※とても鬱 勝手な設定あり


今日みたいな日には、思い出す。
そう遠くない昔のことを。

そのときと比べてここは、随分と静かになったものだなあと、廊下を眺めて考えます。
隣で同じようにしていた主君が、こちらを向いて微笑まれました。

「平野、お茶を入れようか。」
「はい、主君。」
「おっと、」
「っ!‥‥お気をつけください、大丈夫でしたか?」
「ええ。すまないね、重かっただろう?」
「いいえ、ちっとも。」

あら、そう言って主君は穏やかに笑います。自分の頬もつられて緩く上がるのを感じました。そうして、不安になります。自分の顔は、主君に引き攣って見えるものでは無かっただろうか、と。



つい何年か前まで、ここには何十もの刀剣男士達が集っていました。皆で戦い、笑い、暮らしていました。僕は、そんな日々が永遠に続くと信じて疑わなかったのです、終わりがくることを考えられなかったのです。

ある日の朝、加州清光が真っ青な顔をして主君の部屋へ飛び込んできました。

「安定が‥‥!」

加州が大事そうに抱えたその胸の中には、刀が一振り。
大和守安定に間違いありません。
加州の話を聞くと、何時ものように起きて隣を見てみると、大和守は何処にもおらず、布団を剥いでみればそれだけが残っていたのだといいます。

「ね、ねえ、主。これ、どういうことなの?安定はどこに行っちゃったの、ねえ、主!なんで黙ってるのさ!?主ってばあ!!!」

ついに泣き出した加州を見ても、主君はぽかんとした顔のまま微動だにされませんでした。

泣くに加えてわけもわからず暴れ出した加州をどうにか抑え部屋に返してから、主君の部屋に戻ります。僕は、ぴたりと足を止めました。泣き声がするのです、あの主君が泣いていらっしゃるのです。僅かに開かれたままの襖から、いけないと思いつつもちらりと中を覗きました。

「ああ、安定、安定なのですね。大和守安定、あなたは本当に良くやってくれました。ありがとう。私は、あなたのことを愛していました。安定、安定、ごめんなさい、私の所為で、」

大和守安定はその後、主君の部屋に置かれることになりました。
それから、主君の部屋には日に日に刀が増えていくことになるのです。
僕たちは、表になるべく出さないようにはしていたけれど、怯えていました。あくる朝起きてみれば、隣の者が刀という物言わぬ無機質なモノになっている恐怖。元に戻るだけ、確かにそうですが、この身体に慣れてしまった僕たちにとって、それはやはり恐怖であったのです。

主君は、僕たちを戦いに出すのを辞められました。ちょうど残りの数が20に近づいた頃でした。

僕たちが戦わなくなった、そうなれば当然政府も気がつきます。

「こんなものがあったよ。」

燭台切光忠が静かに差し出したそれには、刀剣5名だけが×××に来るようにとのこと。

「これって、審神者には知らせずに、ってことなのかな。」

沈痛な顔をする燭台切に、江雪左文字がそうでしょうねと頷きます。五虎退は既に泣きそうな顔をして問いました。

「どうして主様に言ってはならないのでしょうか?」
「わからない。けれど、何か只事では無い感じがするよね。」
「まあそりゃ、そろそろ上の連中もお怒りだろうなァ。なんてったって今の俺たちゃ、働かずの宿借り野郎なんだからよ。」

「‥‥さて、誰が行く?立候補は居るかい?」

ぱらぱらと手が挙がる中で、僕も手を挙げます。そうして主君に気づかれないよう深夜、指定の場所へ出掛けました。
そこで聞かされた話は、正直に、とても辛いものでありました。しかし、確かなことでした。俯いて戻った僕たちに、途端残っていた者から声が掛かります。

「やはり、審神者の事だったよ。」

刀剣男士が刀に戻ってしまう現象は、審神者の影響だということ。

「審神者の?」
「それってどういう、」

「老いさ。」

主君と僕らは違うのです。僕らは歳をとらないけれど、主君は確実に年を刻まれていらっしゃる。言われるまで気づかなかったのです。だって主君はいつだって、あの時の主君のまま。初めて会った、あの時のまま。

「つまり大将の力不足で、ことが起きてるっつーことだな?」
「そんな、嘘だろ!?主が年を食うのは止めらんねえじゃねえか、それなら、それなら国広は?国広は戻ってこねえってことかよ!?」
「それどころか、このままいけばそのうちに皆元通り、ということか。」

腕を組んだへし切り長谷部がそう返せば、にっかり青江が笑って言いました。

「そこで、お上の連中からの命だよ。僕らが人の形を成さなくなる前に、役立たずになった審神者を斬れ、ってね。」

その場がしんと静まり返り、長谷部がだらりと腕を垂れました。

「そんなことって、」
「替えはそれなりに居るんだとよ。」
「上の連中は正気か?」
「期限は一週間、と、流石にそれには小狐丸がキレてね。」
「当たり前だ。あるじさまが今までどれ程お力を尽くしてきたと思っておる。それに比べたら一年など、ほんの短い一瞬のこと。」
「それを過ぎたら、政府から遣いを出すって。」
「主を殺すための、かのう。」
「一年、」
「ま、それまでにどのくらい俺たちが保つか知れねえけどな。」

「俺たちは、どうすれば良いのだろう。」

その答えは、誰にもわかりません。




「‥‥平野、平野?」

は、顔を上げると心配そうにされている主君と目が合います。

「どうしました?お菓子、口に合わなかったかしら?」
「そんなことありません、いえ、とても美味しいです。」
「そう、それは良かった。」

主君が優しく笑われます。僕も笑い返そうとして、それは出来ませんでした。

「、っ、」
「あら、ああ平野、どうしたの、何故泣くの?」
「ごめんなさい、ごめんなさい主君。」

結局、今この本丸には僕しか残って居ないのです。そして今日が、あの日からきっかり一年。


「僕は、主君を、!」

決死の思いで出した言葉を、主君が僕の口を塞ぎます。

「いいの、わかっています。」

主君は何も変わらず、優しく微笑まれます。
僕は涙が止まらなくて、その指が伸びて僕の目を柔く拭ってくださいました。

「今日は、とても良い日ですね。最期に平野と美味しいお茶も飲めましたし、悔いはありませんよ。」

ああ、主君は、何もかもわかっていらしたのだ。いつか、自分が殺されることを。
逃げることだってできたはずなのに、主君はそうなせれなかった。何故ってそれはきっと、僕らを最期まで見届けるため。

「ごめんなさいね、平野。あなたには辛い役回りでしょう。出来ることならあなたには、人を殺すことなどさせたくないのです。だから、」
「あの薬、ですか?」
「‥‥気づいていましたか。」
「主君、主君に僕は、そんなことさせたくありません。何故、主君が自ら死ぬようなことを為さねばならないのです。そんなこと、絶対にさせません。よろしいのなら、‥‥主君さえ、よろしいのなら、僕に。」
「‥‥平野に最期を看取って貰えるなんて、私は本当に幸せ者ですね。」

主君があまりにも美しく笑われるものだから、僕も、良かったと思いました。僕たちは、どうすれば良いのだろう、その答えは今だってわかりません。しかし、これで良いのだと何かが肯定しました。正解は何であるかなど、そんなことどうでも良いのです。主君がそれで良いのだと認めてくださるならば、それが正しいのですから。そうして僕らは今まで、生きていたんだ。

「それで如何いたしましょう?初めての刀である歌仙兼定?あなたに懐いていた加州清光?それとも、尽力したへし切り長谷部に?」

部屋に居る彼らを指差すと、まるで光るかのように輝きを増します。ああ、皆求めているのだなあと、そう思いました。それはとても栄誉なことだと、僕も思います。


「いいえ平野、あなた自身に。」

だから、そう言われた時には本当に驚いたのです。

「僕、ですか?僕で良いのですか?」

「ええ、頼めますか?」

「はい、」

主君が、部屋の真ん中に座り直されます。そこに居る刀達に囲まれて、主君は本当に幸せそうでいらっしゃいました。

「ありがとう、」

主君は、こうなることを望んでらしたのだろうか?

夕陽の最後の一筋が消える頃、僕は主君の首を落としました。

「どこまでも、お供致します。」

僕は、僕を、自分の腹に突き刺す。

そしてわかりました、ああこうであるべきだったんだと、これが正解なのだと。この1年、とても、正しいことでした。あなたと、僕たちが一緒にいることが、そして一緒に消えていくこと。
目を閉じる前に見えたのは、皆が居て、その真ん中に主君が居て、

「平野。」

ああ僕は本当に、
あなたのことが好き、だったのです。

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