もうひとりの、あなただったひと


「……はじめまして、神野サン」

 直前の彼女が言っていたように、横たわる女性は事柄について無知であるとの前提で初対面の挨拶を交わした。それに訊きたいことも多いだろう、と言葉を重ねる。

「宜しければ、アナタのことをお聞かせ願えますか」

 こちらの問いかけに女性は長い睫毛を上下に揺らしながら、虚目に顔を見合わせた。外見は同じなのだから恐らく性格も似ているのかもしれない。否、それはまだ定かではないが、近しい性質ではあるのだろう。

「……部屋……? あ、揺れて、」

 あれ、外にいたのに。
 困ったような声を上げる姿は先程まで居た彼女と酷似していて。正直返答の仕方に迷いが生まれる。
 それと同時に、ああこの女性は自分たちの事を『知らない』のだなと確証を得た。知っていたなら顔を見合わせた時点で彼女の予見は崩壊している。

 ──……相手は彼女であって、彼女ではない。

「え、どうして、」と慌てふためく様子に、思わず手を差し出しそうになる。震えた指を握りそうになる。その衝動を抑えては、別人なのだと言い聞かせていた。

 目を覚ました直後、『しがない駄菓子屋の店主をしてます、浦原喜助と言います』と自己紹介をしたものの、やはり唐突過ぎたのか耳に残ってはいないようだった。

「あー此処は駄菓子屋っス。アタシは店主の浦原喜助と言います」

 もう一度、同じことを呟いた。

「場所は空座町三ツ宮にあります」と最後に付け足せば、その言下に「えっ」と反応を示す。

 喜助はこの嬉々とした、それでいて薄曇った表情を見逃さなかった。そして再び確信へ至る。この女性は間違いなくこちらの事情を知らず、あの魂魄の入れ替わりであり、性格は限りなく彼女と同等に近しい、全くの別人。
 すると次第に意識がハッキリしてきたようで、横になっていた体をむくりと起こしながら体感を確かめている。手を握っては開いて、幾度か繰り返しては一人頷いていた。

「……私、戻ってきたんだ…・qあっすみません、貴方にこんなこと言って」
「いえ、アナタは戻ってきたんですよ。アタシがそのお手伝いを」
「えっ、て。駄菓子屋さん、なんですよね?」
「そっス。まあ追ってお話しますが、此度の発端は入れ替わっていたアナタの魂魄がそう望んだので」
「い、入れ替わっていた、私……」
「ええ。アナタも彼方で大変な気苦労をされたんでしょう。心中、お察しします」
「ああ、えっと。では、こちらに居た彼女は、」

 大丈夫なんですか、と二言目に問うそれは、まるであの彼女が他人を思い遣る様子そのもので。何もそこまで似通らなくても、と思わず苦笑が零れた。

「大丈夫かどうか……アタシには分かり兼ねますが、これをアナタに、と残していかれましたよ」

 言って渡したのは『絶対に見ないで』と念押しされた最期の約束事。それが開かれようとした時、喜助は先にこちらの事情を話すことにした。アナタのことをお聞かせ願えますか、と投げかけた問いも、今の流れからはあまり話さなそうだなと密かに察していた。

「その前にっスね、すこーし込み入ったお話をさせて頂きたく。意味は分からなくてもいいんス、ただ聞いてくだされば」

 喜助はそう前置きしてこの世の摂理を説明する。
 死神という立場に虚の存在、その所以で魂魄移動が引き起こされた事実。諸所諸々を呑み込むには些か煩雑過ぎようが、今の彼女に霊力の欠片も無かろうが、全てを告げるしかなかった。

 ところが、こちらの予想に反して彼女はただひと言。「分かりました」と特に質問を返すわけでもなく、取り乱すこともなく、実に平坦な口調で相槌を打った。──ああ、この表情は知っている。

 ──……遠慮、自身に蓋をする仕草。いや殻に篭った、過去に物分かりを良くしようと振る舞ったような。

 十二番隊隊舎での出来事に、これまで見てきたもの。
 沸々とあらゆることが蘇っていく。吐いた言葉に表情。あの時の辛そうな心情を隠す声音は瓜二つで。

 そんな中でひとつの相違に気づいた。この女性には笑みがない。初対面だからか微笑みは会話から淘汰されていた。そうか、『知らない』というのはこんなにも差があるのか、と如実に思い知らされた瞬間だった。

「ですが、あの、私はもう皆さんを存じ上げません、それは……」
「はい。アナタには再び記憶障害だと偽っていただきます。霊力とそれに纏わる全ての記憶は喪失したとの体裁を整えて。アタシから極力根回しはしますんで、道で見知らぬヒトに声をかけられても何も答えなくていいっスよ」
「そうですか、ありがとうございます」
「……いえ、礼はアタシの方っス。アナタにまた記憶障害を演じてもらうんスから」

 軽く首を垂れながら「こちらこそ、ご理解に感謝します」と言えば、「いえそんな。でもなんで前にも演じてたって分かるんですか」なんて頓狂な声で問われた。

「彼方の世界へ飛ばされた直後、ご自身の記憶と異なるために偽りの記憶障害を演じた、と思料します。入れ替わった彼女が同様にそうしていましたから」
「わぁ、すごいです、なんでも分かるんですね。驚きました」

 不意をつくように魅せる真っ直ぐな瞳。
 こんな状況でヒトへの感心を述べる姿に、うっかり『危機感が足りない』なんて口が滑りそうになった。

「流石に何でもは解りませんが、まあ貴女の考えることはだいたい」
「浦原さんは『私』に良くしてくださったんですね」
「……さあ、どうでしょ」

 おもむろに開いた扇子を口許にかざす。

「あ、このメモ帳見てもいいですか?」
「ええ、モチロン。アタシは『見るな』と釘を刺されてるんでね」
「じゃあ見られないようにしなきゃ」

 ははは、と彼女はようやく笑い声を落とした。と言っても苦笑気味ではあるが。
 そうして、ゆっくりとメモ帳を開いていく。ふむふむ、と読み込んでいくあたり、引き継ぎ箇所を頭に入れては真面目に受け入れているのだろう。眉間に皺が寄り、その面は取扱説明書でも叩き込んでいるかのような。思わず突っ込みそうになる。普段の自分なら確実に揶揄しているがそれはしない。

 じっと読み進めていくうちに真剣さは消えていった。どことなく穏やかに、と思えば急に強張って。目を細め、寂しそうに憐れむような色を眼に宿していた。一体、何が書いてあったのか。

 ──ボクは何でもなんて解らないんスよ、どれが正解なのかも。これで良かったのかさえも、未だに。

『最善を尽くす』と告げた過去の自分が聞いて呆れる。
あの時の彼女を安心させるため、いや今日までを見据えてああやって大口を叩いた割に、この淀んだ心持ち。喜助は行き惑う決意に逡巡していた。
 落とした視線を戻せば、彼女はすっかり読み終えていたようで静かにメモ帳を閉じる。そしてこちらを見上げた。

「浦、……店長さん、」
「ハイ、なんでしょ」
「やっぱり私に良くしてくださっていたんですね」
「おや、なにかお褒めの言葉でも書いてありました?」
「それは秘密です、でもどうしても御礼が言いたくて」

 眉尻を下げながら、ありがとうございます、と笑う。その姿が、面影が、重なっては揺らついて心臓を抉った。

「……いえ、アタシの方こそ彼女に良くしてもらったんで」

 追う影を振り払うように、パシン、と扇子を閉じる。
 残された伝言から何かを得たのか、目前の彼女は先ほどまで居た場所を思い返すように、ぽつぽつと言葉を零し始めた。

「私は……向こうで何もできなくて、ただ世界の流れに任せるしかなくて」

 軽く下げた視線を追って、彼女の話へ耳を傾けた。

「なのにこうやって色々残してくれて、なんていうか、申し訳ないのに、すごいなぁって」

 彼女の言う凄い、とは感心や敬意なのだろうか。
 そこを敢えて掘り下げる訳でも同意することもなく、伏せた瞳を眺める。ただ、あの女性が最後まで何を想ってこの行動を選んだのか。それだけは伝えなければという義務感に対峙していた。

「……ゆかさんは最後まで、貴女が向こうで困っているはずだと言っていましたよ」

 彼女はハッとしたように一瞬息を呑んだあと、静かに眉を顰める。

「困るって……帰ることで自分だって困るはずなのに、そういうところが、」
「ご自分にそっくり、っスか」
「いえ似てません」
「ハハハ、似た者同士はよく反発し合うって言いますからねぇ」

 磁石のように、と笑い返せば彼女は、そうですか? と不満気かつ不服そうな顔を晒す。

 ──そうやって少し膨れた面をするのも、ほんとうに……。

 よく似てます、とは口にしなかった。この記憶だけは自身の中に留めておきたかったのかもしれない。
 暫くするとこの会話の中でどこか落とし所を見つけたのか、ああそっか、と頷きながら声を返した。

「……あっちの世界には解決策がなかった、」

 それに哀しみは感じられず。寧ろ納得いく答えを探し出したようだった。

「けど、もしも戻せる術があったと知って、それが唯一の方法なら。たとえ本意でなくても……きっと私も彼女と同じ行動をしたと思います」

 ──ああ、やはり本然は同じなのだろう。
 紡ぐ世界が異なっただけで、似て非なる性質なだけで、成るべくして成形された魂魄。近しい並行世界が幾十に重なって存在している。各々の想いを乗せて。

「そうですか、貴女にも向こうに大切なモノがあった訳っスね」
「大切、そうですね。大切だったかもしれません」
「……彼女のご意向とは言え。両人ともその心中を察するに余りあります」
「いえ私は大丈夫です、きっと彼女が色々と上手くやってくれますから」

 そう言ってこちらを見やる瞳に、自分は映っていなかった。遠くを見据える眼は常に向こう側だけを捕え続け、置き去りにしたであろう想い人を重ねているようにも見えた。

 ──ドクン。まるであの彼女が自分ではない誰かに奪われてしまったような。そんな奇妙な錯覚を覚え、心臓が煮え滾った音を立てる。
 目前の彼女は彼女でない、と何度も言い聞かせているのに、同じ性格の女性は自分の事を一寸たりとも知らない。この歪んだ現実に眩暈を覚えそうになった。

 この眩みを遮断するように、喜助は自ずと同じ道へと誘導していた。

「貴女の記憶を消すことも可能ですが」

 一瞬だけ、そんなことできるのか、と目を丸くする。
 しかしすぐに「私は忘れたくはないのでこのままでいいです」と困ったように笑って。それに「そうですか」と述べながら真逆の道を選んだ彼女を思い浮かべていた。

「……彼女は消したんですね、こちらにいた記憶を」
「なんでそう思うんです?」
「店長さんの様子を見ればだいたい」
「いやぁ悟られない事には自負してるんスけどねぇ、アタシ」
「はは、すみません嘘です。本当は分かりませんけど、メモを読んだらなんとなく」
「ほう、流石のご推察。その通りっス、消すと同時に術式を行いまして」
「やっぱりそうですか、」
「……はい。ですが、すみません」

 謝罪をしてどうこうなる訳ではない。当然、気分が晴れる訳でもない。

「ひとつだけ貴女に謝らなければならない事があります」

 喜助は自ら犯した事の経緯を順を追って話した。
 いずれ起こり得るかもしれない事実は、再び目前の彼女を最悪な境遇へ陥れるという事だ。それは迷惑極りなく、あまりに身勝手で慾深き策。最善と謳いつつ、己だけに聴こえが良いだけの。
 しかし愚行を恥と晒してでも告げなければならなかった。

「正直いつかは分かりません、発動すらしないかもしれません。もし記憶が戻ったあと、彼女が強く望んだ場合、再び魂魄移動が起こり得ます。そう細工したのも全てあたしの勝手です、本当に、すみません」

 頭を下げた。
 何秒間かも感覚がなく、その間、無音。
 すると堪らず沈黙を破るように「あの、私は気にしてないので頭を上げてください」と柔らかな声が響いた。彼女ならそう言うのだろう、と予想していた声音で。小さく安堵する自分は姑息だと思った。それに甘えて「申し訳ないっス」と最後に謝罪を重ねながら顔を見合わせる。

 何故か、はにかむように笑みを浮かべる彼女は、口許を緩ませ答えた。

「じゃあ私は余計に忘れる訳にはいきませんね」
「どうしてっスか、否応無く入れ替わるかもしれないのに」
「その時が来るまで、いや来ないかもしれないけど、それまで彼女の気持ちは忘れてはいけないなぁと思って」
「いやはや……。何とも貴女らしいお言葉に感銘を受けますよ」
「そう言われると不思議ですね、私は貴方に会うの初めてなんですけど」

 怪訝そうに、それでいながら面白可笑しく告げる姿。
 この顔も、声も知っている。──だが違う。
 ぽろ、と出てしまった胸の内は目前の女性へ向けたものではなかったと本人から気づかされ、危うく狼狽しそうになった。

 ──成る程、相手を一方的に知っているとはこういうことなんスかね、

 当初、不本意に皆と出逢ってしまってから、これまで。一体どんな想いで接してくれていたのかと考えると、胸奥がきりきりと厭に痛んだ。

 ──『騙していて、本当にごめんなさい』

 耳に残る悲痛な懺悔。誰も彼も彼女自身の本質からは騙されてなどいないのに。推し量れぬ苦慮を心に描いては再び抉られる。

「まあ、そうですね。それくらいが私にできる、このメモ帳のお返しかなーなんて。あっちに日記は残してきたけど全然大したこと書いてないですし」
「……互いに逢うことは叶わないのにお返しっスか」
「ほら、映画とかで見るドッペルゲンガーってあんまりいいイメージないじゃないですか」

 なので私くらいは、と優しく笑う彼女は、そう言えば映画鑑賞が趣味だと聞いたなあと、術式を行う前に告げられた事を思い返した。

「そうっスね。ではいつか彼女がこっちへ来た時には、強ちドッペルゲンガーも悪くなかった、と思っていただきましょうか」

 自分でも珍しくそんなことを口走った。混じり気のない者と触れ合うと、自身の言葉さえも変える力があるのかもしれない。
 それに対して「はい、じゃあ私もその時が来たら頑張りますね」と一体何を頑張るのか、いまいち解せぬ解答を得た。きっとこちらの考えには及ばない深い思案を巡らせているのだろう。

 ただあまりに澄んだモノは体に毒な気もする。
 不甲斐なくもこのまま会話を重ねては身を滅ぼし兼ねないと案じ、「さて神野サン、一旦整理がついたところで移動しますよー」そう退出を促した。

 ──全くヒトの良い、瓜二つな分身を連れて。



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