生姜のジャム
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大学に入ってからというもの、季節があっという間に過ぎていく。
一度も海に行かないまま夏が終わったなあと思っていたら、いつの間にやらに季節は冬。むしろ、暦の上ではもう春だ。そろそろ四回生になる。覚えなければいけないことはますます増え、日々の課題をやっつけるのに手一杯の日々。
なのに、だ。 目の前を歩いている、この男はいったいなんなんだ。
「山口、昨日合コンだったろ?」 「あ?」 「OLっぽい女の子達連れて、4x4で店入ってくの見たぞー。一緒だったヤツら、うちの学部じゃねえよな?」 「ああ、あいつらは高校んときのツレ。」 「ちくしょー、オマエほんっとに余裕だよなあ。病理のレポート終わったのかよ?」 「当たり前だろ、一昨日提出済み。」 「あっそ!!」
今は最終講義の後。狭川くん、山口くん、わたしの3人で近所の定食屋で晩御飯を食べてから、うちのアパートに向かって歩いているところ。
隣で狭川くんが憤慨しているのももっともだ。合コンってなんなのよ!?正直、どこに合コンなんて行ってるヒマがあるのか?つか、台風一過のあの電車の彼女はどうしたんだ?内緒で合コンか?火遊びってやつか?もしかして別れたのか?それとも、そもそも彼女じゃなかったのか?うわあ、彼女でもないお姉さんと朝帰りかいっ!!って、なにより、どうして相手は社会人のお姉さまばっかりなんだ?山口くんはあれか?
「、、、年上フェチかっ。」 「「なに?」」 「え!?なんでもないよ!!」
おおお、うっかり声に出てしまってた!
わたしのつぶやきに反応してくるっと振り向いた狭川くんと山口くんは、怪訝な顔つきでこちらを見たものの、それ以上は追求せず、今後の予定を尋ねてきた。助かった。
「え、えっと、ちょっとやることあるから、このまま部屋に戻るよ。」 「そう。俺ら、このまま長尾の部屋に行ってるからさ、用事終わったら来な。」 「法医学の試験対策?」 「そうそう、あんたの苦手なヤツ。」 「わたしのノートあてにしてる山口くんに言われたくない、、、」 「は?オレ、こないだのレポートAだったんですけど?」 「わたしだって、B+だったもん!!」 「まあまあ、、、とにかくさ、後でシケプリだけでも取りに来なよ。」 「、、、うん。わかった。」
アパートの階下で、二人と別れ、白い息を吐きながら階段を駆け登る。
コートを脱いで、手を洗ってうがいして、、、大袋で買ってきた生姜を取り出して洗うと、痛んだ部分だけを切り落として乱切りにし、フードプロセッサーに突っ込んでスイッチを入れた。
粉砕、、、粉砕してやる!! 固形物は全て駆逐してやるっ!!、、、って、なんかこんなこと前にもやったな。なんか、こんなんばっかだな。
ふいーっと小さくため息をつきつつ、小鍋に粉砕した生姜と蜂蜜、三温糖を入れてガスコンロにかける。 わたしの冬の常備品である生姜のジャムが今朝ちょうどなくなったので、今日中に作らなくちゃいけなかったわけです。試験対策を断っての「やらなくちゃいけないこと」がジャム作りってのも、医学部生として間違ってるなと思い返し、これが終わったら長尾くんの部屋に行こうと決めた。でもさ、このジャムを朝のミルクティーに入れて飲まないと、わたしの冬の一日は始まらないわけですよ。
たまに木べらで混ぜながら、コトコトと煮込んでいくと、生姜の良い香りが台所に広がり、イライラしていた気持ちが少しだけ落ち着いてきた。
ああ、なんかなー。
わたしが海にも行かない花火も見ない夏を過ごして、トリックもトリートもない秋をワープ航行ですり抜け、クリスマスもお正月もすっ飛ばして節分を迎えてしまったというのに、その間、山口くんは綺麗な社会人のお姉さん達と青春を謳歌していたわけなのよね!?ズルい!わたしだって合コンとか行ってみたい!!
、、、ああ、違う。 鈍ちんなわたしだって、いいかげんわかってる。
山口くんと、海が見たかった。
秋には南瓜のパイを食べさせて、クリスマスにはハーブをたっぷり乗せたチキンを焼いて、お正月のおせちだって、彼が食べに来てくれるのだったら張り切って作っただろう。
たぶん、わたしは山口くんのことが好きなんだ。
*****
不本意ながら通い慣れてしまった長尾の部屋。
こんなむさい所に男3人でいるのは、もはや苦行でしかないわけだが、なんだかんだ言いつつもここで勉強するのが一番効率が良いわけで。仕方なく今日も顔を突き合わせて試験対策に勤しむ。
「なんか、ここノート抜けてね?」 「ん?ああ、これか。史緒ちゃんのコピーだからなあ。コピー漏れかな?」 「マジか。」 「そういえば、なんで史緒ちゃんと茉希は来てないわけ?」 「茉希は彼氏とデートだって。」 「マジか!?あの野郎!!」 「川端サンは、どうせ部屋で料理でもしてんだろ。」 「ええー、だってお前ら晩飯一緒に食って帰ってきたんだろ?」 「だから、朝飯の仕込みとかさ。」 「そうそう。川端は人生の7割が食い物のことだからな。」 「残り3割は?」 「今はあれだな。病理と薬学。」
ああ、確かに。狭川の言う通りだ。 川端サンといえば、食ってるか、勉強してるか。どっちかだもんな。
「年頃の娘がそんなことでいいのか!?」と、ジジくさいことを言う長尾を見ながら、ついつい笑ってしまう。いーんじゃねえの?川端サンはそれで。
冷めてしまったコンビニのコーヒーをグビッと飲み干すと、開いていたプリント達を脇に避けてから立ち上がる。
「オレ、ノートの抜けてるところもらいに川端サンとこ行ってくるわ。」 「「・・・・・。」」 「なに?」 「いや。お前さ、実のところ川端とはどうなのよ?」 「はあ?どーもこーもねえよ。」 「マジで?それにしては川端のところに行くのにあまりにハードル低くね?行き慣れ過ぎじゃね??」 「そうそう、それに史緒ちゃんは山口のこと好きっぽいけどなあ。」 「へえ。」 「へえって、、、」 「だからさー、オマエ、合コンとか行ってる場合じゃないんじゃねーの?」 「は?なんでだよ。」 「なんでって、、、」 「じゃ、ちょっと行ってくるわ。」 「「(顔色1つ変えないって、こいつ、ほんっとにかわいげねーなー!!!)」」
まだ何か言いたげな狭川と長尾を置いて、玄関に出て靴を履く。 後ろ手でドアを閉めた瞬間、緩んでしまいそうになる口元を手で押さえた。
「・・・・・は?」
なんだ、あいつ、オレに気があるのか?そうなのか?? そうじゃないかと、薄々思ってはいたものの、あまりの無防備さに逆にねえわ、と深読みしていた。
いやいや、待て待て。まだ早い。 これでこっちがその気になって、向こうは全然でしたーなんてことになったら目も当てられない。
とりあえず、だ。 とりあえずノートだ。 そうだ、今はノートを取りに行くだけだ。
上着を羽織ってくれば良かったと後悔するくらいの寒さに、ブルっと身体が震える。 カンカンと音を立ててアパートの階段を登ると、川端サンの部屋の前に立ち、インターホンを押した。
いつも通り、驚くほど無防備に扉が開き、「うわあ、外寒いね山口くん!」と言いながら川端サンが白い息を吐いた。
招かれた室内は、外の気温を忘れるくらいに暖かく、火にかけられた小鍋から甘く、スパイシーな匂いが漂っている。
それにしても、ちょっとくらい確認してから開けてほしい、といつも思う。 こんなボロアパートで、オートロックもついていない誰でも玄関先まで来れる状況で、せめてチェーンをかけたまま扉を開けるとかして欲しい。オレや、長尾達じゃなかったらどうするつもりなんだ。
そんなことを考えイラつきながらもホットカーペットで暖を取っていると、ノートを探すために鞄を漁っていた川端サンが振り返って紙の束を差し出す。
「長尾くん達がコピー取ってったやつって、これかなあ?」 「見せて。」
渡されたノートには、彼女らしい几帳面な文字が所狭しと並んでいる。 さっき見たばかりのページ、そして抜け落ちていただろうページを無事に見つけ、念のため前後何枚かを抜き出して返した。
「これだけ借りてっていい?」 「うん。なんならコピー取ってく?うちのプリンタで出せるよ。」 「ああ、助かる。」
電源を入れたプリンターが、ガタンガタンと音を立て準備をしている間、「お茶入れてくるね」と川端サンはキッチンに消えていった。
これは、、、実際どうなんだろうか?本当に判断に困る。
例えば好きな男が部屋に来ていて二人っきりだとして、あの落ち着きっぷり脱力っぷりは女子としてどうなんだ?すげー慣れてるとか?いやいや、ない。ないわ。川端サンに限ってそれはないわ。とすると、やっぱりオレのことをそういう対象として見てないってことなんじゃねーの?
マグカップを2つ持って部屋に戻ってきた川端サンは、それをテーブルに置くと、すっかり準備が終わって沈黙しているプリンタにノートを挟んでコピーを取っていく。それを横目に、テーブルに置かれたマグカップに入ったミルクティーを一口飲んでみると、生姜の香りがして冷えていた身体が中から温まってきた。
「ジンジャーミルクティー?」 「おいしいっしょ?ちょうど、生姜のジャムが出来上がったとこだったの。」 「ああ、さっきの鍋か。」 「うん。あ、それ、最後まで飲み干さないようにね。下に生姜の粒粒が沈んでるから。」 「ふうん。」
とり終わったコピーをテーブルの脇に置くと、向かい側に川端サンも座り、マグカップを手にとった。 と、ちょうどその時、ポケットの中で携帯がメッセージの到着を知らせ、鍵とぶつかりガチャガチャと震える。
「長尾くんたち?」 「いや、、、」
メッセージは昨日の合コンで連絡先を交換した女から。ちょっと名のしれた企業の受付嬢というだけあって、なかなか可愛かった。ような気がする。正直言えば、あまり覚えていない。
あれ、これ、カマかけるにはいい機会じゃね?
「、、、昨日の合コンのおねーさん。またご飯食べに行こうって。」 「ふーん。モッテモテじゃないですか、山口さん。」 「まーな、当然。」
ちっ。なんだよ、やっぱりそんな反応かよ。
なんだか少しガッカリしたような気持ちになりつつ、チラリと川端サンの様子を覗き見ると、ポンポンと出てきた軽口とは裏腹に、微妙な表情。何かを考えこんでるような、、、、、マジで?釣れたか?
「なに?なんか文句でもあんの?」 「いや、というかさ、合コンとか行ってて彼女は怒らないの?」 「は?」
なんだ?彼女?? ああ、いつものあれか。
「もしかして法学部の水谷サンのこと言ってんの?よく聞かれるけど、あれ違うから。そもそもダチの彼女だし。」 「いやいや、噂の他学部のクールビューティーが彼女じゃないってのは知ってる。」 「じゃ、なに?」 「えーと、、、あのさ、、、」 「なに?」 「だいぶ前に、見ちゃったんだよね。山口くんが、朝、綺麗なお姉さんと一緒に電車に乗ってくるの。」 「なんだよそれ。電車に一緒に乗ってただけで彼女かよ。」 「いや、、、前の日が台風で、その日は朝から晴れてたのにお姉さん傘持ってたから。」
平静を装いつつ、記憶をたぐり寄せる。
なんだそれ。いつだ。台風の日?台風の日、、、、、適当に遊んだ女を思い返そうとしても、そんな記憶はまったくなく、、、、、あ。
「それ、うちのナースだ。」 「え?」 「あれだろ?病理の補講が合った日。1限から。確かあんたが実家に帰るだのなんだので午後から来た日。」 「そう!その日!!」 「朝に届け物でうちの病院に寄っててさ、夜勤明けの顔見知りの看護師と途中まで一緒に帰ってきたんだわ。」 「看護師、、、さん?」 「そう。看護師。」 「夜勤明け、、、」 「あんたが想像してたような、やらしーことがなくて悪いね。」 「や、やらしいって!!ちょっ、ちがっ、」
顔を真っ赤にして身を乗り出す川端サンを半笑いでからかいつつ、再度、これはどう判断するべきなんだろうかと思案する。
とりあえず、傘ひとつでそこまで想像を膨らますくらいには、オレに興味があると。そのくらいに思っておくのが無難だろうか。
二人分のカップを片付ける彼女が、いつになく嬉しそうに見えるのは、オレの欲目のよーな気もするので判断要素から抜いておく。
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