「ウチはいいんだ、俺と井上から誘ったことなんだし。夏梨と遊子の分までもありがとな、ゆかさん」
「んん、この高級マスカットお父さん初体験! 美味しい!」
「シャインマスカットですね! お口にあってよかったです」
「ねぇゆかさん、なんで苺じゃなくてマスカットに?」

 織姫の純粋な問いに口籠もりそうになった。
 あまりに単純な理由をどう告げようかと悩んだ結果、──。

「え、と、緑……というか黄緑色なので、その、」

 答えるだけで小っ恥ずかしくなる。
 堪らず一心が「愛されてんねー! このこのー」と喜助を肘で突いた。

「いやぁ全くですね。流石はゆかサンです、そういうとこなんスよねー」

 喜助も軽く酔っているのか珍しくべらべらと煽てに乗って。
 耳朶まで熱が上がっていくのを感じたゆかは、言い訳することも違う気がしたので出そうな言葉を抑え、コップに残っていた日本酒を一気飲みした。関係やら愛情やら全てを認めてしまう形になったが、否定してしまったらいけないし、自滅するしかなかった。織姫は喜助の話を詳しく聞きたそうにしているしで参った。

「あ、そろそろカウントダウン始まりますよね! テ、テレビ、見ていいですか?」

 結局テレビへ逃げることにした。一心が笑いながら「ああいいよ」と快諾したので、ソファへ腰を下ろせばなんと一心が隣に座った。一人でテレビへ逃げたはずが、まさかの父親がこちら側にくるとは思わず。根掘り葉掘り聞かれるのでは……と厭な予感が過る。

「愛する息子たちは楽しそうに浦原の話聞いてっからよ、じゃあお父さんはゆかちゃんのお話聞こっかなーってね」
「えっええ、なんの話も出てこないですよー?」

 ああ、予感的中。困った、何を聞かれるのだろう。彼との関係だろうか、いや大人の色恋なんて敢えて掘り下げる話題でもない。

 一方で自分は一心が死神だってことや元隊長だってことも、現世へ至る境遇さえも知っているのに。相手にとって知られたくないことをずっと勝手に知っていたと思うと、胸奥がぎゅっと掴まれるようで心苦しくなった。久しぶりのこの感覚はいつ振りだろう。最初にこの家へ来た時も、嘘を必死に取り繕ったり、相容れない存在に疎外感を覚えたりして。そこまで親しくないのに一方的に知ってしまっているのだから。極力、距離は置きたいと思う。
 
 こと、とローテーブルにお酒を置いた一心が、真っ直ぐにこちらを見据えて言った。

「よろしくな、浦原のこと」

 急に何を言い出すのかとゆかは目を丸めた。

「……今更隠すことでもないから言うが、ゆかちゃんの霊圧が一度完全になくなって、魂魄自体が全く別のものになったような気配は薄っすら感じてたんだよ。流石に信じ難かったがな。昔それを浦原に問い詰めたら、答えそのものははぐらかされたが俺の想像の通りだって辛そうに言うんだからよ、それ以上は聞かなかった」

 告げられた内容が、自分が過去に入れ替わった時だと理解するのは早かった。火照りを伴ったほろ酔いが一気に冷めていく。

「ああごめんね、いきなりこんな話をして。こういう時じゃないと言う時がないからさ、聞いてほしい。あれがどういった事情かは知らないけど、……戻ってきてくれてありがとう。ゆかちゃんと浦原の幸せそうな面を見たらどうしても礼を言いたくてな」

 視界が潤んで歪む。勝手に一心の事情を知っていたことに申し訳なさを抱いていた傍ら、当の本人はこちらの内情を察していてくれた。それだけでなく、当時のことを喜助に訊ねて最後にはこうして御礼まで。

 ──どうしてこの場所の人たちはこうも心優しい方ばかりなのだろう。

 眦が湿っていく。自分は此処に居ていいのだとまた自己の存在を肯定された気がした。

「あ、いえ。そんなこと仰ってもらえて、もったいないというか、私の方こそ嬉しいです。ありがとう、ございます」

 突然のことでなんて返したらいいかわからなくて、辿々しい感謝になってしまった。

「存外悪い奴じゃない、ってのはゆかちゃんが一番わかってるか。浦原は俺が現世で暮らしていくにあたって手筈を整えてくれたりしてな、言いたくはないが世話にはなった。真咲のことだってそうだ。死神が人間と余生を過ごすなんてな、アイツの協力がなかったら子供たちは授からなかった。まあ浦原からしたらそんなの研究の一つかもしれないけどな、それでも感謝する奴もいる」

 そうだ、黒崎夫婦は死神と人間。そうせざるを得なかった境遇も、太陽のような彼女に惹かれた目の前の彼も、今でこそ平然と過ごしているけれど特異な存在だったはずだ。その二人は浦原喜助の手助けがあって医院ができて子供を授かることが叶って。たとえ彼の研究での副産物だったとしても、それを有り難く想い続ける人もいる。
 直後、一心がこっそり教えてくれたのだが「死神と人間は本来子供を作ることはできない」らしい。その唯一の方法を喜助のみが存じているようで、色々と世話になったと言っていた。

「まあ、ゆかちゃんが今後をどう考えるかは自由だから。ひとつ言えることは、死神と人間は寄り添って暮らしていけるってことだ。悩ませちゃったらごめんね、ただ俺らみたいなこともあるからそれだけを伝えようと思ってな。……お、カウントダウンはじまったぞ!」

 それに首肯く間もなく、十秒前のカウントが。
 テレビに目を向けて謝意を紡ぐ。

「一心さん、」
「なんだい?」
「ありがとうございました、とても元気出ました」
「そりゃよかった」

 この返しはなんだか昔に一護から言われたことがあったような、親子で似ているから本当に黒崎家には敵わないなあと絆される。

「なに二人で話し込んでるんスか」
「わっ、浦原さん! カウントダウンですよ!」
「わかってますよ、だからお隣に来たんです」
「おいおい割り込みか? 大人気ねぇなあ」
「さん、にー、いち、」

 ハッピーニューイヤー! という芸能人の声と同時に、画面は謹賀新年へと切り替わった。

「皆さん、あけましておめでとうございます」

 立ち上がって、食卓で仲良く話し込む一護と織姫へ向かって。そして近くの一心と喜助にそれぞれ新年の挨拶をするとみんなも声を揃えて「あけましておめでとう」と会釈した。誕生日は終わってしまったけれど、またおめでたい日の幕開けだ。

「アタシを差し置いて随分と長いことお話されてましたよねぇ」
「俺はゆかちゃんととーっても大事なお話があったんですー、お前ぇは俺の息子と娘を独り占めしてんだから文句ないだろうが」

 ──織姫ちゃん、すでに娘になってるし……。

 一度退散すべきと警鐘が鳴ったので、「じゃあ後片付けしますので私はちょっと、」と食卓へ向かえば、織姫が「あ、もうほとんど片付けちゃった」と両手をぶんぶん振った。手際の良さに感動する。いい奥さんになる、いやいい奥さんだ。もう黒崎の娘でいい。

「そんじゃ、アタシらはこの辺で商店へ戻りますかね。子供たちもいますし。今日は本当にご馳走様でした」

 とろんとした目許。お酒はまだ回っているようだ。
 喜助はだりんとお辞儀してゆかの袖を引く。

「おーおー、所帯持ちに嫉妬しちゃう奴は帰れー。帰れー」

 一心は相変わらず一人でデモような口振りでふざけていた。心からそんなこと思っていないのに、その真逆な態度にクスリとしてしまう。

「今日は本当にありがとうございました、とても楽しかったです。お邪魔しました。みんな、またね」
「おう、またなゆかさん」

 玄関外まで見送りに来る一護に、さっきの一心みたいに一言だけ言いたくなった。

「一護くんも織姫ちゃんと仲良くね」
「はは、そっちもな」

 彼もまたわかっている人物かと照れ臭くなる。昔うちに遊び来た頃とは変わって少しも気恥ずかしそうにしない堂々とした様は、精神が大人びている証だった。

 外へ出て、更にぐっと下がった外気温。ひんやりとした空気が妙に心地良い。赤らんでいるだろう耳や頬を歩きながら落ち着かせる。止んだかと思っていた雪はまだ降っていて、積もるほどではなさそうだけれど子供たちがはしゃぐには十分だろう。正直、雪なだけで関東の大人も喜んでしまう。

「浦原さん、お誕生日おめでとうございました」
「結局年が明けてから言うんすか、それ」
「ええー。ケーキの時にちゃんと一番最初に言いましたよー」
「そりゃそうっスけど、途中で二人で抜けるとかあったでしょうに」
「いやそんな学生じゃないんですから」
「ケーキは大変美味しかったっスけどね、」
「けど、なんですか? あ、わかりました、じゃあ一回止まってください」

 ちょっと呆れ気味に願えば、喜助は立ち止まってこちらを見下ろす。
 そのまま首に巻かれた白色マフラーを引っ張って、ゆかは首を近くに寄せた。音もなく重なる唇、互いの間を細雪がはらはらと落ちていく。当たった彼の鼻先は冷たかった。すぐに離れて漏れた息が白く浮いて。落ち着いたはずの体温がまた熱くなった。

「わぁ、チラホラと歩行者もいるのになんて大胆な」
「その大胆な行為に満足げにして笑ってるのはどなたですか」
「アタシっスね」
「胸張って言うことじゃないです」

 はい帰りますよ、と両手をポケットに入れて進めば、すかさず右手が奪われた。歩くカイロの如くぽかぽかの喜助の手に握られて、何も言わずにその手は羽織りのポケットへと押し込まれる。あったかくて穏やかで。なんでもない真冬の帰り道が幸せに満ちている。
 冬じゃなかったらこの雪だってただの雨なのに、気温が低いだけで雪だから。ただそんなことを想うだけで嬉々として地面を踏み締めていた。上はどんより、一向に晴れる様子はない。でも別に晴れなくてもいい。

「空ばっかり見てどうしたんです、真っ暗っスよ」
「いえ。ただ、行きも帰りも雪がずっと降ってて、なんか雪までもがお祝いしてくれてるみたいじゃないですか?」
「あー、こういうのが瑞雪ってもんスかね」
「瑞雪?」
「瑞相と言いますか、めでたい印として降る雪の名称です」
「初めて知りました、じゃあその通りですね!」

 それに返事をするように、喜助はポケットの中の手をぎゅっと握り返した。



×
「#エロ」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -