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小規模なしあわせ







 ――いい加減、俺達は距離を置くべきだ。

 そう思い始めたのは特に記憶に新しい頃でもない。イヴェールと出会ってもう三年目になるが、未だに彼を殺せていない。いや、殺さないのではなく、正確に言うと殺せなくなっていた。情が、移ってしまっていた。



 イヴェールは、たいそう人間らしかった。死の妖精と契約を交わすような奴はきっと生も死も超越し、人間離れしているとばかり思っていた。だのに、イヴェールは芝居が好きで、ワインが好きで、一緒に飲んで騒いでくれる女友達が好きで、訳の分からない淋しがり屋で、暑さが嫌いで、品の良い依頼人が嫌いで、パトロンに言われて殺しをするのが嫌いだった。それでも、仕事だと割り切っている時の彼の表情は正に殺し屋そのものだった。芝居やワイン、嫌いな依頼人のことも忘れ、ただただ標的に死を与えた。……以前、夜更けに悪夢に魘れていた彼にナイフを翳されたことを思い出せば、あれがイヴェールの本来の表情であろうことは明らかだ。だが、あの後のいじけた姿も、気味悪い程甘えた態度も、彼本来のものである気がしてならない。そんな人間性を垣間見てしまえば、もう唯の殺し屋なんて思えない。思いたくない。イヴェールは、唯のちっぽけな人間の一人にすぎないのだから。

 だが俺がそう思っていても、イヴェールは俺を何の躊躇いもなく殺せるだろう。それでも彼がそうしないのは、恐らく同じ考えだからだ。全く、二人揃って情が移っただなんて余りにも馬鹿だ。でもそれを理解しながら、結局ぐだぐだと師弟ごっこをしている。いや、寧ろもう唯の相棒だった。イヴェールに相棒みたいだなと言われた時は誰がと否定したが、彼の仕事に着いていけばその片棒を担いだし、追っ手に追われた時は当たり前のように背を預けて戦った。これで他人ですなんて言えたらある意味尊敬に値する。

 今更、殺すなんて真似ができる訳がない。失った彼女を生き返らせたいという渇望が消えることはなかったが、同時に沸き起こる葛藤はずるずるとこの曖昧な生活を続けさせていた。

 ――だからこの半年、死の妖精の情報があったのでこの都を離れていた。今度は、一人で。あわよくばそのまま縁を切ろうとも思っていたのだが、結局情報を追っているとまたこの都まで辿り着く羽目になった。来てしまった手前どうにもイヴェールの様子が気になってしまい劇団を訪れたところ、どうやら怪我で三日程休んでいるらしい。何やってんだかと思いながらも、彼の住家を劇団員に尋ねてその辺りをうろうろとしてみた。存外に、その姿はすぐに見つかった。

「――……あれ、戻ってたのか?」

 人込みに紛れながら陽気そうに歩いているイヴェールの姿を見て少しほっとした自分がいた。同時に、視線が合って声をかけられた瞬間、妙に気まずくなった。

「……ああ、久しぶり」

 見付けられてしまって逃げるのもおかしいので、常套な返事をしてみた。人の往来を掻き分けて、イヴェールがこちらまで歩いてくる。本当に懐かしくて、言葉に詰まる。

「何で、戻って来たんだ? 情報は?」
「あー、……あれな。ガセだったわ」
「……そうか、残念だったな」

 また気まずさが二人を取り囲む。不思議な沈黙が続き、商人の声や馬車の往来の音がやけに響く。二人の間の四歩程の距離を他人がずけずけと通り過ぎて行くので、立ち話をする場所ではないと漸く気付いた。

「とりあえず、上がるか?」

 そう言われて是と答える以外の考えが浮かばなかったので、近くにあるというイヴェールの現在の住居まで案内してもらった。そこは多くの人が住む集合住宅で、イヴェールはその一角でこじんまりと暮らしているようだった。

 部屋は相変わらず芝居道具等でごちゃっとしていた。イヴェールは疲れたと溜息をついて、寝台に勢いよく腰掛けた。

「そういえばその腕、どうしたんだよ」
「ああ、これ? 噛まれた」

 噛まれた。その表現で思い浮かぶのは、イヴェールが無駄に犬好きだったことくらいだ。

「もしかして……」
「お近づきになろうとしたのに」

 呆れた。それ以外の言葉が思い付かなかった。以前仕事で殺した人間の飼っていた犬が、主人の復讐だと言いたげに俺達を付けていたことがあった。主に忠実なその犬をイヴェールは大層気に入っていて、何度も触ろうとはしゃいでいたのを俺が止めていたのも記憶にある。半年も、まだ諦めてなかったのか。

「……お前、やっぱ馬鹿だな。なんも変わってない」
「馬鹿に言われたくない、馬鹿」
「……で、そのおバカさんは結局噛まれて劇団休んでましたと」

 図星らしいイヴェールはそれ以上は否定しなかった。ふて腐れたように足をばたつかせ、唇を尖らせる。正に、唯のガキ。

「……様子が変だったから近付いただけだ。仕方ないだろう、あの時期の雌犬は気が高ぶってるんだし」
「え、あの犬雌だったのか?」
「普通気付くだろ」
「残念ながら俺はそんなに犬好きじゃないんで」

 至極どうでもいい事実を告げられたが、あの犬の性別が一体何の関係があるというのか。

「子供がいたんだ。だが、あれは恐らく病気に罹っている」
「……そんなに気になんのかよ」
「悪いか」

 そうして稀有な瞳が睨み付けてきたことで、漸くその色に憂慮が滲んでいることが理解できた。昔のよしみ、とでも言うのだろうか。流石に相手の心情くらい少しは測れるようになった。

「あーあ、しゃあない、俺が見て来てやるよ」
「俺も行く」
「その腕でか?」

 イヴェールははっと気付かされたように自身の右腕を見るが、瑣事だと言いたげに睫毛を伏せながらもごもごと話す。

「……別に、見るだけだ」
「いいや、絶対また触ろうとする」
「う……」

 唸って、口を閉ざした。未だに自由人で不可解な奴だけど、不可解なことをすると初めから考えていれば行動にも合点がいく。昔よりは、まだ扱いができてる方かもな。

「見てくるだけだから心配すんな。大人しくしとけ」
「……分かった」







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