!3部終わってからのはなし




ガチャリ、重い扉が開いた。そして足音。
はて、ぼんやりもやのかかった頭を軽く振って思考する、部屋の中へ“生きた何か”が入ってくるのは実に二週間振りくらいか?明るくなるのと暗くなるのが、28回程あったような‥‥曖昧だ。数えるのも怠い。
その人は、自分が入った後しっかりと鍵が閉まったことを確認している。用心なことで。そんなことしなくても、この部屋に侵入る人間なんて他に居ないのに。


その人は私にこの部屋を与え、食料、家具、衣類その他諸々全ての面倒を受け持っている。とは言っても私が病気に罹っているだとか、そんなことは全く無い。仮にそうだとして、病人がこんな不清潔な空間では過ごせないだろう。好き放題散らかりまくった服、食べ物だったはずの何かは床に転がり、部屋全体が私を含めゴミと化している。完全に外と触れ合わないから虫やら危ない菌やらは湧かないのだけれど、いやはやとにかく汚い。

それらをまあまめなことで、いちいち片付けながら私に近づこうとしている様子を一瞥する。このままじゃ私に辿り着くまで相当な時間がかかるだろう。まったく退屈だ。
大きな欠伸を漏らせば、承太郎は小さく溜め息を吐いたようだった。



こっくりこっくり船を漕いでいるうちに、部屋は大分二週間前ぐらいの状態に戻ったようだ。床を拝むのも大変久しぶり。
働きアリのようにちまちまと動き回っていた承太郎が、ついに私の居るベッドに到着した。体育座りをする私に合わせて、彼は床に片膝を付き目線を合わせる。

彼の青磁色に輝く目が、私のどんより濁った目を見透かす。膝の上で合わせた手を握られて、何だかすごく悪いことをして居る気分になる。ああ、とても気分が悪い。素直に彼の手を振り払えば、あまり感情を表に出さない彼の顔が、痛いと為ったように感じた。


「良い加減何か食ってくれ、死ぬぞ。」
それでも顔を逸らさず言う承太郎に首を傾げながら、死なないよと、そう返そうとしたのに声が喉で攣っかかる。



「死なないよ。」

何日振りかに聴いたその声は、他人のもののようだった。

「死ねないよ。」

繰り返したその言葉は何故か自分に刺さって、勝手に目から何かが溢れた。どうやらこの身すら私の言うことをきく気が無いらしい。十何年間共に生きていたのに、薄情だなあ、なんて。


瞬間、承太郎は飛び憑く様にこの体を抱き締めた。何の力すら無い私はあっさり押し倒される。そのまま私の背中を撫ぜて、承太郎は粗く息を吐く。

「こんなに細くなりやがって。」
私の薄い胸に顔を寄せ大きく息をする彼に、生理的嫌悪が奔るも動けない。
不快、嫌悪、忌避、拒絶。
私にそうしていいのは、私がされたいのは、

「やめなよ承太郎、汚いし腐いよ。」
「そう思うなら風呂に入れ。まあ大丈夫だ、汚くも臭くもねえ。」
「変だねえ承太郎。」
「俺は、」

すぐ真上にある顔が今日一番歪んだ。




承太郎と居るのはつらい。
だって、


「死のうとか、思ってんだろうなお前。」
「出来ることならいますぐにでも。」



「俺が、‥‥お前の生きる理由にはなれねえか?」





全てが、止まった気がした。
今、彼は何と言った?私の生きる理由?ああ、前まではそんな人居たっけなあ。何があったかは知らないけれど、その人は貴方と旅に出て、そのまま遠くへ行ってしまった、もう帰って来ないんだ。彼と共には生きられない、どうして?毎晩夢に見る緑色の学生服の彼は、私の数歩前を歩いたまま決してこちらを振り向いてくれない。彼の横には承太郎が居て、2人で私には見向きもせず何処かへ消えてしまうのだ。泣いても叫んでも気付いてくれない。私はあなたをずっと待っている。ああそうそう、いつまでも過去に縋ると私のような惨めな人間に、あれ、うん、

ね?



笑ってしまう。涙は止まらなかった。
どうして、どうして私がこんなになっても貴方と居るのをやめられないのか、言ってやったらすっきりするかな、そしたら彼は死んじまうかな。
それでもいいよ。

引き攣った笑いを止められない私へ、焦ったように承太郎は言う。


「好きだ、好きなんだ。
名前のこと、愛してる、俺は、」

「わかってるくせに。貴方が花京院を連れてった。私の前から奪っていった。

ねえ、

貴方が花京院を殺したんだ。」

彼の絶望した顔が最高に気持ち良かった。


けど大丈夫、それでも私は貴方と居るから。
貴方に遺る愛した人と。



2015/3/20
舌噛み千切って、死にゃあしないよ
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