「帝人」
食器を洗っていた時に呼ばれた名前はひどく眠たげで、それでいてしっかりとした低音だった。
帝人は己の名前を呼ぶ人へ目を向ける。
「何ですか、静雄さん」
泡まみれの手をさっと水で流しタオルで水気をとると、居間で座布団を枕代わりに寝転がっている静雄の元へ向かう。
サングラスを外している静雄の目は、帝人を見つめたまま細くなった。
小さなちゃぶ台の向こうから静雄の足が見える。体格の良い静雄には、この部屋は少し小さいのかもしれない。そんなことを考えながら帝人が静雄の隣に腰を下ろす。
「こんな所で寝ると、風邪引きますよ」
見た目とは裏腹に柔らかな金髪を細い指ですきながら、帝人は言う。静雄がその手を掴んで自分の顔に押し当てた。
「冷たいな」
ポツリと静雄が呟いた。
「そりゃあお皿洗ってましたからね」
「こんなに寒い日でも水使ってんのか」
「お湯が出るまで時間がかかるんです」
「…そうか」
いつの間にか眉間に刻まれていたシワが消え、冷えた手を温めようと静雄はもう片方の手も捕まえる。
冷たい手は、温かな手の体温を奪い、そこに更なる熱を生み出す。
その熱さに帝人も静雄もぶるりと体を震わせた。
「今日は寒いな」
「雨ですからね」
「それにしたって春じゃねぇよ」
静雄は口をへの字に曲げた。
ここ数日は天候が悪く、春先かと思うような寒さをにじませている。陽が当たれば体感温度は大分変わるのだろうが、雨や曇りばかりが続きコートやマフラーを使用する人もいるくらいだ。
「だから布団に行ってくださいよ」
「嫌だ」
「静雄さん…」
帝人は心底困ったように眉を垂れ下げた。言い出したら聞かない静雄の考えを、少なからず理解しているせいで強く押しきることができない。
「布団からじゃお前が見えねぇだろ」
静雄は言うと、掴んでいた手に少しだけ力を入れた。
「…じゃあ早く終わらせますから、もう少し待っててください」
何だかんだ、彼がそう思ってくれることが自分は嬉しいのだ。帝人が目を細めて笑う。
「嫌だ。せっかく近くにいるのに」
「もうワガママ言わないでくださいよ」
少し怒ったように捕まれた手を振り、離れようとするが簡単には離れない。帝人の動きを制するように静雄がその手を引っ張った。
突然のことに対応できなかった帝人が静雄の上に倒れ込む。その体をひょいと抱え込みがっちり抱き締めた。
寝たままという体勢で素早くかつ強引に、けれどふわりとした優しさを感じさせる今の行動は静雄の力と帝人の軽さのせいか。前者によるところが大きいだろうが。
「し、静雄さんっ…?」
「いいから、お前はじっとしてろ」
伺うように静雄の名を呼ぶ帝人の頭をやんわり撫でる。しかし帝人はそわそわと落ち着かない様子で言葉を続けた。
「あのでも、僕まだしなきゃいけないことが…。お皿も洗い終わってないですし…」
「…それは俺より大事なことか?」
「そんなことは…!」
「じゃあいいだろ。今は俺に構えよ」
「ちょと、静雄さん!」
静雄は抱き締める腕に力を入れた。
その後結局、静雄が帝人を解放することはなく、食器洗いは翌日に持ち越されることになった。
嫌、とは言えない
(惚れた弱みってヤツですか)
「風邪引いてもしりませんからね」
「風邪なんてここ数年引いた記憶がねぇから大丈夫だ」
「お、起きてたんですか?」
「んな寝つきよくねぇよ」
「……。…でも僕が引いたら静雄さんのせいですからね」
「そん時は俺がべったり看病してやる」
「看病に対する修飾語がおかしいです」
「気にすんな」
* * * * *
リクエストは「静帝で甘甘」でした。甘くなってます、かね?(汗)
駄々っ子シズちゃんが書きたくて仕方なかったので、リクに便乗させてもらいました。オマケはツンデレ気味な帝人が書きたくて。はい、満足です^^
リクエストありがとうございました!