what a wonderful world 〜わたしの金魚鉢
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「これ、、、浅羽さんの私物ですか?」 「いえ?社用車を車検に出したら代車でこれが来たんです。」
どこの世の中に、社用のミニバンの代車にCitroënを出すバカがいるんだろうか。妙な車屋。というか、担当者は女か?やはり浅羽さんパワーか?
そんなことを思いながら車の前で所在なげに立っていると、薄暗い地下駐車場にカチッと鍵の開く音が鳴り響き、浅羽さんが助手席のドアを開けてくれた。
「どうぞ。なんだか変わった車ですよね。」 「、、、欧州車は、こういう個性的なデザインの車多いんです。」 「これって欧州車なんですか?」 「シトロエンはフランスのメーカーで、、、ちなみにこの車はフロントガラス部分が妙に多くて、走る金魚鉢って言われてます。」 「車、詳しいんですね。」 「いえいえ、それほどでも、、、」
どうしようもない緊張と興奮をごまかすために、聞かれてもいないウンチクを披露しながら助手席に深く埋もれる。 一瞬目の前がホワイトアウト。薄暗い地下駐車場から、明る過ぎる真っ昼間の大通りへとゆっくり車が走り出した。
隣で運転しているのは、わたしの憧れの人である浅羽さん。派遣社員のわたしが浅羽さんと営業車に乗る事なんて本当ならば有り得ないのだが今日は特別。
いつもの貧血による立ちくらみを、運悪く(結果的には運良く?)階段でおこしたためかなり派手にぶっ倒れてしまい、近くで見ていた部長が「今日は早退していいよ。浅羽、外回りのついでに送っていってやれ。」と素晴らしい発言をされたのがつい先ほどのこと。(原田部長、本当にありがとうございます。いつも影でハゲ田とか言ってゴメンなさい。)
浅羽さんは20代半ばなのにすでに既婚者。でも、あんまり生活感のない人で結婚生活を想像できないため、左手の薬指にある指輪を見ない限りは既婚者には思えない。いったい、どんな女が彼を射止めたのだろうか。妬まし過ぎる。
子供はいたりするんだろうか?ああ、そんなこと考えるだけで吐き気がしそうだ。 この車が彼の私物じゃなくて本当に良かったと思う。後部座席にチャイルドシートなんて乗ってた日には、そのあまりの生々しさに、わたしは帰宅と同時に激鬱になったに違いない。それこそ世知辛いこの世を儚んで、次のステージに旅立っちゃったりするかもしれない。
それにしても、わたしが彼の奥さんならば、彼に主夫をさせて家から一歩も出さないでしょうよ。わたしが働く。しゃかりきになって働くよ。だって、こんなに若くて綺麗な男の人を、周りの女が放っておくわけがないじゃない? それとも余裕か?彼が浮気をするはずないってな自信アリってことか?? なんにしろムカつく女だ、と、まだ見ぬ奥さんに心の中で悪態をつきつつ、運転席の浅羽さんを覗き見ると、思いがけず目が合った。
「う、、、あ、浅羽さん!前見ないと危ないですよ!」 「今、信号赤です。」 「あ、、、ほんとですね、、、」 「具合は大丈夫ですか?冷房切って窓開け、」 「開けないで!!」
わたしの声の大きさにビックリしたのか、キョトンとした顔で浅羽さんの動きが止まる。と、後続車両から鳴らされたクラクションをきっかけに前に向き直ると、無言のままギアをドライブに入れた。
ああ、どうしよう。せっかく気を使ってくれたのに。どうして普通に「大丈夫です」って言えなかったんだろう。でもどうしても窓を開けて欲しくなかった。
この密閉された空間に、彼と二人だけでいたかった。
泣きそうな顔でうつむいていると目の前にスッと細くて綺麗な手が伸びてきて、エアコンの風の向きを変えた。さっきまで直接冷たい空気をわたしに浴びせかけていたエアコンの吹き出し口は、今では運転席側に冷気を送っている。
顔をあげて運転席を見れば、浅羽さんの綺麗な横顔。 わたしの視線に気がついたのか、「直接風が当たると嫌かな、と思って。あと、もし寒くなったら言ってください。」と、誰に言うわけでもないような様子でボソッとつぶやいた。
ああ、もうこの人が好きだ。どうしようもなく好きだ。
窓の外を見れば、9月の少し秋を感じさせる空。街路樹の木漏れ日が、キラキラとフロントガラスに落ちてくる。 エアコンの優しくない風を一手に引き受けている浅羽さんの、サラリーマンにしては長めの前髪がゆらゆらと揺れているのが見え、そして、小さめにつけられたカーラジオから聞き覚えのあるメロディー。
And I think to myself, what a wonderful world Yes, I think to myself, what a wonderful world
本当にそうだ。なんて素晴らしい世界。
今、この世界にはわたしと彼しか存在しない。
丸い金魚鉢の中には、キラキラ光るガラス玉と、作り物の水草。 赤い尾ひれがゆらゆら揺れて。
what a wonderful world
ああ、世界はこんなにも美しい。
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