不知火誕生日






どうしてだろう。
お前といると、ふとした瞬間に泣きたくなる。








「一樹さん、お誕生日おめでとうございます!」







日付が4月19日に変わった瞬間の名前の第一声がこれだ。
もう何年も一緒に誕生日を迎えているのに「おめでとう」と改めて言われると照れくさいものだ。
だけど俺は普段と同じように「おう。ありがとな!」と返した。これはただの照れ隠し。本当はものすごく嬉しい。
そう言うと名前は口をむっと曲げて俺に訴えた。



「一樹さん、もっと喜んでいいんですよ」

「なんだよ名前。俺はちゃんと喜んでるぞ?」

「もっとです。もっと喜んでいいんです」

「そうは言ってもなー。俺もまたひとつ年をとった訳だし本物のオヤジに近づいてるからなんとも言えないんだがなぁ…」

「それでも、誕生日が来るのは喜ばしいことです」




名前は俺の反応が残念だったのか、不服そうな顔をしている。
でもこいつは知らない。
俺が心の中でどんなに幸せな気持ちでいてるのか。




幼い頃に両親を亡くしてから俺は祝い事が大嫌いだった。
誕生日もそのうちの一つで。
みんなが当たり前に持っている感覚が何か欠落していた。勿論「誕生日おめでとう」と言ってくれる人はいたが、どれも義理、建前、偽りな気がして、本当に自分を祝ってくれる人は誰一人としていないような気がしていた。
俺は“自分”という壁を作り、勝手に一人だと、孤独だと思い込んでいた。
でも、違うんだよな。
名前に出会ってから(正しくは再会してから)俺は寂しくなくなった。
孤独に怯える必要もなくなった。
俺には今、俺を祝ってくれる人が、ここにいる。





「一樹さん、もっと喜んでください!ほら、もう一回言いますよ?お誕生日おめでとうございますっ!」





まるで子どものように大きな拍手をして俺を見上げる。その姿が可愛かったから俺は堪らなくなって不意打ちで抱き締めた。
名前の身体が驚きでキュッと固くなる。





「か、かか一樹さん?」

「俺は十分喜んでるよ。お前がそばにいてくれるだけで嬉しいのに、これ以上どう表現したらいいんだ?」

「か、からだ全体で…??」




時々こいつは面白いことを言う。
からだ全体で喜びを表現、か…。俺はククッと肩を震わせて笑った。





「あ、一樹さん!笑いましたね?」

「からだ全体で喜びを表現って…そんな子どもじゃあるまいし…」

「誕生日くらいは子どもに戻ってもいいんですよ」




だからもっと喜んでください、と懇願する名前。
俺の反応が少しクール過ぎたのか、名前はさっきからずっとこの調子だ。
なら…と俺は名前を抱き締めていた腕に力を込め直して抱きかかえる。
「え?」と戸惑う名前を余所に俺はそのまま寝室に連れ込んだ。







ドサッ







なるべく優しく寝かせ、俺は両腕をベッドにつく。
これでこいつは俺から逃れられない。
顔を寄せ、口角を上げて、まるで図ったかのように意地悪く耳元で囁く。




「今年の誕生日は一番にお前が欲しい」




途端に顔が赤くなる名前。
その反応、俺を煽らせてるだけだって自覚はないんだろうな。
視線をキョロキョロさせる。もう何度もこういうことはしているのに、慣れる気配は全く見せない。いつまでも初々しさが残るまま。
だからなのか、俺はこいつから離れられない。
今までも、そしてこれからも、名前に溺れていく。





「なぁ、いいだろ…?」





断定に近い疑問形で訊く辺り、俺もなかなかタチが悪いと思う。
目を細めて、名前の乱れた前髪を払いながら尋ねる。
視線の定まらなかった瞳は至近距離で俺に見つめられると漸く俺だけを映した。




「一樹さんが望むなら、喜んで」



照れながら俺に告げる名前。
天使よりも純粋で、女神よりも気高い。
俺が一生をかけて大切にしたいと思う目の前の女性は、ただ愛しくて愛しくて、愛しくて。
俺は夢中で口づけた。
呼吸さえも奪うようなキス。
荒く乱れた息遣いと交わる視線。
名前はそれでも俺に笑いかけ、「一樹さん…」と何度も俺の名前を呼ぶ。






「お誕生日おめでとう」





今度は名前が俺の頬に手を添え、唇に口づけた。
俺のとは違い、触れるだけの、甘いキス。
そのキスに酔いながら俺は名前の身体に覆い被さった。








こんなに幸せなのに、ふとした瞬間に泣きたくなる。
どうしてだろう。
まるでこの幸せが全部夢なんかじゃないかって思うからだろうか?
そんな不安を抱くたびに、腕の中のこいつは言う。

「夢なんかじゃないですよ。私はここにいます」

って。





誕生日なんかきっかけに過ぎない。
お前と過ごす毎日が、俺にとっては記念日だから。
愛しい温もりを腕に抱き、俺は幸せの続きに瞳をゆっくり閉じた。













‥fin‥
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