くいなになることなんて簡単だった。だってずっとあたしが憧れていた存在だったのだから。お姉ちゃんになりたくて、なりたくて、お姉ちゃんの真似ばっかりしていた。お姉ちゃんの真似なんて、容易い。 お姉ちゃんが好きなこと、嫌いなこと、仕草、言動。お姉ちゃんのことは何だってわかる。お姉ちゃん以上に、お姉ちゃんを見ていたから。
「よお、くいな」
「ん、ゾロ。なに?」
あれ以来、ゾロは私にゾロから声をかけてくるようになった。どんな時も私を見つけては、こうやって声をかけてくる。
「いや、特に用はねぇんだけどよ」
「ふっ、なーにそれ?」
私が笑うと、ゾロも笑う。そして少し幸せそうに、頬をピンク色に染める。最近、その度に私は胸の奥がズキンと音を立てるようになった。この感覚は何だろう。わかりそうなのに、わかってはいけない。わかりたくない。わかってしまったら、私が私でなくなる。あたしという存在を、どうしても思い出してしまう。
「どうしたんだよ、なんか顔色悪いぞ」
ゾロが私の顔を覗き込んだ。こんなに近くて近くて手に触れていい距離なのに、触れられない。近いのに遠い。とってもとっても遠いのだ。ゾロとの距離が近くなればなるほど、反対にあたしとの距離はどんどん遠ざかって行く。
「平気、ゾロに心配されるほど私は弱くないわよ」
「はいはい、悪かったな」
なんていいながらも、ゾロは私に肩を回し、支えてくれている。その優しさが、苦しい。私にやってくれているのだけど、それはくいなという人間のためにやってくれているのであって、あたしのためではない…あたしは、あたしは………
「ちょっと水貰ってくるわ」
頭を冷やそう。そう思ってゾロから一旦距離をあけた。しかしゾロはそんな私の言葉を聞いて、ますます心配そうに私を気遣う。
「大丈夫かよ?俺が…」
「ばーか、アンタは稽古してなさいよ」
じゃあねと、手を振りながら、私はキッチンへと足を運んだのだった。
**
がちゃり
「あ、」
キッチンに入るとサンジが私の顔を見て少し困った顔で見つめてきた。
「サンジ…ちょっと水貰っていい?」
私はなるべく普通に接しようと、笑顔でそういった。サンジは「ああ…」とらしくないほど沈んだ声で私に水を入れてくれた。
「…ユリちゃん、いつまでその演技続けるつもりなんだい?」
"演技"という言葉に、心臓がバクバクと脈打ち始めた。グツグツと沸騰したお湯のように、身体中があつくなる。
「だから、私はっ」
弁解の言葉を言うより前に、私はサンジに抱きしめられた。それはそれはとっても力強く。普段のサンジならこんなことしない。もししたとしても、もっと優しく壊れものを扱うみたいに抱きしめるのに。息ができないくらい強く強く抱きしめるなんて…
「や、やめて…サンジ」
「そこまでしてあんなクソ剣士に好かれたいのかい?」
サンジはまたギュッと抱きしめる腕を強めてきた。苦しい。でも、何だか胸があったかい。
「みんなが私を避けてるのは知ってるわ。そりゃあいきなり私がくいなって言っても信じられないだろうけど…」
ゾロが近いてくるのとは裏腹に、みんなは私を次第に避けるようになっていった。くいなという存在を信じようとせず、価値がないユリという存在をまるで待っているかのように。私はみんなが怖かった。いつかこうやって私の中の本当のあたしが出てきてしまいそうで。
「違うっ!嘘をつくなんてユリちゃんらしくないぜ。くいなちゃんを見たことないから、俺はくいなちゃんじゃないって断言できないけどさ、今のキミは無理しすぎてる。ユリちゃんのときのほうが、よっぽど人間らしかった。今のキミは、まるで誰かに操られたロボットみたいだよ」
ユリちゃん、みんなユリちゃんが大好きなんだぜ?
そんなの嘘だ。あたしは愛されてなんかいない。愛されるのはいつもお姉ちゃんで、あたしは愛されてなんかない。 道場の娘なのに、剣の腕は人並み。不器用だから、何をやっても人並み。弱虫で泣き虫。それに比べてお姉ちゃんは、剣は一流。しっかり者で何より心が強い。誰からも慕われて、尊敬される。双子なのに全然違う。似てるのなんて、容姿だけ。
「今度あたしをユリって呼んだら、許さないから!」
私はそう言ってサンジの胸を勢いよく押すと、キッチンから逃げ出したのだった。
(愛されてるなんて、嘘だ)
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