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弱虫な蝶のノイローゼ








 俺達は仕事をするうちに町を転々とするようになっていた。だが、変わったのはそれだけではない。旅の先々でイヴェールは宿の自分の部屋に女を連れ込んでは談笑を繰り返していた。別にいかがわしいことでも何でもないと本人は言い張っているが、その真意は未だに分からない。仲の良い友達と話してるだけだとかうんたらかんたら。何だか正直どうでもよくなってきた、気がする。

 だが、今日は宿がどうにも混み合っていたらしく相部屋しか取れなかった。女を連れ込み始めてから俺と狭い部屋で一緒は嫌だとも言い始めた奴は、本日は仕方なく(……と本人は連呼していたが)同じ部屋で寝泊まりだ。そんなに俺が嫌いかと問い質したくなる程断固拒否されていたのだが、如何せん野宿は勘弁したいので何とか聞き入れてもらった。

 そうして水掛け論で一悶着あった後。すっかり夜も更け、高く昇った三日月が室内に映り込む時。うとうとと着実に眠りに誘われ始めた頃に何故か鼓膜が震える。

「……?」

 ふと、ローランサンは甲高いがか細い悲鳴のようなものが耳に届き反射的に起き上がる。音は、何故かすぐ隣のベッドから聞こえた。静かに自分のベッドから下りると、布団に包まり丸くなっているイヴェールが視界に映る。

 ――!

 二度目の耳を劈くような高音。やはりそれはイヴェールからのもので間違いないようだ。懊悩とした悲痛な叫びに顰蹙してしまうが、布団から覗く肩にそっと手を置いてみる。

「イヴェール――」

 肩に触れたその手から、異常な感覚が伝わる。底知れない殺気に酷似した痺れが腕を搦めた瞬間、咄嗟に身を引こうとした。だが、手首を掴まれてしまう。

 気付けば、何故かベッドに押さえ付けられていた。馬乗りになるイヴェールは冷え切った視線でナイフを俺の首に翳す。掴まれたままの右手が痛い。けれど、それ以上に人形のように冷めた双眸に僅かな恐怖を覚える。

「…………なんだ、お前か」

 なんだはこっちだ。早く退け。そう言葉にしたいのに、口は二酸化炭素しか吐こうとしない。

「殺されたかったのか?」

 違う。お前を起こそうとしただけだ。ゆるゆると首が横に振れるだけだった。声が凍り付いたようで何とも気分が悪い。

「それとも、殺したかった?」

 違う。『三回目』じゃない。勘違いすんな、馬鹿。また首が機械的に横に動くだけ。

 イヴェールの殺気に圧倒されたと言ってもあながち間違いではないが、肩に触れた時に感じたものは殺気だけではない気がした。だが、それを俺が詮索する必要はなく、しかもそのような関係でもない。結局イヴェールのことなど何も分からないのだから干渉しなければいいのに。否、そうしたくなくても年月というものは不思議なもので、一日でもこうして一緒にいるとやはり感情移入もしてしまう訳で。残念ながら、もう他人の振りなどできない。それほどまで長く時を共有してしまったのだと今更気付かされる。

 俺にその気がないことを悟ると、イヴェールは漸く上から退いてくれた。だが、そのまま床にナイフを落としてベッドの隅で白い布団を被り丸くなってしまった。まるでいじけた子供のように。

「……何なんだよ」

 やっと声が出たというのに、それは単なる情けない罵声だった。それっきり何と声をかければいいのか分からず、また沈黙が部屋に充満する。考えたところでどうにもならないのでとりあえず布団を被って寝た振りをした。瞼が重いと感じ始めた頃に、再び鼓膜がか細い声に震える。

「……ローランサン、」

 いじけた白いダンゴムシから声をかけられた。何となく、無視をするのも憚られたので首だけそちらを向けてやった。

「……今日は、話し相手が居ないんだ。だから、一晩一緒に居てくれないか?」

 気付くと、ギシッとベッドのスプリングが鳴いていた。白い布団から脱皮したダンゴムシは何故か妖艶に上目遣いをしていた。俺の領域に足を踏み入れ、シーツに両手を付いて首を傾げている。……あれ。ダンゴムシって、蝶になれたっけか?

「ダメか?」
「……な、なんで、いつも嫌がる癖に――」

 じり。

 ゆっくりと詰め寄られるが、俺は言葉が詰まり反射的に後退りしてしまう。だが、今度は何処の捨て犬だと言わんばかりに哀しそうな目で見つめてくる。正直こんなに甘えられることが今までなかったものだから心臓が煩くリズムを乱している。息が詰まる。訳も分からず顔の距離が縮まる。何だこの状況。何だこの空気。普通に考えると気味悪い筈なのに、無駄に端正な顔立ちのイヴェールだと逆に艶やかに見えてしまう。半身をベッドに載せて背を猫のように反らして見上げる姿が、目の毒。両膝がベッドに侵入してくる頃には、もう俺の中で何かが折れた。

「分かった分かったから!! 一緒に居ればいいんだろ!?」

 悲しいことにすぐに根負けしてしまった。我ながら馬鹿馬鹿しい。何時もなら無理にでも引っぺがすだろうし、ましてイヴェールもそんな甘えるような態度を取らない。でも今は、どうにも淋しげな視線が痛々しく感じてしまった。だからこそ対応に困る。そうして俺が承諾すると、緋と蒼をぱちくりと瞬かせて小さく含み笑いを浮かべた。それはそれは、たいそう嬉しそうに。

「……うん」

 唇をきゅっと引き締めて俯いたイヴェールが可愛く見えたとかは断じてない。ごめん、嘘。ちょっと、本当にちょっとだけ可愛いとか思った自分に嫌悪。

 そんな弱々しい姿を見ていられなくて俺はさっさと布団を被り直した。ベッドに半分スペースを空けて反対方向に顔を向けると、そこが温かみで埋まった。

「…………ローランサン?」

 話し相手になる気は毛頭ないので今度の呼び掛けにはだんまりを決め込んでやった。寝てると、思われただろうか。そのまま静かに黙り込んでしまったので、好機とばかりに眠ってやろうとしたのに。

「……さっきは、いきなり悪かった。起こしてくれて、……ありがとう」

 滅多と無い謝罪に眉がぴくりと反応したが、少し気恥ずかしいから必死に寝たふりを続けた。だが、何を思ったか、今度は俺の背中に額を預け始めた。もう訳が分からない。縋り付くような仕種が少し控え目なのは、連れ込んでいた女と相棒という立場の男を比べるとやはり後者には引け目が出て来るからだろうか。そんなイヴェールを自分が慰めてやらないといけない立場だろうことは分かっていても、それ以上が踏み込めない。きっとそれはイヴェールも同じなんだろう。近付き過ぎてはいけないんだと互いに薄い境界線を引こうとしている。まるで、それが義務であるかのように。

「……俺、さ…」

 ぼんやりと考えていると、舌足らずな声が背中越しに伝わる。ちょっと息が擽ったい。ああ、これは半分寝てやがるなと呆れながら続きに耳をそばだてる。

「……ローランサンのこと、嫌い、…じゃない、から……」

 数瞬息をするのを忘れてた。でも残念ながら、そうやって薄い境界線を無意識に消し去ろうとしてくるお前のことが、俺は嫌いだ。



 正直、隣から安らかな寝息が聞こえても、全く眠りにつけなかった。



 翌朝、何食わぬ顔で話しかけてくるイヴェールに腹が立ったのは言うまでもない。隈ができてるぞと言われた時は、お前の所為だと本気で言ってやりたかった。まぁ、また『三回目』と勘違いされては困るので控えさせていただいたけれども。






end.







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