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約束


※ちょこっと血表現アリ







 人影が、闇夜に包まれた邸内の廊下を忙しなく駆け巡る。逃走する盗賊二人の後方には複数の警備員。過ぎていく景色は通路が何本にも分かれており、追ってくる人数も僅かになってきたようだ。漸くこの広い邸宅に少しだけ感謝した。

「なぁ、イヴェール」

 絢爛豪華な赤い絨毯の敷かれた階段を軽やかに二段飛ばしで駆け上がる途中。あまりにも場違いすぎる暢気な声が隣から聞こえる。

「喋ってる暇があるなら早く走れ!」
「あのさー」

 コイツは本当に話を聞いているのだろうか。大分追っ手を巻けてきたとは言っても、脱出経路まで無事とは限らない。塞がれてしまえば一巻の終わりだというのに、この男は頭でも殴られたんじゃないかと疑いたくなるようなことを言い出す。

「結婚しねぇ?」
「……は!?」

 思わず躓きかけた。思考が止まりかけた。いや、確実に一瞬止まった。この状況で頭を回さなければならないのは至極当たり前なことなのに、それを難無く止める言葉は平生と変わらぬ口調で紡がれていた。

「誰と誰が!?」
「え、俺とイヴェール」
「……お、お前っ、状況考えろよ馬鹿が!! 冗談は無事に逃げられた後にしろ!」
「冗談じゃないってば」

 どうしろというのだろう。笑って流していいボケなら疾うの昔に流しているが、内容が内容だ。全人類を探しても、生涯を約束する言葉を唯の笑いと化すような場面で使う奴なんてそうそういない。まして、命の危険に曝されているような時なら尚の事だ。なんだ、新手のギャグなのか。俺にどうしろって言うんだコイツは。

「冗談じゃないなら、なんだ――よっ!」

 階段の途中にいた影にナイフを投擲すると、呻き声と共に床にどさりとくずおれる音が無常にも響く。無機質がごろごろと階段を滑り落ちていくが、それすら滑稽に感じてしまう程に気が高ぶり感覚が麻痺しているらしい。

「もし死んだら後悔しそうだなーって思ったから、だから結婚しようって言ってんの」

 からかっているのだと思っていた。俺がこうして珍しく平生を欠く所を見たいだけだと思っていた。だが、隣を走るその横顔は仕事の時と何等変わりのないもの。(まぁ、現在仕事中なのだから当たり前と言えばその通りなのだが)対照的に口調は酷く落ち着いている。焦りや猛りといった感情は皆無なようで、色々な意味で気味が悪い。死を予期して頭がいかれたのかと勘繰ってみる。

「……死ぬ前提?」
「いや、死なないけどさ」

 ……違うらしい。ああ、余計に気味が悪くなってきた。冗談でないならまだいかれてしまっていたほうが良かったかもしれない。

「で?」
「で? も糞もないだろう! お前一回死ね!」
「婚約してくれたらいいけど?」
「……あのなぁ!」

 やっぱり本気、みたいだ。呆れて物も言えないとは正にこの事だろう。躍起になってきた俺は漸く辿り着いた屋上の非常口を開こうとしながら少し俯いて溜息を吐く。――僅かに気の緩んだその瞬間、突如背後で響いた刃のぶつかり合う金属音。そして、振り返れば視界が一瞬にして赤く染まる。

「ッ……!?」
「よそ見してると死ぬぞ」

 あんな馬鹿なことばかり口にしてた癖に、状況は忘れていなかったようだ。血に塗れた二つの肉塊が階段を無惨にも転がり落ちていった。状況を忘れていたのは寧ろ自分であることを思い知らされるように庇われたので、余計に羞恥が身を取り巻いた。

 どうやら追っ手は幸いなことにこれだけらしい。他の警備は上手く撒けたようだ。扉を開けば我先にと言わんばかりに夜風がぶわりと入り込んできたが、その流れに逆らって屋上へ出る。決して余裕が生まれた訳ではないが、唐突に沈黙が生まれ、月光に晒される身が何故か疼いた。ローランサンの青い瞳が俺を捉える。全てを見透かしているような真っ直ぐな視線に惹かれ、瞬きすら忘れていた。

「――俺は、一生イヴェールを愛することを誓う」

 冷たい風が二人の頬を撫でていった。すると、予め盗んでおいた鍵で閉めた筈の非常口のノブが捻られる音がした。勿論開きはしなかったが、恐らく扉ごと破壊されるのも時間の問題。……警備は撒けたのではなく、全ての人員を集めただけだったらしい。ここに俺達を追い詰める為に。

「っ……、先に逃げろ。後ですぐに追いつくから」
「無茶だ!」
「二人共死ぬよりましだ! いいから、早く行け――」

 背を向けようとしたローランサンの肩を掴んで無理矢理振り返らせた。目と目が交わり、時間が止まる。

「……俺は、一生ローランサンを愛すると誓う」

 言葉とは異なり、盗品と共に先に逃げることを了承した瞳。意志と思案とを滲ませたそれは、ローランサンに伝わっただろうか。距離間と空気に任せて互いの唇が重なり合う寸前。顔を背けて避け、耳元で囁いてやった。

「それはお預け」

 地を蹴ってローランサンと距離を取る。このたった数歩の距離が、もどかしい。詰め寄ろうものなら直ぐにでもできる距離なのに触れられない。今すぐ言葉を交わしたい。触れたい。訳の分からない焦燥と冷酷なまでの現状。余裕を含んだ笑み溢したつもりだったが、今にも息が喉を掠める。最悪の結果になることを脳は容易く描きだす。止めろ、余計なことをするな。身を隠すようにロープを伝って屋敷の壁に身を乗り出す。熱り立つ感情を抑え、想像を振り払い、有りったけの意志を含ませた声で低く呟いた。

「だから、……絶対死ぬな」

 隣の別の邸宅の屋根に降りる自分の靴音と共に非常口がけたたましく破壊される音が耳をつんざく。脳裏にしかと焼き付いたのは、ローランサンが背を向けたまま親指を立てている姿だった。





end.







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