おもむろに手を電気の光に翳してみた。なんてことない、普通の手だった。おもむろにその手を握ったり開いたりしてみた。なんてことない、普通の動作だ。おもむろに手の甲に爪を立ててみた。痛い。


「……やっぱ、夢じゃないんだ」


そんなことは最初からわかっていたはずなのに改めてそう実感すると胸が重いもので塞がれるような気がした。

こんこん


「あ、どうぞ」

「名前、体調はどう?」


入ってきたのは夕飯を持ってきたお母さんだ。病気なわけでもないのにこうも甲斐甲斐しくされると申し訳なくなる。


「軽い貧血みたい。心配しなくても明日はちゃんと学校行くよ」

「そう?なら良いんだけど……あと周助君も心配してたから明日はちゃんとお礼言いなさいよ」

「うん」

「今日は一応もう寝なさい。明日の朝シャワー浴びればいいから。もう電気消すからね。おやすみ」

「ありがと、おやすみ」


ぱちり。暗転。ばたん。ドアが閉まる。何も見えない中、私は布団を巻き込んで大きく寝返りをうった。


(学校、かぁ…)


不二周助の通う青春学園。そこにはきっと他のテニス部の面子も揃っているのだろう。でも確か「テニスの王子様」は主人公にして期待のルーキー越前リョーマが入学するところから始まる漫画だったはず。そのころに不二周助は三年生だった気がする。そうなると今は原作のちょうど二年前ということになる。
「確か」とか「はず」とかが多いのはひとえに私の知識不足だ。アニメを時々ちょろっと見た程度で殆ど分かってない。
顔と名前が一致するのは青学レギュラーくらいであとは他校に真田幸村っぽい名前の人(あれ二人で真田幸村だっけ)がいるとかエクスタシーって叫んでる人がいたはずだ(顔覚えてねぇ)とかチャームポイントは泣きぼくろ(今関係ねぇよ)だとか隕石が落ちるシーンがあったとか(無駄にワールドワイドだな)とか「氷帝」が「童貞」に聞こえるコールだとかああああああああああ!!
使える知識殆どねぇどころじゃねぇじゃん!
むしろ何故トリップしたし自分!


「Google先生も使えぬとかまじ解せぬ…」


夢小説だとアレなのにね。アレってアレだよアレ。原作知識生かして逆ハーするとか反対に傍観するとか。自分がいることで原作との乖離が起こるんじゃないかって苦悩したり。
しかし原作知識皆無じゃそんなことできないし、そんなことよりもどうやって元の世界に帰るかの方が今の私には重要だ。
今回私は自分一人でトリップしたわけじゃない。お父さんもお母さんも健在だ。実家も行き付けの本屋さんも変わらずあった。
ただ、お父さんもお母さんも私の知らない記憶を有している。例えば、不二周助が存在しているという記憶だったり私が青春学園に通うという記憶だったり。そう考えると実質私一人がトリップしたのと大差ない。だが中途半端に私の中のリアルと漫画の世界が混ざり合っている。


「ああもうトリップってどうやって元の世界に戻るんだよちくしょー」


ドリ説の主人公どもトリップ楽しんでないでもっと帰る方法考えろよ。参考にできないじゃんか。いくら好きキャラとうふふあははできるからって頭軽すぎだろうよええおい。
私が居なくなった元の世界はどうなっているんだろう。そもそも「元の世界」ってのが分からない。お父さんもお母さんもちゃんといる。多少若返ったが私自身にも特に変わりはない。私意外が変わらぬ時間を過ごし、この世界は当たり前のように回ってる。
周りがこうだと私の方が間違っているんじゃないかと不安になってくるから恐ろしい。


「ああ考えるの止めた止めた!」


私は無駄な努力とか骨折り損とかが嫌いなので諦めが恐ろしく早い。いくか考えたって混乱するだけだし元の世界に帰る方法だってき見付かるとは思えない。幸いにも両親は健在だし、以前と変わらぬ生活をするのは可能だろう。
取り敢えず人生のやり直し(というほど大層なもんじゃないが)として楽しんでみようか。
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