「すき」 ___は? 緑間真太郎は絶句した。目前にいる幼馴染がふいに発した言葉に。常に学年上位の成績にとどまっている頭がその言葉を理解するまでに時間がかかった。そしてようやく理解して、それは一体どういう意味を持って発せられた言葉なのか考えようとした時にまたもや幼馴染がぽつりともらした。 「_____って、私に言われたら嬉しい? 」 その言葉は何故かすんなりと咀嚼することができた。と、同時に、この女が今一体何をしたかったのか疑問に思った。少なくともこの幼馴染が自分に恋愛感情を持っていたとはとうてい思えなかったし、目の前の女が他の男に愛だの恋だのといったことをしたという話も聞かない。暑さで頭がやられたのだろうか。確かに今日は最高気温が40度近くある猛暑日ではあるが、今自分と幼馴染がいる部屋は少し肌寒くなるくらいに冷えていたというのに。 「いきなりどうしたのだよ」 数秒の考えを要したものの、やはり自分に思いあたる節が全くなかったので緑間真太郎は問うた。彼女は目線だけ彼の方に向け、からりと涼しげな音をたてて淹れたばかりのアイスティーをずずずと飲んだ。その彼女らしからぬしおらしい態度に緑間は身構える。何か重要な相談なのだろうか。自分にその相談役が務まるのか。しかし彼女からの返答は、実に拍子抜けするものだった。 「この紅茶、オレンジペコですねぇ? 」 「……ふざけているのか」 そこのパッケージに書いてあったのよ、なまえちゃんってば天才ー!!ケラケラとさっきの態度がウソのように悪びれもなく笑う幼馴染に拍子抜けすると同時に殺意が沸く。この幼馴染はただ俺をからかいたかっただけなのか。それとも自身の「なんとなく」を口にしただけだったのか。俺の頭がフル回転していた時間を返せ。あとオレンジペコは茶葉の大きさのことであって種類のことではないのだよバカめ。透明感のある洒落たテーブルの下で、緑間は強く拳を握りしめた。 「もー、そんなに怒らないでよー!!別に、何となく質問したくなっただけだし」 「俺がわざわざ考えてやった時間を返せ!!だいたいお前はいつも……」 「やっぱり、」 「……やっぱり『サル』って言われる真太郎でも少しは考えるよね」 ハッとした。自分を『サル』呼ばわりしたことにも話を遮られたことにも少し怒りを感じたが、惜しみなく出している彼女の白い腕が力なくダラリと下がり、みたことのないくらい暗い表情をしてどこか虚ろなように見える彼女の目になによりも緑間はハッとした。 「なにかあったのか」 「別に何もないけど」 そんなことよりこの紅茶おいしいねー、緑間の視線から逃れるようにちゅるちゅるとアイスティーを飲む彼女に苛立つ。さっきから告白まがいのことをしてみたりからかってみたり暗くなったり一体なんなのだよ。別に相談されても答えるくらいの良心は持ちあわせているのに。緑間は小さく息を吐き出した後、優しくなるよう務めて未だ下を向いている彼女に話しかける。 「一人で抱えこむとロクなことにならないのはお前も知っているだろう。悩みがあるのなら、話せ」 「珍しく優しいじゃん、真太郎のクセに」 またトーンを下げて水色に染められた爪を弄びながらふてくされたようにいう彼女をみて、緑間は自然と口角があがるのを感じた。頼られている、そんな気がしたからなのだろうか。 「ただ幼馴染の役割を果たしているだけなのだよ」 「へいへい。さすが人事を尽くす男、緑間真太郎様だよ」 「茶化すな」 「ごめんちょー」 なまえは少し溶けて周りに水滴のついたグラスをみて、少し自嘲気味な笑みを浮かべる。話したい。けれども話しづらい。彼女の考えていることを想像するなど緑間には造作もないことだった。そして緑間はそんな彼女の姿が好きだった。他人がしていてもただ苛立ちを感じさせるその動作。しかし彼女の動作の後には、これから緑間に自身しかしらない内部の部分を話すのだという結果がわかっていたため、何処か優越感を感じた。 「ゆっくりで、いいのだよ」 「ありがとね」 からり、ほとんど溶けてなくなった氷が微かな音をたてて存在を主張する。それに覆いかぶさるようにして蝉の鳴き声と、冷房器具のごうごうとした音が聞こえる。緑間は何故か、なまえの陶器のような肌の白さにくらりとした。頼られている。その単語ばかりがくるくると頭を踊っていた。 「……その、真太郎」「なんだ」「ちょっと長くなっちゃうかもしれないし、暗い話だから、」「気にするな。俺とお前の仲だろう」「……そう、だよね。ありがとう」 ありがとう、もう一度呟くとなまえは勢いよく決心したように顔をあげた。あげた時にふわりと香った柑橘系のシャンプーの香りも、大きく緑間をみつめた、薄く膜をはってきらきらしている目も、長いけれど自然に目を縁取っている睫毛も、きゅっと固く結ばれた、けれども弱々しく震えている唇も。全部全部、抱きしめてぐちゃぐちゃにしたいと緑間は思った。幼馴染の関係から抜け出したいと考えて、でも今のなまえがいるのは幼馴染という関係があるからで。 「……真太郎、あのね」 (______一つだけ分かったことは、今自分をまっすぐみつめているなまえに頼られたいという気持ちと、夏の暑さに頭がやられているということだ) これが独占欲だと気づくのは、ずうっと後のお話。 |