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蕾のままでした


※ロラサン+子イヴェ。
君は腐ったバニラビーンズの続き。











 ただいま、なんてここ数年言っていないな。

 そんな暢気なことを考えながら無言でいつものアパートのドアを開ける。両親のいないローランサンにとってそれは至極当たり前のことなのだが、どうにも今日は家中に他人がいることが明白で無駄に考え込んでしまう。まぁ、他人と言っても年の離れた小さな子供なのだが。

 まだ出逢って間もない子供を世話するなんて、ローランサンにとっては余りの暴挙であった。元来他人を気にかけたりすることが苦手な自分にまして子供の相手などできるのだろうか。答えは否、そして相手も悪かった。愛らしい子供――イヴェールは齢七にして異常なまでの知識を持っており、とてもそこらの子供とは比べものにならない饒舌ぶりだった。丁度今朝も口での鬩ぎ合いに負けたところだ。そんな子供がいる自宅に帰ること程、憂鬱なことはないだろう。

 おかえり、と言ってくれるような人間はいないのだ。リビングに足を踏み入れるのも勿論無言。そういえば、子供はどうしたのだろうか。バイトを終えてから帰るため先に食事は用意しておいたのだが、どうやらそれは食べてくれたらしい。空になった白い食器が丁寧にも洗われていた。

「……律儀な餓鬼」

 ぼそり、呟きながら食器籠に並べられたものを手に取って眺めてみる。あの年なのによく赤の他人の家に上がり込んで気を遣えるな、と感心した。きっとあの性格だから臆面もなく散らかしてあるかと思っていたのに、ある意味拍子抜けだ。

 にしても、あの子供は何処にいるのか。流石に家から出たなんてことはないだろう、あのサヴァンに言い聞かせられていたのだから。ならば、こんなお世辞にも広いとは言えないアパートで考えられる場所は一つくらい。

「……早」

 一つだけある自室の扉を開ければ、自分のベッドが占拠されていた。と言っても小さな矮躯が丸くなっているだけで、いつものベッドがより広く見えたが。あれだけ憎たらしい子供でも所詮は子供、やはり眠る時間は早いらしい。パタン、となるべく音を立てないよう扉を閉め、健やかに眠る子供に近付いてその様子を膝を折って眺めてみる。こんなに近付いても、全く目覚める様子はない。ローランサンがベッドの縁に腕を載せてみると、顔の距離が十センチ程だと言うのにいつもの警戒心など微塵もないのだ。ここぞとばかりにまじまじとその子供の顔を見詰めてみる。

(寝てるだけなら、まだ可愛いのにな……)

 ローランサンは心底そう思った。子供を可愛いなどと思ったことは正直言って余りない。泣くわ喚くわで言う事も聞こうとしない、そんなものだとばかり考えていた。だが、この子供は酷く冷静で聡い。勿論文句は零すが、駄々をこねるような幼稚なことはしない。その上様相は人形のように端正だ。きっと自分位の年になれば相当な美人――これは褒め言葉にはならないだろうが、恐らく性を問わず見惚れるような存在になるだろう。それでも円やかな顔のラインは子供らしく、手も小さい。綿菓子のように柔らかそうな髪、ぷくりとした稚い頬。思わず、本当に何気なく、その頬を指で突いてみた。

「――……ッッ!!!!」
「おわっ!」

 すると、うっすらと開いた瞼が素早く状況判断し、跳びあがるようにしてローランサンから距離を取った。

 ガツンッ!!

 同時に、鈍い音が小さな悲鳴と共に部屋に谺した。

「だ、大丈夫か――」
「触るなっ……!!」

 驚きの余り、跳び起きてしまった子供は後ろの壁に頭部を派手にぶつけたらしい。それの所為か、赤らんだ眦から放たれる視線は憤りと、……そして何故か恐怖を孕んでいるようにもとれる。暗がりの中で響いた声も、子供特有の高い音域で鼓膜がピリと痛んだ。狭い部屋には頭を押さえながら息を整えようとする子供、そしてそんな幼い子供の言葉に気圧されたローランサンだけ。静寂に響く子供の小さな息遣いのリズムが整う頃、漸くローランサンも平生の落ち着きを取り戻した。いや、落ち着きと言うより寧ろ、奇妙な居た堪れなさを。

「……起こして悪かった」
「別、に」

 謝らねばならない程のことを自分はしただろうか。疑問に思う半面、何故か酷い罪悪感を覚えた。子供の反応はやはりと言うか、いつもの素っ気なさであったが。

「……俺リビングで寝てっから何かあったら言えよ」

 子供にベッドで寝ていいなんて言った覚えはないし、何で自分の部屋から出ていかなければならないのか分からない。それでも、今は子供の視線に耐え切れる気がしなくて、自然と背を向けて部屋を後にしていた。





end.







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