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match declared drawn due to injury


※リバ注意






 水の跳ねる音が聞こえだした。イヴェールが風呂を使い始めたことが分かったが、俺はとりあえず手持ち無沙汰でベッドの上に仰向けに寝転んだ。宵の深まる空は既に暗く、月も輝きを一層増した刻。最近は漸く金銭に困ることが少なくなり、今日も普段より少しいい宿を取れた。まぁこれも一時の事であろうから、また貧困生活を送る日々が来ることも無きにしも非ず、だが。

 とりあえず、今はこの少し柔らかいベッドに感謝するべきだろう。夜の闇に支配された部屋は小さな明かりだけがぼんやりと浮かび上がっている。寂寥たる部屋には相方が使う湯の音、小さく開いた窓から吹き込む風、さわさわ揺れる街路樹の梢。それらだけが響き渡り、おまけにこの柔らかいベッドと来た。睡眠欲を掻き立てられない訳がない。何も邪魔をする物もないことだ、このまま沈むように眠ってしまえれば大いに幸せだろう。段々重くなる瞼に抵抗せず、視界が黒に染まると、


「オイ! ローランサンっ!!」


 邪魔が、入った。


 盛大な音――イヴェールが扉を乱暴に開いたものだ――と派手な怒声に眠りの海から無理矢理引っ張り上げられたかと思えば、何やら相方が殊更憤っていた。俺は驚きで重くなっていた瞼が嘘のように軽くなり、咄嗟に上半身を起こして瞳目した。

「な、何――」
「痛いんだよ!!」

 理由を尋ねようとすると、怒声で軽く一蹴され辟易してしまった。つまりは、俺の所為なのだろう。……何か、怒らせるようなこと、しただろうか。そう思惟していると、イヴェールが大股歩きで近付いてきた。首にタオルを掛けた彼は珍しく上半身が裸で(風呂上がりだろうとコイツは裸を見せたがらない女々しい性格だ)、俺の目の前で立ち止まるとくるりと背を向けてみせた。薄明かりでもそれは容易に確認できた。

「あ、………………悪い」

 イヴェールの背中には、真新しい赤い傷痕。紛れも無く、それは昨夜自分が付けた爪痕だった。そう気付いた時には昨日のことを思い出してしまい、じわじわと顔に熱が集まり始めた。だが、その傷の痛々しさとイヴェールの怒り具合に謝罪の言葉は自然に出ていた。ああ、だから態々上半身裸で出て来たのかという考えに辿り着いたが、すまないと思ったのは何か違うと気付いた。

「折角の風呂が台なしだ……」

 一度憤り始めると長いことネチネチとぼやき続けるのがイヴェールという人間だ。それはもう、こちらまで腹の立つ位……いや、寧ろこちらを逆撫でしようと意図してぶつぶつ文句をたれているのではないかと思う程だ。

「あーあ、風呂なんて一石二鳥なものも、これじゃ百害あって一利無しだな」

 汗も流せて疲労も取れる素晴らしいものだと常日頃からイヴェールは言っていた。イヴェールはフランス人にしては珍しくかなりの潔癖症で、俺はそこまで風呂を重要視していないからその考えは理解しがたかった。

 ――そんなことより、言い方が、余りにも態とがましい。溜息なんて俺に聞こえる風に言ってるようにしか聞こえない。何で俺はこんな奴に『すまない』という感情を抱けたんだ。寧ろその傷は俺だけの責任じゃないだろ。互いに一杯一杯の情事で縋れるものなんて相手の背中位だ。そんなに背中を大切にしたいのなら体位でも何でも変えればいいだけ話。だのに続けたのはどっちだ? ……今更ながら何故そんな空気になったのかすら覚えていない。たまに互いが壊れるからいけないんだろうが、女みたいに後腐れなくて済む相手が身近に居るのだから仕方のないことだろう。だがそれでも、今回は俺一人だけに非があるようには思えない。――とどのつまり、考えれば考える程唯の八つ当たりじゃないかと気付かされる。

「はぁ……なんか逆に疲れた。しかも痛いし」

 コイツの嫌みったらしい性格はもう重々承知しているが、俺もいい加減腹が立ってきた。何かが心の奥底で沸々と熱を帯び始め、糸の切れたように呆気なく火は点いた。今まで噤口していた唇が、音に震えた。

「だったら――」

 影が踊る。

 気付けば、無意識にイヴェールをベッドに引き倒していた。ぱたぱたと濡れた銀の髪がシーツの海に広がる。

「今度はお前が付けたらいいじゃねーか」

 声のトーンが少しばかり下がっているのは言うまでもない。イヴェールは反抗する以前に俺の行動に驚いたのか、数秒黙したままぱちぱちと双眸を瞬かせた。そして直ぐに少しだけ顔を綻ばせ、鼻で小さく一笑。

「…………容赦しないからな」
「こっちの台詞だ」

 からかわれている気がしてならなかったが、鋭い目で睨み付ける以外何もできなかった。存外にコイツは直接的な誘いはしてこないから、羞恥を煽られるのは何時も頭よりも先に身体が動いてしまう自分ばかりだ。それもまた腹が立つが、もう全ての思考を放り投げてもいいだろうか。





end.







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