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今はもう昼時を過ぎている頃だから自室にいる頃合か。
他人の生活スケジュールを把握している自分自身が遠い存在に思える。少し前まで人間に興味を抱くことは無かったに等しいから余計に。
彼女の部屋まで来てノックをしようと右手を持ち上げるがそこまで。軽く握ったその手がその場に留まったまま動けないのだ。一度降ろして溜息を一つ。左手にある白い箱を見てもう一つ。
どうしたらいいんだ。此処まで来たものの、渡さずに戻るのが一番簡単だ。しかしそれをしたらこの箱はどう始末したらいい。
『神田?』
「っ!」
葛藤を繰り返していて気付かなかった気配の声に思わず一歩後退した。
その俺の反応に首を傾げるのは、今訪ねようとしていた新藤だ。彼女は部屋のカギを開けながら俺に用件を促すのだが、何故か言葉が見つからない。
黙ったままの俺を訝しそうに見上げてくるその瞳の面前に、仕方なく箱を突き出した。
『え、これサリアさんの店の箱じゃないか』
「…やる」
きょとんとした彼女が箱を受け取ると不思議そうな顔で俺を見てくる。
『…やるって、わざわざ買ってきてくれたのか?』
「違う。店の前を通ったら捕まって無理矢理渡された」
『だよな…。神田があのケーキやタルトの前でどれにしようか悩んでいたら…、なんか可愛い』
「要らないなら捨ててきてやる…ッ」
『駄目だ』
笑みを浮かべながら俺の手を易々と避けた新藤は、箱を大事そうに抱くと視線を逸らした。『その、』と言い淀んだ彼女の頬と耳が赤くなってくる。街のあの匂いの理由を忘れていた俺と違って、きっと察しがいいからあの婆さんのお節介な行為と俺の言動の意味に気付いたのだろう。
『あ、ありがとう、神田』
「っ…、あぁ…」
お互い微妙な沈黙の時間を作ってしまった。
こんなに熱いのだ、今俺の顔は十中八九赤い。
それにしても、人がそんな状況のときに声を掛けるのは自殺行為だといつになったら学習するのだろうか。
「あれ、ユウと新藤ってば何して…」
固まる俺達。隻眼の視線の行き着く先は新藤の手の中。
「もしかして!その箱、ユウからのバレンタイ、」
ゴスッと鈍い音と共にバサバサッという色とりどりの小袋が落ちる音が反響した後は、扉の閉まる音と俺の靴音だけが廊下に響いた。
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