※逆トリップ



目が覚めたら、隣に誰も居なくて、微睡みも無く一気に覚醒した脳と共に飛び起きる。肩まで掛けられた布団を剥いで忙しなく視線を動かせば、窓の向こう側へ目をやっているその人の姿。取り敢えず、ほっと息を吐いた。彼はまだ日の光も入らない世界を、淡々と眺めている。そこから見下ろすのは、大小連なるビルの海だ。彼が今まで見てきたものとは、全く違う灰色の煤けた海。整然と並ぶそれらの窓ガラスに朝日が差し込んだのを見て、無表情だったその口がフ、と小さく笑った。

「何か、考えごとですか?」

途端びっくりした顔でこちらを向いたマルコさんの眠たげな目が、少し見開かれている。こっちに来て少し経った時、こうも平和だと弛んじまうよいと苦笑した彼をふと思い出した。

「なんだ、起きてたのかよい。」
「いえ、今さっきですよ。」

今日は随分早起きだねい、彼は笑ってまた視線を戻す。もう日が昇って、寝起きのせいか、きらきらと瞬き時々うねって見えるそれらは、まるで波打つ水面のようだ。

マルコさんが近づいて来て、ベッドに腰掛ける。なんとはなしに、いとも当たり前に、彼が隣に座ったので、私は今日起きてから初めて心から安堵する。マルコさんが、何らかの事情でこちらの世界に飛ばされてきて、早三ヶ月。肩に触れるこの体温が無い生活など、もう考えられなくなってしまった。春から夏へ、大分暑くなってきたこの頃、海に行きましょうかと誘ったら、マルコさんは微妙に眉を顰めた。マルコさんは、海が嫌いなのですか、海賊なのに。彼は困ったように笑うと、色々あるんだよいと私の頭をぐしゃぐしゃと撫ぜた。その色々は、まだ教えてもらっていない。
それを、私が知る日は来るんだろうか。

「マルコさん、朝ご飯は何にします?」

テーブルにお皿を2人分用意するのは、もう習慣になった。最初はフォークを使っていたマルコさんが習得してからお揃いで買った箸を用意しながらそう問うと、マルコさんは、淋しそうに笑って言った。

「俺は、お前の方が心配だよい。」

何と比べて、とは言わなかったけど、マルコさんが何を思っているのか、なんて、そんなのずっとわかってる。

突然現れたマルコさんとの、いつかの別れもまた突然だろう。なんとなく、彼がずっとここに居てくれることは無いだろうなあと、頭のどこかで傍観する自分が居る。彼と年齢を重ねていく自分など、全く想像できない。彼が向こうに置いてきた全てを投げうることは絶対に無いだろうし、そうなって欲しく無い。それなら、もし私が向こう側へ行けたとしたら。足手まといもいいところだ、それに一週間も保たないだろう。彼の迷惑にはなりたくない。今だってそう。だけど、‥‥ここに居て欲しい。私と、居て欲しい。マルコさんとずっとずっと、続けていたい。彼には似合わない、この生温い生活を。

「今日は何をしましょうか。」

朝にマルコさんと、必ずその日の予定を決める。決して、明日の予定は立てない。マルコさんは、何も言わずに付き合ってくれる。ままごとのような私の我儘に。だったら最後まで付き合ってください、お願いだから。

「……今日は、海に行こうよい。」

だから、諦めたりしないでよ。

目次