「(…あれ?)」

祈は放課後になってその異変に気付いた。
ない。

財布がないのだ。

「(うそ、落とした…?)」

確かに、昼休みに教室から出る時制服のポケットに入れたはずなのに。
カバンにも机にもない。祈は顔を青くさせた。

「(落としたとしたら…)」

記憶を辿るが、心当たりはやはりひとつしかない。

「(中庭……かな…)」

玄関を出る前にポケットを触って確かめた記憶がある。あの出来事の後ならばナムかマリクが気付くだろうし、恐らくは間違いないだろう。

「(取りに行かなきゃ、…ああ、でもなぁ……)」

祈は頭を抱えた。バクラがいないとは限らないのだ。

一番頼りになるナムとマリクはバイクの調整が云々とかでもう帰ってしまったし、アテムは隣のクラスにいる親戚の遊戯と遊ぶ予定がどうのと言っていたのでこちらも既に帰ってしまっただろう。男友達はそれくらいしかいないが、だからと言って女友達をあのような危険人物の元へ連れて行く訳にはいかない。

「(明日…いやでも…)」

結局いつ行こうとバクラがいそうで怖い。
しかし、祈には一刻も早く財布を取り戻したい理由があった。

勿論中身がないと困るが、それよりあの財布はナムとマリクからの誕生日プレゼントだったのだ。

「(…よし、行くだけ行って、バクラさんがいたら逃げよう。うん、そうしよう)」

あの時は相手があまりに暴力的だった為固まってしまったが、運動が壊滅的に苦手な祈とて逃げ足だけは速い。臆病者ゆえの火事場の馬鹿力とでも言ったところか、とマリクに揶揄されたのは記憶に新しいが、実際に不良の類から逃げ切る事に成功した事例はいくつかある。
必要以上に近付きさえしなければ逃げる事が出来るはずだ、と自分に言い聞かせて、祈は中庭へと歩みを進めた。





バクラは放課後、いつものように誰も来ない中庭で携帯ゲーム機の画面を見つつ、ポケットの中の財布をどうしようかぼんやり考えていた。
昼休みに自分にぶつかって来た名も知らぬ女子生徒のものだ。

あの時は機嫌が悪い、と自称したが、実際はそんな事も無かった。
と言うのも、近頃バクラに近付く女子と言えば、彼が凄んでも、身をくねらせ気色悪く擦り寄って来るか、真面目くさった優等生が教師よろしく一丁前に説教して来るか、または至極反応が薄いとか、そんなのばかりだった。
だから、面白いように自分に怯える彼女をまさしく面白がっていたのだ。財布を掏ったのはその延長である。

景気付けに一発殴っておけば噂がひとり歩きして自分に近寄る奴も減るだろう、そう思って彼女を殴ろうとしたが──思わぬ人物に邪魔をされた。ナムとマリクだ。

「(チッ、宿主にチクられたら面倒だ…口止めすりゃよかった)」

不良として悪名高いバクラだが、意外にも同じ名前をした優しげな居候先の少年には、立場上もあるがそれを差し引いてもどうにも勝てないのだ。

それにしても、とバクラは考える。ナムはともかく、あのマリクが自ら助けに入るとは少なからず驚きだった。マリクにそうまでさせる彼女にほんの少しの興味がわいたが、しかし彼女と自分が関わる事は二度とないだろうとバクラは思う。そうしようとしてもあの双子が良しとしないだろう。普通はそうだ。
せめて財布はこっそり返して罪を軽減させるべきだったか、とどちらにせよあまり意味の無さそうな事を考えながらごろりと寝転び、ポケットから財布を取り出してぼうっと眺めた。
茶色の生地にレースやマスキングテープのような模様のついた、ハンドメイド感のある財布だ。まだ新し目である。
盗る気はないがなんとなく中身を見ると、五百円しかない。その気が無くとも余計に盗る気が失せる金額だ。

「(さてどうしたもんか…)」

ぱちん、とセーブの済んだゲーム機をスリープモードに切り替えると、こつこつと向こうから足音がした。シューズだ、と言う事は生徒だろう。
バクラは上体を起こし、音のする方向を睨み付けた。あちら側からは、木があるせいでバクラの姿は見えないだろう。

「(…なんだぁ?)」

近付く足音に目を凝らすと、長い黒髪が目についた。そう、まさに昼休みの時の女子生徒のような長い髪。
またあいつか、と呆れ半分面白半分で観察していると、彼女はしきりに足元をきょろきょろと見回している。まさか、とバクラは確信した。彼女は、今バクラの手の中にある、この財布を探しに来たのだ。

するとバクラの中で嗜虐心が湧き起こり、にやりと唇を歪ませては音を立てぬよう立ち上がり、歩き出した。目立つ事しか能のないただの不良とは違い、バクラは完璧に人目につかぬよう行動するのが得意だ。

下ばかり見ている彼女は、徐々に近付きつつあるバクラに気が付く様子がない。
やがてバクラは彼女の背後へと回り込み、ぽん、と馴れ馴れしく肩へ手を置いた。

「よォ、探し物か?」

「ひぎゃっ!?」

奇怪な悲鳴を上げて飛び上がった彼女を見て、バクラはくつくつ喉を鳴らして笑う。つくづくおどかし甲斐のある反応をしてくれるものだ。

「ひでぇな、んな化け物見るような目で見なくてもいいだろ?あ?」

「ひぃ、そ、そんな事ないですごめんなさい」

肩に腕を乗せて小さな体に寄りかかり、顔を近付けるバクラ。仕草や言葉はどこか友好的にも見えるが、脅しの場面でしかない。
現に、彼女の顔は真っ青で可哀想な程に足が震えている。

「あ、あ、あの…」

「あ?」

「わ、私、財布、探してて、…み、見かけませんでした、か…」

尻すぼみになって行く語尾。しかしバクラの耳にはしっかりと入ったので、バクラは彼女の目の前にそれを掲げてみせた。

「財布ねぇ…これか?」

「あっ!…それ、です!ありがとうございます!」

「、」

ぱっと明るくなった顔で礼を言われてバクラは面食らった。
もしかして何だ、こいつ俺様が拾ったとしか考えてねぇのか?と半ば呆れるも、その純真さがなんだか眩しくて、バクラは彼女の手に財布を落としてやった。

「…おらよ。ちゃんと持っとけ」

「は、はいっ、ありがとうございました」

「おいお前、」

「はい…?」

──俺様が盗んだとかは考えなかったのかよ。
そう言おうとしてやめた。訊くまでもない。

「…名前は」

「え、わ、私ですか」

「お前以外誰かいんのか」

「ご、ごめんなさい…えと、私、藤宮祈です」

「ふーん、藤宮ねぇ…」

「えと…あなたは、バクラさん、ですよね…」

「……獏良了だ」

「あ、そう、なんですか」

ちらりと視線を向けると、祈はどこかそわそわして、帰りたそうにしていた。バクラにとっても祈と一緒にいる理由はない。

「…用は済んだろ、とっとと失せな」

「あ、は、はい、ありがとうございました」

道を引き返す彼女の足は走っているのにとんでもなく遅い。
祈のありがとうございました、が喉に引っ掛かるような気がして、バクラは舌打ちした。


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