よそ見しないで
ネロはキッチンで、マグカップを割れる勢いで握り締めていた。実際、ひびが入ってしまっている。
原因は今まさに事務所の方にある。
「私ぃ、もうホントに怖くてぇ」
「よしよし、俺に任せてくれたらもう大丈夫だぜ?」
「(あんの、髭オヤジっ…)」
突然事務所に現れた女──名前はモニカと言うらしい──が、悪魔を退治してくれと依頼しに来たのだ。
そこまでは良い。二人とも、久しぶりにまともな仕事が入ったと喜んだ。が、その後だ。
モニカが、ダンテを気に入ったらしくやたら甘えるのだ。
ダンテも満更で無いのでモニカを甘やかし──すっかり不機嫌になったネロはキッチンに引っ込んでしまった。
モニカは言わば、ネロと正反対な女だ。
素直に甘え、積極的で、仕草も何もかも女らしい。
ブロンドの髪は長く、綺麗な化粧をし、豊満な胸やくびれた腰を強調した服を身に纏う。
それに比べ自分は、髪は戦うのに邪魔だからと短く切り、化粧などした事もなく、ほぼ平たい胸は少し厚手の服を着れば全く分からなくなってしまうし、身体は女にしては筋肉質だ。
ネロは苦虫を噛み潰したような顔で唇を噛んだ。
その時、けたたましく事務所の電話が鳴った。
ソファーでデレデレになっていたダンテが立ち上がろうとするより早くネロがキッチンから飛び出した。
「…Devil May Cry」
ソファーからそれを見ていたダンテは、ネロの右腕が発光し、手袋と袖の下から僅かに青白い光が漏れているのに気付き慌てて、モニカがそちらを見ぬよう注意を引いた。
「なあモニカ、そういや…」
「うん?なあにっダンテさん♪」
しかしそれがネロを更に苛立たせた。
そもそも、座り方が気に入らないのだ。
大きめのソファーの中央にくっついてダンテがモニカの左に座り、右腕を背もたれに回し、まるで恋人同士のようである。
「…分かった、すぐ行く」
ネロは受話器を乱暴に叩きつけた。『当たり』の仕事である。
ネロはデスクの上のブルーローズを腰のホルスターに収め、壁に立て掛けてあったレッドクイーンを背中に担ぐ。
「お嬢ちゃん、仕事か?いつまでかかりそう──」
「知らねぇよ!」
ダンテを睨み、飛び出して行ったネロは乱暴に扉を閉めた。
ダンテはため息を吐き、肩を竦めた。
「(クソ、ダンテの馬鹿!何だよ、鼻の下伸ばしやがって…)」
ネロはむくれ、イクシードを噴かしながら瓦礫の道を歩いていた。
「(あたし、一応…恋人、なのに)」
胸に、重く冷たい鉛が落ちるように感じた。
涙が滲みかけたその時、背後に気配を感じて振り返る。
空中に漂う、ボロ布のような悪魔は、丁度フォルトゥナに居たメフィストやファウストの類に似ている。
「ふん…今のあたしの前に出てきたのが運のツキだな」
呟き、レッドクイーンを振りかぶる。
炎を纏った斬撃は、悪魔の纏うガスを剥がして、やはり虫のような悪魔がぼとりと落ちた。
それに斬り掛かろうとした瞬間、
どすっ。
「あっ…?」
肩に燃えるような痛み。振り返ると、同じ悪魔がもう一匹、爪を伸ばしネロの左肩を貫いていた。
「くっ、てめ…ぅ、」
しまった、思った時にはもう遅い。
ネロの視界はぐにゃりと歪み、地面に倒れ込んだ。
油断した。あの悪魔の爪には神経毒があるらしい。
身体が痺れ動かない。
「くそ、…はあっ、はぁ…」
二匹の悪魔がケタケタと笑い、爪を伸ばす。
腹部と脚を貫かれ、血を吐き出す。
「がっ、は……ぁぐ、」
意識が沈みそうになるが、度重なる爪の攻撃がそれを許してはくれない。
傷が癒えそうになる度に、同じ場所を貫かれるのだ。
「うぁっ!?あ、ぁ…っく、」
クソッタレ、
目の端に涙が溜まる。
こんな時に思い出したのは、憎たらしくて、ムカついて、でも大好きなあの男の事だった。
「……だん、て…」
涙が、血で汚れたネロの頬を滑り落ちる。
「(あの時、…)」
思い切ってダンテに抱きついて、自分のものだと言えば良かった。
「(そしたら、ダンテ…ぎゅって、してくれたのかな)」
諦めたように、ゆっくり目を閉じた。
「──ネロ!!」
ああ、この期に及んで、あの男の声が聞こえるなんて。
未練がましいな、とネロは自嘲した。
ギエェェェッ…
悪魔の断末魔。
暖かい、何かに包まれる感触に、ネロはうっすらと目を開けた。
「ネロ!おい、しっかりしろ!!ネロ!!」
「……だんて…?」
片膝をつきネロを抱き抱えるダンテ。
ダンテは必死に愛しい少女の名を叫び、ネロが漸く目を開けると、ダンテは目を見開き彼女をきつく抱き締めた。
「この、馬鹿!!油断するからだ…!」
叱られるも、待ち焦がれていた体温に、ネロは酷く安心して、未だに少し痺れる右腕を動かしダンテのコートを握った。
「…ごめん、…ねぇ、ダンテ」
「何だ…?」
ダンテの胸に、甘えるように頭をすり寄せる。痺れが残り、動きはぎこちない。
「すき」
「…へ」
殆ど聞いた事もないネロからの告白に、ダンテは目を丸くする。
ネロは顔を上げ、ダンテを見つめた。その瞳は溶けそうな程潤んでいる。
「ダンテは?…ダンテは、あたしの事、好き?」
ダンテは、白い頬を伝う涙を唇で掬った。
「聞かないと分かんないのか?」
困ったように笑うと、ネロは拗ねた顔をした。
「…分かんない」
ネロがコートを掴む力が強くなる。
「ダンテは、モニカみたいなのが、好きなのか?」
ダンテは喉を鳴らし笑った。
「モニカは帰らせた。もう来ないさ、そう言っておいたしな」
世界で一番可愛い仔猫ちゃんとどっちが大事かなんて、決まってる。
そんな気障な台詞を吐きながら、ダンテはネロの額にちゅ、と音を立てて唇を付けた。
「俺は、ネロが好きだ」
「…嘘つき」
ダンテは、罰が悪そうに頭をかいた。
「いや、悪かったって…でも、俺はネロ以外愛せない」
「……」
「どうしたら信じてくれる?…何なら、お前以外の女には会わないようにするし、会っても話さない」
「い、いいよ、そこまでしなくて…信じる、から」
真剣そのもののダンテの目に、ネロの頬は赤くなる。
「でも、またさっきみたいな事があったらバスターだからな…」
「オーケー、マイハニー。もうしないから安心してくれ」
ネロにひとつキスをすると、幸せそうな笑みを浮かべ、疲れたのかそのまま眠ってしまった。
「おやすみ、ネロ」
眠るネロの唇にもう一回口付けを落とし、しっかり横抱きにすると事務所への道を歩き始めた。
ネロが起きたら、愛してると伝えよう。
ダンテは緩む頬を抑えられずにいた。