小説 | ナノ

酸とアルカリ


※初期盗賊の話










 宿の部屋の扉を開けると、そこはもぬけの殻だった。

 そう、昨日やっとの想いで金を手にしたというのに、宿に戻るとテーブルに置いてあった筈のそれが綺麗さっぱり消えていたのだ。ついでに、最近組んだばかりの白髪の男も。

 イヴェールは息を切らしながら酒場を目指した。恐らく、そこに探しているものがどちらもあるからだ。今回の仕事の提供をしてくれたのもそこなので、礼か何かで飲みに行ったのだろうと踏んで。

 漸く着いた酒場の扉を開けば、案の定カウンターに探していた白髪が酒場の主人と仲よさ気に話していた。その頬は幾分赤く、もう大分飲んだであろうことを予期させた。だが、もう一つの探し物はなさそうだった。代わりに、テーブルの上には溢れんばかりのワインの瓶が並んでいた。まさかとは思いながらもイヴェールはカウンターに近付いて行き、彼の背後に立った。その気配にやっと気付いた白髪の男――イヴェールの相棒であるローランサンはぼんやりと後ろを振り返った。

「――お前、あの金全部使ったのか」
「……いーだろ、別に。誰が何処で酒飲もうが」

 こうやって反論するということは、昨日稼いだ金を酒に殆ど費やしてしまったのだろう。ローランサンはグラスを手にしたまま、適当に言いくるめた。話が通じてないのかと訝しんだイヴェールは、ぴくりと眉を寄せて呆れたように言葉を返す。

「そんなこと言ってねぇよ。……分かってんのか? 一人じゃねぇんだから全部お前の金じゃないだろ」
「ねちねち煩ぇなぁ…。どっちみちテメェの金でもねぇだろうが」

 一見理に敵った物言いだが、二人で稼いだ金をローランサンが勝手に酒に代えてしまったのも事実。反抗されて余計に眉間の皺を深く刻んだイヴェールは、その事実を分かっている癖に八つ当たりのように睨んでくる相手の態度に小さくも確実な憤りを覚えた。だが、平生から落ち着いた対応をすることに慣れているイヴェールは、それを心の底に押し込むように一息ついた。

「だから全部使ったってのか。ちっ、勝手な奴…。明日からどうやってくつもりだ」
「別に明日考えりゃいーだろ。っていうか、とりあえずうぜぇから帰ってくんねぇ? 酒がまずくなる」

 そう言ってローランサンはとろりと赤らんだ焦点を投げ捨てる。殆どそっぽを向いてしまったような彼の態度に、遂にイヴェールの何かが切れた。先程押し込めた筈の何とも言い難い沸々と込み上げてくる感情に従って、イヴェールは無理矢理ローランサンが手にしているワイングラスを奪った。そして、何の躊躇いもなく彼の頭上でそれを傾けた。勿論、ワイングラスの中身はばしゃりと白髪にかかる。

「ッッ!! 何しやがんだ!!」
「うぜぇのはテメェだよ、単細胞馬鹿が」

 極めて淡々と呟くような台詞だったが、イヴェールの双眸に普段のような冗談の色はない。冷たく睥睨する蒼と闘争心に駆られた燃えるような緋。そんなイヴェールの曖昧な心情に気付く暇もなく、唯苛立ちだけを覚えたローランサンは怒りを露にする。

「はぁ…? もっぺん言ってみろよ」
「耳も馬鹿で聞こえなかったか? 考えなしの単細胞」
「テメェ、殺されてぇのかっ!?」

 滾る心を押さえきれないローランサンは怒鳴り声と共にイヴェールの胸倉に掴みかかったが、離せと言わんばかりに思いきり頬を殴られた。派手な打音と共にローランサンが近くのテーブルまで飛ばされ、喧騒はより冷ややかで重苦しいものとなった。

 ――そこからは、互いに何かが切れたように言葉も発さず唯々目の前の怒りの対象に向かって殴りかかるだけだった。相手が相棒であることも、此処が酒場であることも忘れ、無心に掴み掛かる。形勢を立て直したローランサンは先程のお返しだとでも言いたげに躊躇もせず思いきりイヴェールを殴り飛ばした。苦しそうな呻き声とイヴェールが倒れこんだ棚から盛大に落ちるワインの音が響いた。

 ……誰か止める者はいないのかと辺りを探したいところだが、如何せんそんな人間はいない。酒場に集まる輩は全て似た境遇の盗賊なのだから、寧ろ目の前の余興めいたものに興奮して歓声を上げているのだ。挙句の果てには「どっちが勝つか賭けねぇ?」「俺ぜってぇあの白髪」「意外にあの綺麗な銀髪の方かもしんねぇぞ?」とかなんとか言って愉しんでいる始末。笑う酒場の盗賊を余所に、当の本人達は睨み飛ばしたりせずに喧嘩に没頭している。周りなんてとうの昔から眼中にないようだ。

 イヴェールは硝子の破片で手が切れるのも構わず、床に転がったままの割れたワインを握りしめ、目標物目掛けて一直線に投げ付ける。ローランサンはそれが当たる寸でのところで避け、やはり相手が容赦なんてないことを再確認すると、後先考えもせず腰の黒い剣を引き抜いた。――いや、端から容赦なんてもの存在していなかったことくらい気付いていたので、これは単にローランサンが憤慨しているだけだが。――そのままイヴェールの方まで迷う事なく走り込んで剣を横に薙ぐと、素早く屈んでイヴェールが避ける。大きな武器は当たればかなりの致命傷だが、その分振り払った後に致命的な空きが生じる。イヴェールはそこを狙って相手の胴を下段から蹴り飛ばそうとするが、流石に剣の保持者が板に着いているローランサンはその弱点を熟知していたようだ。振り払うのと同時に剣を手放していたローランサンは、易々とイヴェールの足を左手で受け止め、状態の崩れた彼を壁に向かって投げ飛ばした。

 ――それの、方向が悪かった。












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