09
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課題が出て、初めて彼女を見た火曜日。 カラマツですよ、と教えてもらった水曜日。 神様との取引だなんて、物騒なことを聞いた木曜日。 そして、彼女が消えた木曜日。
こうして思い返してみれば、たったの三日間だ。しかも、話をしたのなんて一言二言。何か印象に残るような事件があったわけでもなければ、特に好みの顔だったりするわけでもない。そもそもオレ、女子に対して好みの顔とかないしね?
それでも、図書室の入り口で、誰もいない席をぼんやり見つめたまま立ち尽くしてしまう。
ああ、そっか。レポート代わりに書いてくれないかなあって思ってたんだっけ。それでかな?それで気になってんのか。そういうことか。そういうことだよ。
「あの。」 「あ、浅羽くん。」 「いつもそこに座ってた人、、、」 「え?ああ、麻子ちゃん?」 「いや、苗字しか知らないんで。」 「あ、ゴメンなさい、設楽さんよね、、、そうよね。」 「今日はいないんですか?」 「えーと、、、」 「ずいぶん仲いいんですね。名前で呼ぶって。」 「え、、、」
ひたすら困った顔で押し黙る司書の先生を、ジッと見る。このタイプは、たぶん自分の知っていることを黙っていられない、、、案の定、しばらく黙っていた先生は、ふうっと一度深く深呼吸をしてから、設楽先輩のことを話だした。
家が隣で、幼い時からの知り合いであること。彼女が小さい頃から心臓に重い疾患を抱えていて、入退院を繰り返していたこと。何年もの順番待ちの末、国内でも屈指の名医の手術が受けられることになり、今週末にその準備のための入院が決まっていたこと。 そして急遽、その病院のベットと、何年も先まで真っ黒だったはずの医師のスケジュールに空きが出たので、前倒しで手術が行われることになったこと。
彼女は、ついさっき、タクシーで病院に向かったという。
「麻子ちゃん、なんとか高校生にはなれたけれども、ほとんど学校には来れていなかったから、、、最後に高校生っぽいことがしたいって。それで図書委員のマネごとみたいなことを今週だけやってたのよ。」 「、、、最後に、ですか?」 「さ、最後じゃないわよ!?もちろん、手術は成功するわよ!当たり前じゃない!!元気になって戻ってくる、、、ただほら、17歳の高校生活は今だけだから。ね?」
最後にって、自分で言ったくせに。しかも、そんな涙目で言われても、まったく説得力ないんですが。せんせー。
「あ、そういえば、帰る前にこれ。もしも浅羽くんが来たら渡してくれって。」
そう言って、先生は、茶色い皮カバーの分厚い本を差し出した。ずっしりと重い本の表紙には「樹木図鑑」と金色の刻印。そして、黄色い付箋紙の挟んであるページを開くと、そこは、カラマツの項だった。
そして、半分に折ったルーズリーフに、綺麗な字でこう書かれていた。
*** ラリツクスの青いのは 木の新鮮と神経の性質と両方からくる そのとき展望車の藍いろの紳士は X型のかけがねのついた帯革をしめ すきとほつてまつすぐにたち 病気のやうな顔をして ひかりの山を見てゐたのだ ***
ああ、これ、なんか見たことある。 あの詩集の中に、こんな文章書いてあったかも。
でも、全然頭に入ってこない。思い浮かぶのはあの瞬間。
真っ青な空の下で、キュッと握った彼女の細い手首。
もしもまた、屋上に上がって来ることがあったら、今度はオレの分のマドレーヌも食べさせよう。ウーロン茶なんかじゃなくって、牛乳を飲むように言おう。きっと、あの人はもっと栄養を取った方がいいんだよ。うん。
ボクらとどっかの昔の詩人とは、全然違う。神様と取引なんて必要ない。オレ、どんなに悠太にわがまま言ったって、お菓子をムシャムシャ食べたって、雨にも風にも吹かれない室内で延々ゲームをしていたって、生きている。
だから、
だから、どうか神様、
取引なんてケチなことは言わず、彼女を守って下さい。
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