drrr!! | ナノ

 ここは東京、池袋。不思議なことは多けれど、まさかこんなことになるなんて、未だ街に染まりきらぬ少年は思いもよらなかったのです。

 さて。事の発端は何かと聞かれれば、渦中の少年も預かり知らぬこと。
 少年が異変に気づいたのは今朝早くのことでした。
 くわ、と大きな欠伸を一つした少年は寝ぼけまなこを擦りつつ這って移動し、スリープモードのパソコンを起動しました。朝からパソコンと聞けば聞こえが悪いかもしれませんが、この部屋にはテレビがありません。テレビだけでなくラジオもないのです。
 パソコンがあれば欲しい情報は大抵知ることができるし、テレビを見ることもできました。パソコンがあれば少年は日常生活に困ることはありません。
 パソコンを起動させている間に着替えようと立ち上がったとき、少年は首をひねりました。
 どうしたのでしょうか。いつもより視界が低い気がします。少しずつ意識がはっきりしてきて、少年は辺りを見渡しました。

「……部屋が、大きい?」

 ぽつりと呟いた言葉に返事はありませんでした。
 何度部屋を確認してもやはりそこは少年の部屋でした。四畳半の小さくて、年季の入ったアパートです。1つっきりの窓から朝日が差して、日焼けた畳を照らしています。
 部屋はいつもの朝でした。

「何でだろう」

 ますます理由が分からずに少年は腕を組みました。
 むに。

「……うん?」

 腕に柔らかい何かが当たりました。いつにない感覚に少年は首を傾げ、そっと視線を落とします。腕を組んでいる、ちょうど胸の辺りを見るために。

「え? ……えぇ!?」

 少年は呆然と立ち竦みました。目を見開き口を大きく開けて、精一杯驚きを表しました。少年の頭の中では、何で、どうしてという言葉が溢れています。
 それほどに少年は驚いたのです。――少年の胸が膨らんでいたから。
 男にないはずの膨らみの正体に思い当たり、少年は顔を赤くして組んでいた腕を勢い良くほどきました。次に自分の体の異変に気づいて顔が青くなりました。
 少年は慌てて携帯を探しました。一人で解決するにはあまりにも難しいと思ったからです。
 充電器に繋がれたままだった携帯を見つけ出し、リダイヤル、発信。かける相手を確認せずにぴったりと耳に押し付けました。
(早く早く、早く出てください!)
 単調な呼び出し音が少年を追い詰めます。妙に冷静だった頭が不安から再びパニックを起こした頃、呼び出し音が途切れ待っていた低音が聞こえました。

「もしもし。どうした、珍しいな。こんな時間――」
「助けてください、門田さん! 僕もうどうすればいいのか分からなくて!」

 馴染み深い低音を聞いて少し安心した少年は、門田さんの声を遮って叫ぶように言ったのです。
 門田さんは、安いサスペンスにありがちなセリフだったなぁ。今が深夜なら完璧だったんだが、と思いながら少年のいつにない慌てように驚きました。

「ちょっと落ち着け、帝人。何があったんだ?」
「……その、ちょっと説明できないので今から会えませんか? 僕の家に来て欲しいんです」
「分かった。今から行くから待ってろ。――そうだな、三十分でそっちに行く」

 門田さんの言葉に深呼吸をした少年――帝人は恐る恐るお願いをしました。朝一番に突然そんなことを言われても困るだろうな、と少し落ち着いた帝人は申し訳なく思いましたが、咄嗟に思い浮かんだのが門田さんだったのです。
 帝人にとって門田さんは、池袋で一番頼れる人でした。
 切るぞ、と門田さんが言って電話が切れると帝人は自分が起きてから何もしてないことに気づきました。
 ふと、寝ぼけて見間違ったのかもしれないと思った帝人は、体を確かめようと恐る恐る胸に手を伸ばしました。けれどやっぱりそこには膨らみがあります。自分の考えが甘かった、と項垂れた帝人はごくりと喉を鳴らしました。
 もう一ヵ所、確認しなければならない場所があったのです。帝人は胸のさらに下へ手を伸ばしました。そっと、そっとその場所に手をあてると、あるはずの膨らみがありませんでした。
 あったものがなくなり、なかったものができている。
 それだけで帝人は泣きそうになりましたが、唇を噛んでギュッと我慢しました。
(そうだ、門田さんが来るんだ。流石にこのままじゃ駄目だよね)
 何か違うことを考えようとした帝人は門田さんのことを思い出し、迎え入れる準備をしようと動き始めました。

「着替えは、怖くてできないし。とりあえず顔を洗おう」

 帝人は小さな洗面所で鏡の前に立ち顔を洗うと鏡に写る自分の姿をじっくり見ました。
 いつもより低い身長、元々薄かった体の線も細く丸みを帯びています。全体的に小さくなった体。けれどその他に大きな変化はありません。先ほど確認した場所以外には。


 帝人がぼんやりと鏡を見つめていると、ピンポーンと音がしました。

「え、もう三十分!?」

 帝人は慌てて玄関へ行きます。覗き穴の確認もせず、扉を開けました。驚いた顔をした門田さんの顔が目に入ります。

「おぅ、おはよう。つか、お前相手の確認ちゃんとしろよ」

 門田さんがぽん、と帝人の頭に手を置いて苦笑しました。わしゃわしゃと頭を撫でていた門田さんが不意に眉間に皺を寄せました。

「……ん? お前縮んだか?」
「っ、門田さん……!」

 うるうると大きな瞳に涙を溜めた帝人は門田さんに抱きつきました。とても心細かったのでひどく安心したのです。
 一方抱きつかれた門田さんは帝人を片手で受け止め、ずっと様子がおかしい帝人に首を傾げました。やはりいつもより頭の位置が低いようですし、抱き留めた体もいつもより柔らかい気がします。そして胸板に当たる柔らかな塊。それが帝人にあるはずのないものだと理解した門田さんは、抱きつく帝人を抱えあげました。驚いて声をあげる帝人に「中に入るぞ」と言ってずかずかと部屋にあがります。
 畳にあぐらをかいて座った門田さんの膝の上に座らされた帝人は、門田さんの首に腕を回してバランスを取ります。そうすると門田さんの片手が腰に回されました。

「で、どうしたんだ?」

 優しい声音に誘われて門田さんの顔を見上げた帝人はあまりの近さに驚きました。けれど真剣な門田さんの表情を見てゆっくり起きてからのことを説明しました。

「じゃあ、朝起きたら女になってたんだな。そして理由は分からない、と」

 確認するように言葉をまとめた門田さんに頷きました。自分がこうなった理由も心当たりも帝人にはありません。だから不安で不安で仕方なかったのでした。

「驚かないんですね」
「あぁ。ここ最近、首なしライダーとか妙な事件とか頻発してるからよ、何が起こっても驚かなくなったんじゃねぇか?」

 池袋に住む首なしライダーことセルティ・ストゥルルソンはデュラハンと呼ばれる妖精です。無灯火の漆黒のバイクに股がり池袋で運び屋をしている女性で、帝人もある事件をきっかけに仲良くしています。他にも人間離れした怪力の持ち主・平和島静雄は門田さんの高校時代の同級生だというし、門田さんは罪歌に取り憑かれた人間を相手したこともありました。池袋では不思議がいっぱい起きていて、門田さんはそれを受け入れ暮らしているのです。
 もう多少のことでは驚かない自信がありました。今回のことは門田さんも驚いたのですが、あまりにも帝人が取り乱しているので冷静でいられたというのが実際のところです。
 門田さんは不安がる帝人に優しく笑いかけ頭を撫でました。

「大変だったな。俺も元に戻るよう協力するから。大丈夫だ」
「……元に戻るでしょうか」
「大丈夫だろ。とりあえず新羅に診てもらうか。その前に着替えだな」

 着替え。その言葉を聞くだけで帝人は憂鬱な気分になります。いくら自分の体だと言っても女性の体を見るのは抵抗がありました。見てしまえばそれを事実として受け入れなければなりません。帝人にはまだその覚悟はなかったのです。

「しかし女物はな……。ちょっと面倒だが、狩沢を呼ぶか」

 門田さんの言葉に帝人はぎょっとしました。

「な、どうしてですか!」
「今ある服じゃぶかぶかだろ? あー、それに女物の下着のこととかもあるしな。あとあいつなら男装の知識もあんだろうしよ」

 あ、渡草に車出してもらうか。門田さんは事も無げにつけ足しました。
 顔を赤く染め上を向きながら口をぱくぱくさせる帝人はさながら金魚のようです。帝人には色々言いたいことがありましたが、反論する暇もなく門田さんは狩沢さんに電話で約束を取りつけてしまいました。
 着せ替え人形のようにして自分で遊ぶ狩沢さんを想像した帝人は項垂れました。慰めるように頭を撫でていた門田さんが突然声をあげました。

「あ、そうだ」
「……何ですか」
「帝人、お前今日から元に戻るまでうちに泊まれ」
「え?」
「このアパートで女子高生の独り暮らしは危ねぇだろ」

 驚いて声も出せない帝人をよそに門田さんは「決まりだ」と嬉しそうに笑いました。そんな顔をされたら言いたいことも言えなくなりました。

「帝人」
「はい」

 今度は何を言われるのだろうと身構えた帝人に門田さんは黒い瞳をキラキラさせてじっと帝人を見ています。その視線が真剣で帝人は顔が熱くなってきました。

「俺は帝人が好きだ。性別なんて関係ねぇ。俺がお前に傍にいて欲しいんだ」

 勘違いするなよ。門田さんはそう言って帝人の額に唇を寄せました。零れそうなほどに涙を目に溜めた帝人を見て門田さんは苦笑しました。それもすぐに子供っぽい笑顔に変わります。

「迷惑だなんて思うな。どうせお前が高校を卒業したら一緒に暮らすつもりだったんだ。少し予定が早くなっただけだろ」

 帝人は驚きました。一緒に暮らすつもりだったなんて初めて聞いたからです。帝人は零れた涙を隠すために門田さんに抱きつきました。

「……不束者ですが、よろしくお願いします」
「あぁ、幸せにする」

 鼻声になっている帝人の背を撫でながら門田さんは笑いました。

「泣くなよ、笑えって」




(嬉し泣きなんてしてないです!)



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女体化って何ですか(´・ω・`)プロポーズさせたかっただけなどと…

2011/03/19


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