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傍の終止符まで共に


※西風の皇子・短編集にある『夜の蝶』に登場する魔法使い二人のパロです。元ネタを知らない方にも分かるようにしたつもりですので大丈夫だと思います。ちょっぴりファンタジー思考で読んでいただければ幸いです。
















 ぶわり、風が二人の間を駆け抜けた。やっと、見つけた。男の絹糸のような銀髪が風に靡いてはらはらと波打つ。美しい、という感嘆と共に、そこから染み付いた血の香が漂ってきた気がした。

『……アンタを殺せば、死術が手に入るのか?』
『ああ』

 目の前で無機質に微笑むその男に、俺は問い掛けた。返事は余りにも淡々としていて全く現実味を帯びていない。肯定した表情は緋と蒼の双眸が細められ、端正な顔立ちが妙に冷たく感じられた。

 男の足元に累々と転がる人間。彼らは既に事切れているようでぴくりとも動かない。代わりに、彼らから淡く輝く蝶の姿が浮かび上がった。数匹の蝶達はこの眼前の男の死術そのものと言ってよい。死屍から生を喰い尽くした後、蝶は男の周りをひらひらと飛び交い、そして闇の中に消えていった。それと時を同じくして、薄い唇が台詞を読むかのように機械的に動かされる。

『俺が死ねば死術の契約は解け、蝶達はお前との契約に応じるだろう』

 死の妖精を纏っていた男は、俺には死神そのものにも見えた。眉一つとして動かさない能面のような表情は寒気さえ引き起こさせる。

『その代わり、挑戦は三回まで。三回目でも俺を殺せなければ、お前を――』





 ――殺す

 その言葉の裏側に見え隠れする狂気に、鳥肌が全身を駆け巡った。感情の読み取りにくい仮面の表情から鋭利な棘が放たれたのを感じる。纏う空気が重く、痛く、肌を刺す。そんな男の殺気に触発されてか、こちらの感情は高揚するばかり。ぞくりと背筋に走るものを唾を嚥下して押さえ込み、俺は汗ばんだ右掌に包まれた杖を強く握り締めた。

『それでも死術が欲しいのなら、俺を殺してみせろ』

 挑発的な言葉に足を踏み出して間もなく。





 そうして、容赦なく半殺しにされてから三ヶ月が経った。





***




 ローランサンはここいらでは名の知れた魔法使いだった。ところが、その地位や名誉、本当の名前さえも捨て、今を生きていた。

 そう、死術を求めて。

 死術とは生と死の秘密を解明し、生命の発生から消滅に至る全過程を支配する魔法である。恐らく、死を与えることができる術なら生を与えることも可能だろう。ローランサンは己の過ちで亡くした恋人を再び地上に戻したかったのだ。今隣にいる男、イヴェールはその死術を用いながら殺し屋として生きている。冬のように冷徹そうな表情が名前にぴったりだとローランサンは常々思う。死術――それは七匹の蝶の姿をした妖精であったが、それを持つ魔法使いはこの世界に二人と存在しない。彼は絶対的な信頼の下、金で雇われて殺しを請け負っていた。何せ《死術》だ。確実に、そして穏便に事を運べる。

 死術は他人から奪い取るもの、イヴェールはそう言っていた。ローランサンは三回の機会を与えられ、何れかの挑戦でイヴェールを殺し、そして死術――死の妖精を奪い取らなければならない。奪い取れれば、ローランサンの勝ち。負ければ、逆に殺される。所謂命を懸けたゲームだ。

 彼から死術を貰い受けようとローランサンが初めて挑んだのは三ヶ月前。こてんぱんにのされた後に思ったが、細い体躯のどこにあんな力があるのだろうか。殴る力も蹴る力も尋常ではなかった。死術だけでなくそんな人間離れした力も持つイヴェールは、現在隣に座ってテーブルに肘を付きながらぼんやりと窓の外を眺めている。余りにも暢気だ。あれから二回目の挑戦はまだしていない。だが、ローランサンに狙われているという緊張感は欠片もないのか気を許している。否、これは単に彼がそういった性格なだけかもしれないが。

 あれから、ローランサンはずっとイヴェールと行動を共にしている。表向きは彼の弟子として。弟子と言っても、師匠呼びをしたり教えを乞うたりするようなことは一切なかったが。そして、裏では彼を殺す機会を伺うためだった。チャンスは三回だ。力の差は歴然としているが、それでも諦めることなどできない。やっと死術に一歩近付けたのに、みすみす逃したりなど誰がするだろうか。彼もそれを知った上で、ローランサンを傍に置いているのだ。

「あ、」

 何かを思い出したようにイヴェールが椅子から勢いよく立ち上がる。その時たまたまイヴェールの手が花瓶にぶつかった。バランスを失ってテーブルから転がり、万有引力の法則に従おうとしたそれを、床に触れるすんでの所でローランサンは受け止めた。そんなローランサンの必死の対応には一瞥もくれず、イヴェールはバタバタと部屋を散策しだした。全く、本当に彼は殺し屋なんだろうか。もっと落ち着きを持って欲しいものだ。

「部屋の物壊したいのかーお前はー」

 返事はない。ローランサンも棒読みだ。彼が自由人であるのはもう既知しているので、言っても答えやしない事は端から分かっているからだ。特にどうこうする訳でもなく、ローランサンは椅子に座ったままその様子を眺めていた。

 イヴェールは殺し屋を本業としていたが、表向きの職業は舞台役者だった。実の所この部屋は舞台の裏手にある古い楽屋を借り切ったものだ。ベッドや家財道具が持ち込まれ、既に此処が二人の住まいになっていると言っても過言ではないが、やはり何でもかんでも壊されては困る。ふと、先程イヴェールの所為で花瓶の大半の水が失われてしまったのを思い出した。とりあえず、挿された花達が可哀相なので水を足しに洗面所へ向かった。そうして部屋に戻ると、舞台衣装の山積みを慌ただしくひっくり返していたイヴェールがいつの間にか煌びやかな衣装を纏っていた。

「……またそれかよ」
「なんだ、お前は俺の楽しみを奪いたいのか?」
「いーや、別に」

 呆れたように言うローランサンに対して、血で染めたような――と言うと表現が悪いが、暗紅色の裾の広がったドレスを着ていたイヴェールは至極楽しそうだ。いや、別にイヴェールが女装趣味という訳ではなく、単に彼は舞台で演技をすることが好きらしい。この国の演劇では女性役も男性がするという慣習の為、イヴェールは度々こういったドレスを身に纏っていた。焦って部屋を散策し始めたのはこれを探す為だったらしい。どうやらこれから講演があるようだ。

 にしてもいい加減見馴れた気もするが、やはり細くて華奢なイヴェールはそれなりに、寧ろかなり女装が似合っていた。殺し屋の姿が想像できない程華やかで思わず視線を奪われる。だが、殺し屋だと知っているローランサンにはどうにも赤のドレスが返り血のようにしか見えない。決して褒め言葉にはならないが、彼は女装よりも血を浴びた姿が遥かに似合うかもしれない。

「そういえば、お前は逃げないんだな」
「何が?」

 急いでいた割に、講演まで時間があったらしいイヴェールは壁に凭れて普段通りのんびりとした口調で話し出した。

「お前みたいに死術を欲しがる奴は前にもいたよ。でも、俺と戦うと無理だと悟ってさっさと逃げ出す」

 そう、殺されないように。

 イヴェールは人を殺すことを厭わない。その姿に嫌悪感を抱く程、彼は意図も簡単に生命を奪う。恐らく三回目の挑戦でもしくじれば、彼は何の躊躇いもなく自分を殺すだろう。それが分かった人間は恐れ戦いて逃げ出すに決まっている。そして決定的な理由は、イヴェールは死術を使わなくとも滅法強いことだ。――けれども、

「……それは、」

 ローランサンは俯き、震える声で呟いた。そして、顔を上げると共にキッと睨みを利かせる。

「それは俺が二回目でも無理だったらの話だろ!」

 声を唸らせたローランサンはテーブルの上にあった先程の花瓶を掴み、イヴェールの足元に向かっておもむろに投げ付けた。陶器の割れる音に紛れて、ローランサンは相手に聞こえないような小声で詠唱する。

「当たってないぞ?」
「ああ!」

 飄々とした表情のイヴェールを見て、ローランサンはニヤリと笑んだ。イヴェールの足元に零れた花瓶の水がぶわりと膨れ上がり、まるで生きているかのようにイヴェールの足首に絡み付いた。先程の詠唱でローランサンが水の妖精を呼んだのだ。

「!?」

 イヴェールは水の冷たい感触に俄かに驚いたが、ローランサンは捕らえたことを確認するとすかさずテーブルにあった果物ナイフを投げ付けた。足だけでなく腕までも水に搦め捕られている今のイヴェールはナイフを避けられない――筈だった。視界に輝く蝶の鱗紛が舞っていたかと思うと、いつの間にかローランサンは鳩尾に痛みを感じ、ぐらりと視界が揺れて床に突き倒される。立ち上がろうと腕を付いて上半身を起こそうとしたその瞬間。

「はい、残念」

 首に触れる距離で突き付けられた冷たい果物ナイフ。僅かな痛みと生暖かい血が伝う感覚。床に手を付き、鼻先が触れそうな程近距離で感情のない笑顔を浮かべるイヴェール。ローランサンが降参の意味を含めた溜息を零すと、イヴェールは呆れたように言葉を紡いだ。

「折角罠にかかった振りしてやったのに」
「……お前、性格悪」

 水の妖精の束縛からは何時でも逃れられたのだ。蝶、即ち死術を使い妖精を殺そうとした。妖精は間一髪でその水から逃れたらしい。助かったようで良かった。水の戒めの緩んだイヴェールは投げられたナイフを掴み、そのままローランサンの前に素早く移動して鳩尾に蹴りを入れ、そしてナイフを首に突き付けた。唯それだけのことだ。

「――……ッ!?」

 以前に『殺す』と言われた時に酷似した鳥肌が首から全身に伝わった。イヴェールがローランサンの首の傷に舌を這わし、血液を舐めとったのだ。まるで死の痛みを告げるように。少し、ほんの少しだけ慰みの念も孕んでいた気がしたが。

 ――お前は俺を殺せない

 その意味の分からない行動から、そう言いたいのだろうと感じた。だが真意は、皮肉か謝罪か、一体どちらだろう。湿った首筋にイヴェールの息がかかり、脈打つ傷は痛みを思い知らされているようだ。やはり謝罪なんてある訳がない。親犬が子犬の怪我を舐めるような感情は少しも持ち合わせていないだろう。傷付けてすまないなんて偽善があったとしたら腹を抱えて笑ってやる。イヴェールは慈悲の感情でも、まして血を舐めたい訳でもない。単に、痛みを、死を、ローランサンに再度理解させたいだけだ。ローランサンが思惟していると、今度は吐息混じりに耳元で囁かれた。

「……あと一回、だな」

 イヴェールはローランサンの上から退くと、作業台から仮面を取り、女物の衣装を翻して華やかな舞台上へ歩を進めた。次にイヴェールを殺せなければ、今度こそ本当にこちらが殺される。最後の機会は慎重に選ばなくてはならない。ちらと振り返るイヴェールは、楽しいのか悲しいのかよく分からない曖昧な笑みを零して部屋から出て行った。パタン、と閉められた扉から焦点を離せないローランサンは、未だに血が滴り脈打つ首筋を手で押さえる。

 妙な寂寥感を覚えた。儚く消えてしまいそうな今の笑顔がふわりと浮かぶ。また、何か大切なものを失いそうな気がする。もう自分には失うものなんて何もない筈なのに。愛しい彼女のような人は、もういないのに。杞憂が胸を締め付けたその時、見つめていた物言わぬ扉がキィと声を上げた。そしてにゅっと顔を覗かせたのは、イヴェール。

「――あ、花瓶の弁償、お前がしとくこと。これ師匠からの命令だから。いいな?」

 パタン、と再び扉が閉められた。同時に顔が引き攣る。……確かに割ったのは自分だったが、本を正せばアイツが落としたんじゃないのか? 何が弁償だ、何が。こんな時だけ師匠面しやがってあの野郎。眉間の皺が深く深く刻まれ、苛立ちの籠った声が漏れた。

「……はぁ?」

 グッバイ、寂寥感。次は絶対殺してやる。



 逃げたりなんて、絶対してやらないからな。






end.







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