!生存院



行き慣れた屋上までの階段を上ってドアを開ければ、承太郎はこちらに背中を向けたまま煙草を吹かしていた。2月、暦のうえでは春でも、まだまだ冬を残して寒い。びゅお、風が吹いて思わず変な声が出てしまった。気づいた彼は少し笑いながら振り返る。

「悪いな、花京院。呼び出しちまって。」
「良いのさ、それで僕にわざわざ言いたいことって何なんだい、承太郎?」

恥ずかしくて、一度咳払いをしてちらりと承太郎のほうを窺う。彼は応えず、もう1度大きくけむりを吸ってから吐きだし、そしてフェンスに寄り掛かるように座った。僕もその隣に並ぶ。

「ここにも、よく来たな。」
「そうだね、何かとあれば集まるのが、お決まりだったから。」
授業をサボるときの隠れ場所、昼食をとるのに最適で、放課後の夕焼けが何時だって綺麗だった。

承太郎が感傷的にこんなことを言うのは、僕等は高校三年生だから。50日間の欠席はなかなかの痛手となったけれど、無事卒業も決まった。そうしてあと一ヶ月も経てば、こう簡単に顔を合わせることさえ難しくなるのだろう。

またちらりと彼の顔を窺えば、なんだか焦っているように見えた。いつも10代とは思えないほどの落ち着きがある彼には珍しい。この高校生活で、なにかまだひっかかることでも残しているのだろうか。


「花京院、」
「何だい、承太郎?」

その後更にうだうだと逡巡しつつも、やっと話す気になったらしい承太郎は顔をコンクリートの床に向けたまま、その図体に似合わない消え入りそうな声で、ぼそりと言った。

「好きな女がいる。」

「え、


ええええっ?!!」



長い思考停止の後、僕はごくりと唾をのむ。
あの承太郎に、好きな人なんて!
酷い言い草だと思うけれど、僕はもうびっくりしてしまった。

今度は恐る恐る承太郎の顔を見ようとすれば、彼はただでさえ深く俯いているのに更に帽子のつばを下げたせいで、もう地面にすれすれだ。殆どその気になる顔は見えないが、ちらりと覗いた耳が真っ赤になっていて、はたして承太郎のこんな姿を、僕は今迄に見たことがあっただろうか?彼の姿はとても健気で、なんだか愛しいような、しかしどうにも腹筋のあたりがむずむずするのを抑えるのが難しかった。


「本当なんだね、本当に本当の本当なんだね、承太郎。」
「しつこいぜ、俺はお前に嘘は吐かねえ。」

呆れたとでも言う様な台詞も、声が震えていたら全然様にならない。

「お前にしか、言ってねえんだから。」
「フフ、わかってる、誰にも言わないよ。」
「ああ。」

どこか不貞腐れた様に言う承太郎がいよいよもって可愛く見え、噴き出しそうになったのをなんとか誤魔化す。じとっとした目でこちらを睨んでくる承太郎を振り払うようにして、今度は僕から仕掛けることにしてみよう。

「そうそう、承太郎。」
「なんだ。」
「僕にもね、居るんだ、好きな人。」

いたずらするように笑ってみせれば少し驚いた彼の顔。

「‥‥そうか。」
「うん、それで承太郎の話をきいて決めたよ。僕は卒業式、その子に告白する。」

にこにこ微笑む僕に不穏な空気を感じたのか、承太郎は苦い物でも口に入れたって顔をする。

「まさか花京院、俺にも、」
「当然だろ!あれ、まさか承太郎、何もしないつもりじゃあなかったよね?まさか高校生の淡い思い出とかなんとかで終わらせようとしてたなんてことは?無いよねえまさか承太郎に!好きなんだろその子のことが!!」

承太郎はさっきよりものすごく露骨に嫌そうな顔をして、

「‥‥やれやれだぜ。」

そう言った。



お互いに、その場で自分の想い人の名前は公表しなかった。
告白に成功したら、ということで。

それからの1ヶ月は風のように過ぎていった。承太郎はその間とんでもない数の告白を受けたらしい。しかしそれに対していつものように、うっとおしいぜで切り捨てず、きちんと自分のことを話したそうだ。つまり、好きな人が居るということを。結果、いじらしくも隠しおおせていた承太郎の恋はあっという間に広まるのだが、この話に全校の女子が嘆き悲しみ、或いは自分を好いているのではないかと色めきたった。が、今日の今日、つまり卒業式まで当の本人がなんの動きも見せなかったので、一先ずは落ち着いたようだ。

そして今、僕の隣で全く落ち着きが見えない承太郎は、さっきから苛ついた様に何本も煙草を吸っては潰し、吸っては潰しを繰り返している。何かに腹をたてていると云うわけでなく、彼は今迄に無いくらい、めちゃくちゃに緊張して居るのだ。存外、承太郎にも可愛いところは多々あったようで、彼のそんな一面を見せてくれた彼の想い人へ感謝しよう。

願わくば、その子と僕が会えますように。


「さてと、そろそろ僕は行くよ。」

「ああ。」

「がんばれ承太郎、僕も頑張る。」

「そうだな。」

「それじゃ、お互い良い結果になるようにね。」

「また、あとでな。」

「うん。」



そうして屋上をあとに別れ、僕は彼女を見つけるべく校舎を出た。グラウンドは、大勢の生徒や保護者、花束やらでもみくちゃだ。

探せど彼女は見つからず、自棄になって僕は走り出す。すると、ちょうど早咲きの桜に埋もれるように、もう背中を見ただけでわかる、彼女が居た。自然僕の顔は綻び、彼女の名前を呼ぼうとした時、
その視線の先に立っていたのは、



瞬間状況を把握し、自分自身が凍りついたのがわかった。
そんなことあるわけない、あっていいはずが無い、でも、だとしたらなぜあの子が承太郎と?
現実と、それを認めたくない自分がぐるぐると脳内を廻り廻って、ふたりから目が離せずに居る。

兎に角此処から離れたい、その一心で後ろに踏み込んだ時、じゃりっと足下で音がした。途端承太郎がこっちを見て、続けて彼女も僕を見た。

「花京院」「花京院くん!」


同時に僕の名を呼んで、驚いたように顔を見合わせて、そうして幸せそうに微笑む。
僕はわかってしまった、
彼らの関係が出来たことを。

桜のピンクの中で、彼らは完成されたように、とても綺麗で美しかった。


「はは、承太郎、そういうことか。」

茫然と、まったく回転しない頭で、2人に聞こえないように呟いて、聞こえるように言った。

「承太郎、名前さん、オメデトウ、お幸せに。」


するりと口から溢れたその言葉は、嘘偽りか本心か、自分でもよくわからない。

そういえば彼女は煙草が嫌いだったなとか、乱暴な言葉を聞くたび顔を顰めていたこととかを、今どうして思い出す?


君のためにと何日も考えた想いを告げる決め台詞が、喉に詰まって死ぬんだと思った。




2015/03/21
これで良いのかなんて、そんなこと
目次