※現パロ




玄関に付けた全身鏡で、前髪を横に撫で付けるのを見る。スカートの裾をちょいちょいっと引っ張って、

「いってきまーす。」

誰にでもないがもう癖になってしまったこの挨拶は、一人暮らしのワンルームによく響く。それが少し寂しくて、ひとつ息を吐いた。

「いってらっしゃい。」

すると、返ってくるはずの無いその言葉が聞こえて、びくりと体が硬直するのがわかる。私が恐る恐る顔をそちらに向けても、視界に入るのはその人の首から下だけ。なるべく視線を合わせないように、だけどちらりとその高い位置にあるお顔を拝見する。

「げエッ!く、クザンさん‥‥!」
「人の顔見てゲエなんて‥失礼な挨拶だね、名前ちゃん。」
「はア、いやこれも癖でつい‥‥、」

言いつつ後退してじりじりと距離を空けていく。このお隣さんは、ちょっと面倒なのだ。
それに気付いたクザンさんが、じとりとこちらを見た。

「ま、またお説教ですか。」
「あらら、心底嫌そうな声だね?」

小さく溜め息。それにへへ、と、愛想笑いを浮かべてくるりと一回転。逃げ出そうとした私の襟元へ、まあちょっと待ちなさい、声とその長い腕が伸ばされた。あえなく逃走は失敗。クザンさんは首をひどく曲げていて、見られている視線を感じて私の頭のてっぺんはじりじりと痛む。私の崩れた襟元を直しつつ、クザンさんが本日2度目の溜め息を吐いた。

「スカートが短いし、胸元も開け過ぎ。そんな高いヒールは履かないの、転んだらどうするつもり?それから、」

「ああ、もう結構ですから!」

ぶんぶんと横に大きく手を降る。クザンさんと会えば、いつもこうなのだ。お仕事が警察官というこの人の職業柄なのか、注意と言うには少々キツ過ぎる。もう私もハタチなんだし、放っておいて欲しいのがほんとのところ。

「なあんにも結構じゃないよ。いい?そもそもこの御時世に女の子の一人暮らしってだけで、すごく危ないんだから。それに、いくら大人っぽい見た目でも、名前ちゃんはまだ成年になったばかりだし、」
「その話、もう両手じゃ数えきれないほど聞いてます。」

ぴろぴろ十の指を動かして見せると、クザンさんは、少し苛立ったように頭を掻いた。

「俺の言うこと、どうして聞いてくれないの。」
「だって、私一度も襲われたりなんてしてません。そんなドラマみたいなことって、早々起きたりしませんよ。」

そう、それこそ車で連れさらわれて大変なことになったりだとかどこぞのエロ漫画みたいに痴漢されたりだとか、普通に過ごしていれば、そんなことってあるわけがない。

ね?、へらりと笑いかけると、クザンさんは、へえ、と小さく呟いた。あれ、なんだか周りの空気が凍りついたというか、冷たい。固まった私を見据えたままクザンさんは、ぽんと肩に手を置いた。

「じゃあ、何か起きれば、名前ちゃんは俺の言うこと聞いてくれるんだ?」

「はい?」

おや、クザンさんのこんなにいい笑顔初めて見るぞ。下からしげしげと眺めていたら、いきなりの浮遊感。

「うわ!?」

目線がいきなりぐんと上がり、いつもより頭二個分くらい高い。足が地面に着いてない。

「ちょ、ちょっと、パンツ、パンツみえる!!」

クザンさんに所謂お姫様抱っこというやつをされているいま、足を膝から持ち上げられて大変なことになっている。しっちゃかめっちゃかに叩いても、その体はびくともしない。

「……………名前ちゃん、もしかして、ホットパンツとか、履いてないってこと?」
「ヒイ、」

一言一言区切るように言われたそれは地を這うように低くて、見ると先程の笑顔から一変、めちゃくちゃ眉間にしわが寄ってらっしゃる。クザンさんは怯える私に視線を落として、まあいっか、とどこか満足げに口角を上げた。

「どうせ関係なくなっちゃうし。」
「は?」

クザンさんがそのまま歩き出す。安定の無さと単純な恐怖でその太い首にしがみつくと、この人は楽しそうに笑った。

程なくして着いたクザンさんの部屋は鍵が開いたままで、普段あれだけ私にセキュリティがどうとか安全がどうとか言う癖に自分はゆるゆるなのかよ。

「え、ちょっと、クザンさん?」

なんのてらいも無く部屋に入ると、後ろ手で鍵を締める。部屋を見渡す余裕も無く、そのまま大きなベッドの上に降ろされた。きょとん、としていると、クザンさんは私の上に跨って、何が何だかパンク状態の私の脳もこの状況に流石に警報を鳴らす。

「く、クザンさん、」
「ん?」
「なに、ですか。」

阿呆全開な私の質問に、クザンさんはくつくつと肩を揺らした。

「なにって、ナニでしょ。」
「えあ!?」

両腕を頭の上でひとつに纏められて、クザンさんはそれをシーツに縫い付けた。冷たい手に顎が捕まり、情けなくきょろきょろ惑わせていた視線がクザンさんとかち合う。

「あの、な、なんか、太ももに当たってません?」
「当ててんの。」
「当て、!?」
「ま、正直に白状するとね、俺が危なかったんだよ。」
「へ、」
「何もしちゃだめってこっちがやっとの思いで頑張ってても、ぐらぐら揺すぶってくるんだから。」

クザンさんは、何度目の溜め息を吐いた。だけどそれは、いつもみたいに諭すようなものではなくて、あつい、欲情したもの。息が掛かって、私がびくりと縮こまると、その口が弧を描き、長い節くれだった指がすうっと頬をなぞる。

「本人から我慢しなくていいってゴーサインが出て、何もしないわけ無いでしょう。」
「なに言って、」
「恨むんなら自分を恨みな。」

すぐ目の前に餌ぶら下げられて、いつまでもお預け喰らってたこっちの身にもなってみろ、と。
掴まれた腕の力が強くなる。両足の間にクザンさんの片膝が割り入ってきて、ベッドがギイと音を立てた。緩く掛けられていく体重にぎゅっと目を瞑ると、かなり近い位置でクザンさんが小さく笑う。

「こ、こ、こんなこと、けいさつのかたがしていいんですか!?」
「今日俺非番だもん。」
「そういう問題じゃ…!」
「あー、名前ちゃんが、膝より長い丈のスカート履いてたら、オジさんこんな気持ちにはならなかったかもなあ。」
「そんなの、」

嘘だよ、言葉を飲み込ませるように厚い唇が自分のをがぶりと覆って、それを嚥下する頃には、もうこの人に食われた後の話しだろう。

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