おめでたかったあの日


 ──そこはかとなく不穏、体がそわそわする。

 数日前にクリスマスをお祝いした後は、喜助から素敵な衣装を戴いて、夜一との鍛錬を重ねていたのだが。次第に霊力制御も慣れてきた今では、夜一との鬼道練習が待ち遠しいこともなく。
 あの聖夜以来。喜助との距離感を若干感じることが増えたが、日常生活へ支障など無いはずだった。

 ──けれど、さらに心は騒ついて。

 一日中、ゆかに落ち着きがないのは底冷えからの寒さ故ではない。いつも過ごしている和室と分担場所の納戸を行ったり来たり。同じように掃除や支度を進めているメンバー達を眺めては、眉を顰めた。

 ──どうして……どうしてみんな、普通の日常と変わらない顔してるの……。

 ジン太にテッサイ。百歩譲って、男性陣が祝事に無頓着なのは良しとして。雨や夜一までも今日を総スルーを決め込んでいるように見えるのは、逆に敢えて何か意図があるのかと勘繰りさえ覚えてしまう。

 確かに、大勢で祝ってる描写の見覚えはないけど……けど……! 夜一さんにも何もなくていいの?

 今日の翌日、──それは元日だ。
 つまり、その前日は大晦日。浦原商店に居ながらにして、大晦日に元日とくれば言わずもがな、と思っていたのだが。どうやら自分の想像していた情景はそう易々とは訪れないらしい。ようやくそれを察した。

「ゆかサン、」

 どこからともなく現れた喜助にビクッと肩が跳ねる。

「……どうしたんです? さっきから同じ場所を行き来して。何か探し物っスか? それとも、」
「はっはい!? いえ! ないです探し物なんてないです、何も考えてないです」

 手をブンブンと、脳裏に浮かべていたことを当てられないように全力で彼の言葉を遮った。

「ハハ、そんなに否定しなくても。それはそうと今日は今年最後の日ですから、お掃除も程々にしたら皆で夕飯にしましょ」

 苦笑する喜助の言葉を受け、ゆかは壁掛け時計に目を向けた。

「……あ。もういい時間になってたんですね」
「ええ、直にテッサイ特製スペシャル年越し蕎麦が食べられますよん」

 いやぁ楽しみっスねぇ、と零す彼はどこかはしゃいでいるように見えた。

「そうですか! 楽しみですね、では私もお手伝いしてきます!」
「いつもありがとっス、ゆかサン。……ですが今日くらいは待っていてもいいんじゃないっスか?」

 喜助は今年一年の総括を労うように考慮してくれた。と言っても、自分が浦原商店に来たのはまだ二ヶ月ほど前。一年の締め括りと言うほど、貢献はしていない。それに──。

「いえ、今日は私もお手伝いしたいんですよ。もちろん毎日お手伝いしたいんですが」

 一時だけキョトンとしたような顔をした喜助は「そっスか、分かりました」と口元に緩やかな弧を描く。
 続けて、「アタシは先に子供たちと部屋にいますね」と言いながら廊下を歩いていった。そして、掃除から戦闘ごっこに変わっていた子供たちを呼ぶと、ドタドタと屋内は更に騒がしくなっていく。

 喜助と別れたゆかは、テッサイの居る台所へと向かう。その途中、今度は足元に黒猫姿の夜一が寄った。

「神野、今宵は大晦日じゃぞ。なにも気を遣わんでもテッサイに任せておけば良かろうに」
「いーえ。今日と明日は大晦日に元日ですよ? 一年に一回ずつしかない特別な日なのに何もしないなんて、駄目ですよ」
「何が駄目なのか儂には解せんの。全く神野は世話焼きじゃな」
「せ、世話焼き、ハハハ、」

 この状況。確かに言われてみれば、と的を射ている性格には図星だった。

 ──世話焼きっていうか、あなた方をお祝いしたいだけなんですがー……。


 最早、本人たちは疎か。誰もそれを意識していない現状に、自分だけはこの想いを曲げずにいようと独り心に決めた。


§



 すっかり陽が落ちたあと、時刻は夜へと差し掛かり。
 皆はテレビの前に陣取り、ぬくぬくとこたつへ潜る。子供二人を始め、人の姿へ戻った夜一と喜助も既に暖をとっていた。ゆかが唯一空いている所に腰を下ろそうとすると、喜助が右手でこたつ布団を捲り、「暖まってますよ、どうぞ」と迎え入れる。

 卓上にはテッサイお手製、焼きねぎの入った年越し蕎麦。美味しそうな芳ばしい湯気が立つ。
 目前のテレビ横にあるのは昔懐かしの石油ストーブ。年の瀬の雰囲気を飾っていた。
 ズルズルズル、といただきますの直後から一斉に音が響き渡る。蕎麦をすする音を背景に、テレビからは年末特番の笑い声が聞こえ、番組を変えれば有名な寺社がライトアップされて映った。

 大晦日ならではの映像に、一旦リモコンを置いてぼんやりと見つめる。生放送のそれに映ろうと、人集りが押し寄せてはリポーターを困らせて。その光景は騒がしく、それでいて平穏に見え、実に平和で楽しそうだった。

「お外でカウントダウンしたり、寒そうですけど、楽しいんでしょうね」
「でしょうねぇ。子供たちがいますから滅多に外へは出ませんが、ゆかサンもこの中に入りたいんスか?」
「あ、いえ……私は、そんな」

 ちょっとだけそう思っていたけれど、自分の性格には不似合いだなと感じ妙な気恥ずかしさから首を振った。

「なにも隠さなくても。もう当初ほど遠慮し合う間柄ではないでしょう」
「……解ってて聞いてきたんですか? 卑怯ですよ、浦原さん」
「アハハ、すみません。どうも楽しくなっちゃいまして」

 お得意の読心術も好調な上、この男は浮かれている。
 ゆかはそう確信した。何故なら今日は、と思い返した途端。告げられない言葉が頭を過る。

 ああ、もう。喜助さんが楽しそうなのも、私にもっと会話力があったら……あの事実を引き出せるのに!

 向こうはこっちの気持ちを逆手にとって会話を広げていくのに、対する自分は凡ゆる事実を知っていても、それを上手く踏み台にすら出来ず。

 行き所のない気持ちを胸奥へ追いやるように、またズルズルと温かい蕎麦へ意識を戻した。

「テッサイさん、焼きねぎも美味しくて、こんな素敵な年越し蕎麦をありがとうございます。一番幸せな大晦日です」

 ゆかの斜め前に腰を下ろした浦原商店の腕利き料理人へ、日頃の感謝を込めて礼を言うと、「これもお手伝い頂いたお陰ですぞ。神野殿のお口に合ったようで何より」と謙遜するように会釈をした。

 ──『一番幸せな大晦日』

 テッサイへ向けて思わず出てしまったこの一言。それを左隣の彼へ向けて祝えたら、全く違う意味合いになるのに。悶々と思案を巡らせながらも食い気には負けてしまい、あっという間に年越し蕎麦を食べ終わってしまった。

「神野は年がら年中、世話焼きじゃからの。儂からも言うたんじゃが、テッサイからも従事は程々にと言うとくれんか」

 夜一は今日の行動を思い返したのか、ゆかの性格所以仕方なしと呆れるように、口を挟んだ。

 ──いや、だから、今日のこれは世話焼きではなくて、

 頬がヒクつくのを感じつつ苦笑でやり過ごすと、話を振られたテッサイと目が合う。

「では、こう致しましょう。大晦日と正月三が日の間、神野殿は台所に入ってはなりませんぞ。御節も下準備を終えてあります故、気兼ねなく休まれてください」

 唐突な禁止令にゆかの顔から笑顔が消えた。これでは、こっそりそれとなく祝おうにもなにも出来ないではないか、と。すると、それを聞いていた子供たちと喜助が騒ぎ出し始め。

「テッサイ何だよそれ! いいじゃねーかコイツが勝手に手伝いたいなら! じゃなきゃオレらに回ってくんだろー?」
「ジン太殿、口が悪いですぞ。御客人に此奴などと呼ぶようでは今後も日常的に手伝って頂きますが、宜しいかな?」
「うわ、なんでだよ! ずりぃー!」
「……ジン太君、たまには手伝えばいいのに」
「雨! てめえっ!」
「ゆかさんラッキーじゃないっスかー! ずっと寝ていられるなんて羨ましいっスよ」

 彼らはこちらの気も知らずに楽しそうに話を広げる。

「……どうじゃ? まあ神野のことじゃ。喜助と違うて日中を寝過ごすことはなかろうが」

 夜一が取りまとめるように話を自分に振り戻した。

「え〜っと。では、お言葉に、甘えて……」

 半強制的台所出入り禁止とは。
 しかしここで遠慮しては、先程の喜助の言葉と同様。客人であっても遠慮し合う間柄ではない、などと言われてしまうのだろう。

「そうじゃな。その間に喜助と初詣にでも行けば良い、」

 儂は外へは行かん、とこれまた妙な提案を押し付ける。

「そんな。行くならみんなで行きましょうよ」

 二人だけで初詣なんて、とゆかはすかさず誘い出した。

「まあ、そうっスねぇ。ですがジン太君はあんまり乗り気じゃないんスよねぇ」
「オレ並びたくねェし。外行くなら遊びてェし」
「うんそうだねぇ。まぁ気が向いたらでいいよ、ジン太くん」

 並びたくはない、出るなら野球でもしたい。確かにそれは頷けるなぁ、とその予定は正月を迎えたら考えることにした。
 ただ仮に。喜助と二人だけで行くことになったら、若干気まずい気がする。クリスマスの出来事以降、うまく会話ができなかったり意思疎通がなっているか不安に思うことが増えたからだ。
 もしそうなったら夜一かテッサイに助っ人を頼もうと決め、卓上にある籠に入ったみかんへ手を伸ばした。やはり、今の気分は花より団子なのか。全く情緒もへったくれもない。

 ──はあ。結局、二人に何も言えないのかー。あーあ。

 初詣の話題を出しながら、頭の片隅に居座るのは大晦日のことに元日のこと。じっと静かにみかんを剥きながら、来年こそは会話力の向上を、と迎えてもいないのに新年の抱負を心に宿した。


 暫くすると、どこからか外で音が響く。
 ──ゴーン、という鈍く低い鐘。ゆっくりと一定の間をおいて。

「あ……除夜の鐘、」

 お、もうそんな時間か、とテレビを見やると画面には大勢の若者がお祭り状態に。まだ越していないし、カウントダウンもしてないのに気が早すぎるのでは? と壁掛け時計に視線を移すと、針を指すその時刻に目を疑った。

「……ちょっ、年、越してますよ!」

 口に運びかけたみかんを一旦止め、こたつ布団でゴロゴロする商店メンバーへ声をかける。

「えっ! 皆さん聞いてます!?」

 こちらの声に慌てるのかと思いきや、彼らは至って平然と声を揃えた。

「ええ。越しちゃいましたねぇ」
「何を言うとる、儂は知っておったがの」

 夜一は目を閉じながら顎を卓にくっつけている。そうやってこたつにぬくぬくと身を寄せる彼女は、人間の姿をした猫のようだった。

「え、なんで言ってくれないんですか」

 その可愛らしい姿に頬が緩みながらも、あっけなく新年を迎えたことへのショックは隠せず。

「さっきずっとテレビでやってたろ、お前見てなかったのかよ」
「多分ゆかさん、真剣にみかん剥いてたから、」
「そんな……雨ちゃんまで……」

 何百年と生きている人達が祝事に素っ気ないにしても、商店メンバーも些か冷め過ぎてはいないだろうか。子供よりも年越しを楽しみにしていた、なんて知られたら恥ずかしいったらない。

 ──そんな……! みんなでカウントダウンも出来ずに年越すなんて、

 自分としたことが、と剥きかけのみかんを見つめる。
 そして、思い出したようにテッサイの姿を探すが彼は台所へ行ってしまったようだった。そしてそこはたった今、自分が出入り禁止を命じられた所。

 おまけに新年の挨拶すらもタイミングを逃す始末で、何もかもが心許ない気分になっていく。が、このままでは締まりも始まりも良くない。

 ──……テッサイさんが戻ってきたら、言う。

 言ってやる、と決心を秘め、残りのみかんを剥いてから一気にたいらげた。
 そうして、スッと襖が開かれる。入ってきたのは、お盆を抱えたテッサイ。これでまた全員が部屋に戻った。
 彼は「浦原商店特製の甘酒ですぞ」と誇らしげに湯呑みをコト、と置いていく。皆が礼を言う中、ジン太だけは「オレこれ好きじゃねー」と我が儘を独りごちる。

 ようやくテッサイが腰を下ろすと、喜助が待っていたかのように口を開けた。

「みんな揃ったっスね。はぁい、アタシからお話っスよ〜」

 そう畏まって始まったのは新年の挨拶か、と察するには容易く。ゆかは言いたいことをぐっと堪え、店長としての言葉を待つことにした。

「去年からはゆかサンも加わってとても賑やかに楽しく過ごしました、」

 去年の総括から告げられ、中々出てこない挨拶。
 喜助は続けて「今年もみんなで浦原商店をよろしくっス」と軽く締める。

「では皆サン! 明けまして、お」
「──明けましておめでとうございます!」

 言い時を図らい過ぎて喜助の挨拶に被せてしまった。物の見事にフライングした。けれど、ああもう言っちゃえ! 勢いに任せゆかは続ける。

「おっ、おめでとうございます、おめでとうございました!」

 小鼻を膨らませ、ふーっと息を吐く。
 新年の挨拶に混じらせ、威勢よく二度重ねて祝った。言い切った、本人たちには伝わってなくても、自分の中では全力を尽くした。

「……お、めでとうございます。ゆかサン」

 心配しているような、それでいて豆鉄砲を喰らったような顔をする喜助と顔を見合わせる。
 間髪入れずに、どうしたんスか? とでも聞きそうな表情だったが何も聞かれず。ジン太や雨も不思議そうにこちらを見つつも、落ち着いて「あけましておめでとー」と声を揃えた。

「皆、おめでとう。にしてもお主はいつになく元気じゃのう」
「神野殿の溌剌さは元旦に相応しいですな」

 時間を置いて一気に恥ずかしさが込み上げる。この違和感に突っ込まれようとも何も言い訳はしないぞ、とゆかは唇を結び堪えた。
 そしてその後は、皆が「今年もよろしく」と口を合わせて大晦日を跨いだ深夜、元日を迎える。

 不意に。左隣に居座る喜助が「あのーゆかサン、」と自分にしか聞こえない声で名を呼んだ。
 その声に、バレた……? と不本意ながらに身構え、顔を横へ向けた。

「ひょっとしてっスけど、」

見透かしているような琥珀色の瞳から目を逸らせず、無言で見つめ返してしまう。何か言わねばと妙な焦りを感じ「なんでしょう」と冷静に受け応えた。

「そんなに、カウントダウンしたかったんスか?」
「……へ? えっと、なぜ?」
「あーやっぱりそうだったんスねぇ、言ってくださいよぉ」
「え、いや、そんなことは、」

 確かに思ってない訳ではなかった。ただ、今そういう考えは巡らせていなかっただけなのだが。
 自分の『なぜ』という問いも、『どうしてそう思ったのか』という問いかけだったのに、彼にはきっと『どうしてカウントダウンしたかったのが解ったんだ』などと勘違いされたに違いない。

 違いますよと否定したところで、彼の中ではその勘違いが独り歩きしていたようだった。確信に満ちた面持ちの喜助はさらに肩を寄せ、耳打ちをするようにそっと囁き始める。

「次はカウントダウンしましょうね、アタシと二人で」

その揶揄うような物言いに心臓が跳ね、耳まで熱くなっていくのを感じた。

「っ、 な、ななっなに、を」

 一気に動揺。言葉にならない驚きに騒めきが、余計に鼓動を速めていく。ゆかは視線を他所へ移すが、クツクツと喉を鳴らす喜助は追撃をやめない。

「ゆかさんとお祝いしたいんスよ、」

 緊張に拍車をかけるように優しく囁かれたそれは、平常に努めた思考回路を悉く潰していった。

 ──できるなら、私だって、

 俯き気味になりながら、こたつ布団をぎゅっと握る。

「私も一緒に、お祝いしたい、です……」

 すると喜助は「……それは素直なことで」と揶揄う訳でもなく、寧ろどこか感情の薄いような声音で返した。
 ぽろっと零れた本音とその反応にゆかは慌て、内に秘めた事情や想いを誤魔化す。

「で、ですからっ、おめでとう……ございます、」

 最後に、もう一回。
 薄琥珀の珠を見据えて伝えると、今度の喜助は口元に弧を優しく描いてこちらを見守るように微笑んだ。

「はい、おめでとうございます」

 返ってくる言葉は新年の挨拶だけ。けれど、今はこの心地良い居場所が充分に幸せで嬉しくて。

 ──大好きな二人へ、大切な日に何も言えなくてごめんなさい。……いつか言えるその日まで、心の中でずっとお祝いするから。だから、

 ──お誕生日おめでとう、喜助さん、夜一さん。



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