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恍惚に戒められて


※イヴェサン







「――へっく」

 夜の虫達の音色を邪魔するように、珍妙な音がした。冷や汗が頬を流れ、イヴェールはその音の発生原である直ぐ隣へ首を回す。

「……オイ、」

 今、丁度盗みを終えたところなのだが、少し気の緩んだローランサンが一人の警備員に見つかり、案の定警報を鳴らされてしまったのだ。今はつまるところ、その美術館の裏口近くの草影に身を潜めている状態だった。生憎逃走経路は警備員に見付かってしまったらしく、今は喧騒が治まるのを唯ひたすら待つしかない。盗賊はもう遠くに逃げてしまったと思ってくれなければ、何れ二人は仲良くお縄にかかる運命だ。今ガサリとでも音を鳴らしてしまえば、それに気付いた警備員に見付かってしまうかもしれない。一人だけに見つかるなら未だしも、警笛を鳴らされでもしたら居場所が確定されてしまい、それこそ刑務所行きだ。

「……しゃ」
「しゃ?」

 先程の珍妙な音より格段に小さな声で紡がれたそれに、イヴェールも少し安堵しながらも取り急ぐように同じ言葉を返した。勿論、蚊の鳴くような声で、だ。

「しゃっくり……止まらねぇ――ひっく」

 ローランサンはまた慌てて口を手で覆った。身体の痙攣で出る声はこの状況では余りに大きく、口を押さえたところで殆ど意味を成さない。

(コイツは緊張感の欠片もないのか!?)

 容赦なく殴ってやりたい衝動に駆られるが、そんな苛立ちも今では声にすらできない。ローランサンの所為で自分まで道連れを食らうのは真っ平御免だ。これ以上会話をするのも怪しまれる、かと言ってこのままでは相方の有り得なさすぎる不祥事で刑務所行きにも成り兼ねない。

 もう、こうするしか術がなかった。ローランサンの口を覆う手を引き剥がして音を立てないように無理矢理こちらを向かせた。

「な……んっ」

 驚愕する声を掬いとるようにイヴェールは荒く口付けた。声を零すなとでも言いたげな空気は余りに乱暴な動作から見てとれる。全くもって理解不能だったローランサンはされるが儘に固く目を暝り、時の経つのを待った。それでも口内を這う舌はどこまでも遠慮なく、舌を絡ませると言うより寧ろ意識を奪うような一方的なものだった。呼吸をする合間もないくらいの粗暴な行為はイヴェールらしくなく、酸素を求めて顔を背けようとすれば頭を手で押さえ込まれてしまった。脳髄が蕩けるような、まるで微睡みの深淵に溺れていく感覚。そのまま力無く沈んでしまいそうなローランサンは、いつの間にか漸く息をすることができていた。気付けば朦朧としていた意識が正常になり、唇も疾うに離れていた。

「逃げるぞ……!」

 ぼんやりとした感覚のまま、手を引かれて走りだす。夜半の月だけが、彼等を見つめていた。



***



 どうにか逃げ帰ることができた二人は身を潜めるように宿へと転がり込んだ。漸く呼吸を整えたローランサンがふいに思い出したかのようにキッと眉を寄せ、こちらもやっと落ち着いた様子の相方を睨みつけた。

「――お前っ、何なんだよ、さっきの!!」
「で、しゃっくりは?」
「え、あー…………止まってる」
「なら文句言うな」

 走り続けた所為か――否、それだけを理由にするのも些か間違いな気もするが――少し頬を上気させたローランサンが息を切らせて青筋を立てたものの、当の相方には普段通りに軽くあしらわれた。いつの間にか本当に止まってしまっていた手前、ぶつぶつ文句を言う訳にもいかずローランサンは情けないやら恥ずかしいやら訳の分からない気持ちで一杯だった。しかも、自分ばかり気にしているのが無性に悔しかった。イヴェールは何事もなかったかのように接してくるのだから(まぁ、ヘマについてはこれから散々咎められるだろうが)小さい事で動揺している自分が女々しいみたいで余計に釈だった。





end.







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