002
「君は今、何て言ったんだ。」
「へ、」
「何て言ったのかと聞いているんだ!!!」
夕方特有の弛緩した空気がビリビリと震える。私の肩を掴んだ彼の顔には、焦燥と、絶望と?
「あなたは誰ですか、と、言いました。」
小さいその返答に彼の唇が微かにわなないたのを見て、また怒鳴られるかな、とか、怖い人だなあ、とか。
「僕のことも、わからないんだな。」
思っていたのに彼の口から出たのはそんな言葉だ。零れるように、空気に流されて消えてしまう。
「ごめんなさい、でも私、私のこともよくわからないので他人のことまではその、」
「僕は他人か。」
「え、あ、あれ、」
「もういい。」
もういいって、きつくその目を瞑る。握りしめられた両手は小刻みに震えていた。この数分間の間にだいぶ彼のことを傷つけてしまったみたい。見ず知らずの人に、私はなんと非道な人間だ。
それでも彼はもう一度私に手を差し伸べる。
「家に帰ろう。」
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