錫也の誕生日 -深夜の来訪者-











‐PM11:00



突然携帯の着信が鳴った。
誰からなんてすぐにわかった。だってこれは名前専用の着信音だから。
電話に出ると「今から錫也の部屋に行ってもいい?」と、ただそれだけ。
俺は断る理由もなく、「ああ」と返す。
そして程なくして名前は現れた。


「今晩は」


はにかんだ笑顔で俺にそう言うと、名前は俺の部屋に入る。
隣同士なのにこうもぎこちない雰囲気になるのは…きっと時間帯だけのせいではないと思う。


(今日が、俺の誕生日だから…)


そうは言っても既に誕生日プレゼントはもらった後だったし、今日は月曜日で明日からも普通に授業が入っているから、今から名前が何をしようとしているのか皆目見当がつかなかった。






「錫也〜、ベッドに座ってもいい?」

「ああ」


返事をすると名前は俺のベッドに腰掛け、無邪気に寝転んだりする。
本当に、こいつは俺が男だってちゃんと理解しているのだろうか。


「ねぇねぇ錫也、しりとりしようよ〜」

「しりとり?」

「うん!ほら、始めるよ〜“しりとり”」

「“りんご”」

「“ごま”」

「“麻婆豆腐”」

「“フラミンゴ”」

「“ゴーヤチャンプル”」

「“留守番電話”」

「“若鶏の唐揚げ”」

「げ?…っていうか錫也、さっきから食べ物ばっかだね」

「だめか?」

「だめじゃないけど…お腹空いてきた」


こんな時間に食べたら太っちゃうよな〜と独り言を呟く名前。
そんな彼女を見て俺はほくそ笑む。



11時を過ぎてるこの時間に年頃の男女が二人きりでしりとりなんて健全にも程があると思う。
勿論、俺は名前のことが大好きだから、そういうこともしたいわけだけど。
大好きだからこそ大切にしたいと思う気持ちもある。
相反するこの気持ち。人生なんて矛盾の塊だ。
だけど、少し。ほんの少しだけ。無邪気な名前に俺を意識してほしくて俺は意地悪をしてみることにした。





「俺はいつでも準備できてるぞ?」

「え?」

「名前を食べる準備なら…」


ベッドに腰掛けている名前にそう言い寄る。
きょとんとしている名前はこの上なく可愛いけど。
俺も男なんだよ?


「わかってる?夜に男の部屋に来る意味…」

「…っ、」




耳元で囁くように言うと名前は顔を真っ赤にして俯く。
ああ、もうだめだ。最高に可愛すぎる。
かぷっと耳朶を優しく甘噛みすると、ビクッと身体を震わせ縮こまる名前。
そんな仕草ひとつひとつに俺は思わず吹き出してしまった。



「ぷっ、はははは」

「?」

「だめだ、名前、お前可愛すぎる!」

「!!か、からかったの!?」

「ごめん」

「錫也、サイテー」



ふいと首を横に向ける名前。
その頬は膨れている。
俺はどうやら名前を怒らせてしまったらしい。


誕生日に、彼女を怒らせる、冴えない彼氏。


このフレーズが頭に浮かんで俺はまた笑いを堪えるのに必死だ。
それに気づいた名前が「もー知らない!」と言ってベッドの隅の方へ逃げていく。






‐名前が俺の部屋に来てから30分。




名前曰く、半径1m以内は立ち入り禁止らしい。
とはいえここは俺の部屋。
俺のベッドの隅に体育座りをして向かい壁を見つめる名前と同じ格好をして俺もベッドの端に座る。
俺たちは黙ったまま同じ景色を見つめる。
時計の針の音だけが静かに鳴り響く。
名前と一緒にいられるのなら沈黙さえも楽しめる。
沈黙さえも楽しめるなら二人の間に言葉などいらないのだろう。
…そんなこと言ったらまた名前に怒られそうだけど。






‐名前が俺の部屋に来てから40分。




さて。こんなことをしていても仕方がないので俺は漸く口を開いて名前に訊ねてみる。


「名前、今夜はどうするんだ?」

「ふえ?」


途端に変な声を出す名前。
可愛いんだけど、もうちょっと色気のある声を…、あ、いや、なんでもない。


「もう夜も遅いし、明日も学校だろ?」

「今日は…錫也といるよ?」

「え…」


今度は俺が驚く番。
目を丸めて名前を見る。


「だめかな?」


問いかける名前に俺は首を振る。
今日が俺の誕生日だから名前は気を遣ってくれてるのだろうか。
そんな気遣いも嬉しいけれど、俺は理性が耐えられる気がしない。
なのでちょっぴり複雑でもある。


「じゃあ名前は俺のベッドで寝て?」

「? 錫也は…」

「俺は床で寝るから」

「だめ。」

「え?」

「錫也が床に寝るなんて絶対だめ。錫也はベッドで寝て」

「じゃあお前は?」

「ゆ…」

「却下。」

「まだ全部言ってない」

「そんなの言わなくてもわかるよ。お前は女の子なんだからベッドで寝なさい」

「むー。ベッドで一緒に寝るっていう選択肢は錫也にはないの?」

「それは俺に襲われてもいいって受け止めていいのか?」

「…っ、好きに解釈してよもう!」

「クス…、冗談だよ」


笑い合って俺たちは寝る準備をする。
いつの間にか半径1m以内の立ち入り禁止は解除になっていたらしい。






‐名前が俺の部屋に来てから50分。


俺たちは同じ布団に入っている。
俺は腕枕なんてかっこつけてみたりして。
大好きな彼女に腕枕なんて男にとったら細やかな夢でもあるんだぞ?
心の中でそんなことを思ったりしていた。


そういえば、どうして名前はこんな夜遅くに俺の部屋を訪れに来たのだろう。
今日が、俺の誕生日だから――。
なんて淡い期待をしていたのだけど、そんな素振り全く見せない。
名前といえば、俺の腕の中で瞳を閉じてすやすや寝息を立ててしまっている。
長い睫毛を微かに揺らしながら一足先に、夢の世界へ…






‐名前が俺の部屋に来てから65分。



日付は変わり、7月2日になってしまった。


「名前…俺の誕生日終わっちゃったぞ?」


呟いてみても反応はなし。
苦笑とともに込み上げる幸せな感情。
日付が変わっても愛しい人が腕の中にいるぬくもり。
名前は俺にこれをプレゼントしたかったのかな?


「だとしたら相当な策士だな」


名前の寝顔にそっとキスをして俺は呟いた。
策士でもそうじゃなくても、いつも俺の気持ちを温かくしてくれる名前。
誰よりも愛しい存在。大切な存在。



明日の朝食は何にしようかな。
冷蔵庫に卵とハムがあったからハムエッグがいいかな。
それから野菜たっぷりコンソメスープを作ってやろう。
名前は俺のコンソメスープ大好きだからな。

そんなことを思っていたら俺の瞳も重くなってきてもう瞼も開かない。
隣で眠る名前のぬくもりを感じ、俺はもう一度抱き締めた。



なぁ、俺、今すごく幸せだ。
来年も、再来年も、ずっとずーっと一緒に名前と誕生日を過ごしたい。


「名前、愛してるよ」


眠りから覚めた時も、お前の笑顔が隣にありますように。








































‥fin‥