あのね、ほんとはね。
時々思うの。 錫也を知らないあの頃に戻れたらって。 そうすれば、今私が抱いている歪んだ感情もなかったのになって。 そんな途方もないことを考えていた。
「それでね、職場の人が俺の誕生日を祝ってくれてーー」
錫也が嬉しそうに今日の出来事を話す。 今日は年に一度の錫也の誕生日。 家に帰ってきた錫也の両手には大きな花束が抱えられていた。 きっと、職場の人たちに祝ってもらったのだろう。 とても綺麗な花束だった。
「そっか、よかったね」
私は淡々と述べる。 錫也は不思議そうな顔をして小首を傾げ、私の顔を覗き込んだ。
「名前?どうした?何かあった…?」
「別に…」
なんて可愛くない女なんだろう。 錫也の誕生日なんだから、おめでたいことなんだから、一緒に喜びたいのに。 そんなことよりも嫉妬という感情が邪魔するだなんて。
今日が錫也の誕生日であることなんかずっと前からわかってた。 それなりに準備もできたはず。 誰よりも精一杯の気持ちを込めてお祝いしたかった。 錫也の笑顔はいつだって私に向けられたものであってほしかった。 自分の醜い感情がふつふつと湧き上がる。 どうしよう、素直に、喜べない。
さっきから黙ったままの私を見て、錫也は悲しそうな顔をする。 違う。そんな顔をさせたい訳じゃない。 でも、ごめん、今は……。
「名前」
「……え?」
錫也の手からばさっと花束が落ちたかと思うと次の瞬間、錫也は私の身体をぎゅうっと抱き締めた。 突然のことで頭が真っ白になる。 錫也の腕はさっきまで抱えていた花の匂いが微かにした。 いつもの錫也の匂いと、名前も知らない花の匂い。 それだけなのに、胸がキュッと狭くなった。
「名前が思ってること、言って?」
「な、なにも、思ってなんかない…」
「嘘。名前は今何か思ってるよな?名前の口から聞きたいんだ」
「…っ、言ったら、錫也傷つくよ?」
「構わない。名前がこのまま黙ったままで辛い方が俺は嫌だ」
「錫也…」
ほんとはね、嫌なんだよ。 錫也をお祝いしたいのは私だけで、いつだって錫也の一番でありたいの。 錫也が他の人に祝われてるのを見ると、もやもやして、苦しくなる。 錫也の幸せは私の幸せだけど、そんなの所詮は綺麗事で。私は一番じゃなきゃ嫌なんだよ。
「錫也が嬉しいのに、共感できない自分が情けなくて、嫌い…」
「名前…」
「やきもちって醜いね。錫也からくれるやきもちは甘いのに、自分がするやきもちはどこまでも醜い…」
「でも俺は、嬉しいよ?名前がそんな風に思ってくれて、だってそれだけ俺のこと好きだってことだろ?」
「そう、だけど…」
「俺もお前が大好きだから、時々思うよ。名前を独占できたらって…。今、名前は同じことを思ってくれてるんだよな?だとしたら、すごく嬉しいんだ」
どうして錫也はいつもこうなんだろう。 どうして錫也はこんなに優しいんだろう。 そんなこと言われたら泣いちゃうよ。
「っ…。錫也、ごめんね」
「名前、可愛い」
「私は可愛くない」
「ううん、名前は可愛いよ。俺がそう思ってるんだから、いいだろ?」
チュッと鼻先にキスをする錫也。 形のいい唇が、私の顔に降ってくる。 その心地よさに思わず目を瞑る。
愛されてる。愛してる。 好き。嫌い。 独占欲。醜い。でも愛おしい。
いろんな感情が込み上げる。 涙を流す私に錫也は微笑む。
「名前に愛されれば、俺は世界中を敵に回したっていいよ」
そっか。うん、そうだね。 だって私は錫也が大好きなんだよ。 この気持ちは本物だよ。
「今夜は私だけの錫也でいて……?」
勇気を出して言葉を紡ぐと、錫也は笑って言った。
「今夜と言わず、俺はずっと名前のものだよ」
錫也がくれる言葉とキスに目眩がした。 もう、錫也以外いらない。愛せない。
¨fin¨
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