小説 | ナノ

気まぐれ真似事


※学生パロ






「――にゃあっ!」

 盛大な鳴き声がイヴェールの耳を劈いた。ローランサンがクラブを終えるのを普段通り教室で待っていたのだが、それにしては遅いので一人で帰ろうかと校舎を出たところ、どうやら校舎裏の方からそれは聞こえたみたいだ。怪訝そうな表情を浮かべたまま、イヴェールは進行方向とは逆の裏庭を覗いてみる。生い茂る草の中に、見覚えのある白が何故か丸くなっているのが見えた。

「……ローランサン?」
「……――痛ってぇぇぇぇっ!!」

 草むらから勢いよく顔を上げた白髪は何故か頬に傷を受けていた。呼びかけには応答したと言うよりも、単に憤慨しているだけらしい。呆れとほんの僅かな懸念を込めた笑みを作るイヴェールは草むらに蹲っていたローランサンに近付いていった。

「……お前、猫化でもしたのか?」
「阿呆か! 俺じゃねぇ!!」

 相当苛立っているらしいが、イヴェールは面白半分で冗談を零してみせると、予想通りの怒声が返ってきて笑いが込み上げてくる。その所為で喉がくつくつと音を立てたが、目の前で余計に眉根を寄せるローランサンがいたので、無理矢理喉の奥に押し込めた。コホンと咳ばらいを一つして、今度は幾分真面目そうにイヴェールは尋ねてみる。

「何。まさか猫でも捕まえようとしてたのか?」
「………………してねぇよ」
「はいはい、してたんだな」

 分かりやすく視線を逸らすローランサンを軽く窘めると、図星を突かれたようでキッと睨みつけてきたが、結局何も言わず押し黙ってしまった。何馬鹿なことやってるんだかとか、だから教室に戻ってくるのが遅かったのかとか、もうそんなことを言葉にするのも億劫になってきた。

「にゃー」
「……あれ、まだいる」

 庭の塀の上に雪のように白い猫が一匹、尾をゆらゆらと揺らしながら佇んでいた。毛並みも整っているし、赤い首輪も着いている。恐らく何処かの飼い猫が散歩がてらに学校の裏庭に入り込んだだけだろう。イヴェールは未だに座り込んだままのローランサンから少し離れて、猫が逃げ出さないくらいの微妙な距離まで近付いて屈んでみる。


 銀色の猫が、小さく鳴いた。


「……ほら、寄って来た」

 まだローランサンが視界に入っている所為か、少し警戒心を持ちながらも猫は塀からぴょんと降り、ゆっくりとした動作で鈴を鳴らしながら近寄ってきた。イヴェールが手を差し出せば白い猫は頬を擦り寄せ、喉元を指先で撫でてやればゴロゴロと気持ち良さそうに鳴いた。

「……何でお前には懐くんだよ」
「お前みたいに乱暴じゃないからだろ」

 飼い猫なんだから人間が嫌いなことはないだろうしな、と嫌味ったらしく付け加えてイヴェールは猫を抱え上げた。ふて腐れたように唇を尖らせるローランサンに少し近付きながらも、まだ微妙な距離をとったまま塀に凭れかかるように地に座り込んだ。猫はローランサンとの距離が1メートル程にまで詰められたことなどまるで知らないように落ち着き払っている。ふと、そんな大人しい状態であった猫がイヴェールの腕の中から顔を上げた。どうかしたのだろうかと疑問に双眸を瞬かせ首を傾げるイヴェールの頬を、猫は小さな舌で舐め始めた。突然の出来事にイヴェールも肩を竦めて擽ったいと言わんばかりに照れ笑いをしている。どうやら随分と気に入られてしまったらしいが、何分擽ったくて仕方がない。何とか引きはがすように猫を地に座らせてやると、名残惜しそうに一鳴きされた。ごめんごめん、と眉を下げて笑うイヴェールは猫の頭をまた柔らかく撫でてやった。そんな様子をぶすっとした表情のまま横目で見てくる人間の存在を思い出したイヴェールは、一瞥して漸くその人間――ローランサンに声をかけた。

「お前も舐めてもらえたらな」
「何、嫌味?」
「当たり前だろ」
「……腹立つ」

 イヴェールは視線を逸らしたローランサンの頬が未だ血に濡れているのを見た。意外と傷が深いのか、くっきりと猫の爪痕が残っている。嫌がる猫を無理に捕まえようとして受けた傷なのだから自業自得と言えばそうかもしれない。だが、少し気にかかったイヴェールはその場から立ち上がり、ローランサンの隣に屈み込んで傷の状態を近くから覗き込んでみる。

「痛いか?」
「……別に、このくらいどうってことな――……ッ!!」

 風がびゅうと音を立てて流れていったその時、ローランサンは不意に頬の傷に急激な痛みを感じた。それも、電流が全身を駆け巡るような、一瞬の出来事。無論、今の風の所為などではない。痛みという無駄な感情をどうにか淘汰し、思い至ったローランサンの瞳に映ったのはイヴェールの揶揄を含んだ満足そうな顔。ああ、そういう事か。

「これでもか?」
「……お前、猫か」
「イヴェールだよ」
「んなこと分かってる」

 自分が白い猫に舐められたのを真似でもしたかったのか、今度は愉しそうにローランサンの頬を舐めてみせたのだ。その所為で猫に引っ掻かれて受けたばかりの傷が脈付き始めていた。勿論痛いに決まっているが、その思いも寄らぬ行動による驚愕の波が痛みを覆うように後からどっとなだれ込み、痛みそのものを忘れさせていた。ローランサンはその波に対してさも狼狽などしていないかのような態度を見せたが、心中では訳が分からず無意識に自分の手で頬を押さえてしまっていたのだ。それは唯痛みをまた思い出してしまったからか、はたまた舐められたという生々しい感覚に鳥肌を覚えて赤くなってしまったからなのか。銀の猫は、素知らぬ笑みを浮かべて首を傾げたままだった。


 ――恐らく、後者なのかもしれない。




end.







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