お腹すいてない? | ナノ



マーロウのプリン
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「川端、すげー、、、半端ねえ。」
「ちょ、ちょっと、史緒ちゃん、一人で全部やっちゃう気?」
「いや、ここは川端サンに任せて時間稼いだ方がいいだろ。他のヤツがやってたんじゃ、今日中に終わらねえよ。」
「えー、山口までそんな。」
「わたしはいいよ?このままいけるよ?」

実習室に篭っての作業はすでに4時間を超え、みんなに疲労の色が見えてきた。今回の実習の班は、なぜだか知らんがちょうどこないだの茄子飲み会のメンツ。いつでも飲み食いのことばかり考えてる川端サン、帰国子女っぽさが鼻につく茉希、川端サンと同じアパートに住む二浪のオッサン長尾、班内で一番頭のキレる狭川。男女混合5人チームだ。

そしてつい先程手をつけた、単なる「作業」だからと後回しにしていた生命科学の課題。目の前には、黙々とカエルを解剖していく川端サンの姿。エーテル麻酔で眠らされてピクリとも動かない「それ」は、腹を掻っ捌かれ、ピンセットと鋏とメスによって、淡々と臓器を取り出されていく。剥き出しになった心臓の動きを見て、ようやく生きているのだと認識できるくらいに現実味がない。

「胃や腸を全部取ったところで、すぐには死なないものなのね。」淡々と作業をしながら、川端サンがつぶやいた。

「まあ、そりゃそうだ。腎臓や肝臓を全部取ったところで、心臓はしばらく動いてるだろーよ。」
「じゃ、心臓を取られた時点が、このカエルの"死"なの?」
「さあ?人工心臓を埋め込めば、まだ"生きてる"んじゃねーの?」
「そーだな。心臓は代替が可能っぽいよな。」
「代替がきかないものって、あるのかなあ?」
「カエルが”思考”するのかという議論は置いとくとして、まあ、脳はダメじゃね?」
「ということは、”生”の根本は脳なのかしら?身体を失っても、脳さえあれば"生きてる"と言えるの?」
「そりゃまた微妙な、、、」

どこからが生で、どこからが死なのか。
そもそもオレ達の生を意味づけているのは、精神なのか、肉体なのか。

目の前で、生と死の非常に曖昧な境界線を見せつけられ、様々な葛藤が生まれる瞬間。

近い未来(それこそ、二三ヶ月後)には実際の献体を使った人体の解剖実習を行うわけで、そのときには今の比ではないくらいの葛藤が待っているのだろう。


驚異的なスピードで、教授の指示よりも数倍細かい部分まで神経組織を抜き出すことに成功し、川端サンの解剖ショーは幕を閉じた。解体された各部所をホルマリンに放り込み、ここからは、取り出した臓器達のスケッチに時間を費やすことになる。

「いやあ、それにしても史緒ちゃんのメスさばきはマジで異常。」

二浪の長尾が、スケッチをする手を休めてペットボトルで水を飲みながらボソッとつぶやいた。

そう言わせるほどに、川端サンは異常なほどの速さと正確さで解剖を終えた。今、目の前にある臓器もほとんど損傷はなく、教科書に載っている写真や、模型でも見ているかのように美しい。

「そうかな?」
「そーだよ!!」
「わたし、、、小さい頃からけっこう器用だったんだ。細かい作業とか得意で。」
「器用さもここまでくると才能だよねー!史緒、ブラックジャックみたいよー。」

同じ班の茉希とか言う女が、しょうもない例えで彼女を称賛すると、細かく色鉛筆を動かしながら川端サンが淡々と答える。

「だからね、わたし外科医になろうと思ったの。」
「は?」
「いや、だから、その器用さを活かせるお仕事をしたいと思って、」
「器用だから?医者になろうって??」
「そうそう。」
「うえー、そんなモチベーションで、現役で理Vまで来ちゃうんだから川端はほんとにすげーよ。」

こないだの茄子のときにもいた狭川が、呆れたような声を出した。

確かに、うちの学部の中ではパッとしない学力ではあるが、現役でこの大学に受かっているというだけでも、一般的には優秀と云われる部類の人間なんだろう。そして外科医にとって、手先が器用であるということは強力なアドバンテージだ。

もしかしたら、彼女は、本当に優秀な外科医になれるかもしれない。

「そういえば、TVゲームを多くする医師は内視鏡の手術がうまいっていう論文、読んだ?」
「はあ?なんだそれ。」
「わたしもTVゲーム、しといた方がいいかなー。」

前言撤回。
こんなヤツが、外科医になってたまるか。



***

結局、実習が終わったのはギリギリ電車がなくなったくらいの時間。

ここんとこ毎日こんな状態で、さ来月からは二ヶ月間の解剖実習も始まる。医学を志すものにとって、人体の構造を把握するということは本当に重要で、単純に臓器の位置とかだけではなく、膜構造や血管・神経の走行など、覚えなければいけないことは山積みだ。

そういえば医学部のオリエンテーションで学部長が「君達はこれから、身の丈の高さほどの本を暗記することになる」とおっしゃっていたけれども、あれは決して大げさな表現ではなく、しかもその「身の丈」というのはわたし(158センチ)ではなく、お年のわりに長身の学部長(推測173センチ)のものであろう。もしかしたら、長尾くん(推測182センチ)くらいを想定しているのかもしれない。ああ、、、

というわけで、明日も1限から外せない授業ばかりのため、体力温存ということで一番近所のうちのアパートにみんなが泊まることになった。といっても、わたしの部屋には茉希ちゃんだけで、もちろん狭川くんと山口くんは、長尾くんちだ。

とりあえず、今日の実習のまとめだけでも今日中に終わらせてしまおうと、それぞれの部屋に別れる前にうちに集合することとなってたわけだが。

「あれ?山口くんだけ?」
「ああ、他のヤツらはコンビニ行った。」
「そうなんだ。夜食?」
「らしーぜ。で、茉希は?」
「コンビニ行った。」
「はあ!?こんな夜中に女が一人でか?」
「や、出る前に長尾くんに電話してたから、合流してるはず。」
「ふん、、、ならいいけど。」

相変わらず無愛想な顔ではあるものの、ここ最近、よく話をするようになったせいもあり、彼のことはあまり怖くなくなっていた。

「コーヒーでも淹れよっか?」
「ああ、頼む。」

キッチンでドリップの真空パックをペリペリと開けながら、部屋の中にいる山口くんを覗きみると、今日の実習のプリントを見ながら、早くもまとめを作成し始めていた。

なんかさ。ほんとに真面目だよね、山口くんって。

こんな見た目だし、それなりに遊んでそうな噂も聞くんだけれども、まあうちの学部に限っては、そもそもそんな時間は皆無だし。きっと、実際の山口くんは、みんなの噂の彼よりもずっと真面目で地味な人に違いない。そういえば、なんで医学部なんだろうか?医学に関して、特別に興味を持っていそうなわけでもなければ、科目として得意な感じでもないのに。ただ、決して揺るがない使命感のようなものを胸に、黙々と医師になるために勉強をこなしている、という印象を受ける。

なんだろーか。病気の妹さんがいて、、、とか?

ないない。ないわー、そんなドラマみたいな話。

、、、ないよね?

「、、、ねえ、山口くんはさ、」
「なに?」
「どうしてお医者さんになろうと思ったの?」
「ああ、、、うちが病院なんだよ。ただそれだけ。」
「それだけ?」
「そう。なんか文句あんの?」
「別にないけど、、、あ、コーヒーここに置いておくね。」
「どーも。」

そっか。おうちの病院を継ぐために、お医者さまを目指しているのか。

さっきまで頭に浮かんでは消していたヒューマニズム溢れる志望理由が、あまりに山口くんにそぐわないものだったので、なんとなくホッとしたような気持ちになって笑ってしまう。

コトン、と、マグカップをテーブルに置くと、そのまま自分の分のカップと冷蔵庫から出したプリンを手に、山口くんのすぐ隣に座った。

「、、、、、おい。」
「ん?山口くんもプリン欲しい?」
「いらねーよ。あいにく、実習後にビーカーに入ったプリン食えるほど、デリカシーに欠けた人間じゃないんでね。」

む。確かに、わたしの手にはビーカーの形の入れ物に入ったプリン。でも、別にこれは元からこういう容器なのであって、実験用のビーカーでプリンを作ったわけでは決してない。

「や、これね、元々こういう容器で」
「知ってるよ。マーロウだっけ?葉山のお店。」
「あ。よくご存知で。おみやげにもらったの。」
「つか、そうじゃなくて、近いんだよ!ったく、オレ以外のヤツなら誤解されても仕方ねーからな?」
「え?」
「夜中に男と部屋に二人っきりなんだぞ。もうちょっと気にかけろ、アホかっ。」
「、、、スミマセン。」

プリンのスプーンをくわえたままズリズリとおしりで後ずさりをして、素直に山口くんの隣から斜め前くらいの位置に移動する。が、今なお、冷たい目でこちらを睨みつけている山口くんに、なんとか反論したい。別にそんなつもりじゃないんだ、と。そんなつもりが、どんなつもりかもよくわからないが、とにかくあれだ。他意はないんだ。

「だって、レジュメ見たかったんだもん。」
「んなもん、出来上がってからいくらでも見せてやる。」
「というか、山口くんはそういうの意識し過ぎよ?」
「あんたが意識しなさすぎなんだ!」
「う、、、」

言い返せずにシュンとするわたしに同情したのか、しばらく黙ってレジュメを作成していた山口くんがボソリと話題を変えた。

「あと、オレ、そういうトロトロしたプリン嫌いなんだよ。」
「あ、それはわたしも!もっとこう、固めの焼きプリンの方が美味しいよね?」
「まーね。」
「そっかー、山口くんもそっち派かー。そっかそっかー。」

嬉しくなってついついさっき言われたことを忘れて身を乗り出してしまう。

「じゃ、さ、今度来るときには作っておくね。固めの焼きプリン!」
「、、、、、はあ。」

眉毛を盛大なハの字にして、イケメン台無しな顔のままため息をつくと、山口くんはそのままプリントとの睨めっこに戻ってしまった。

「ん?なになに??」
「いや、あんたがまったく人の話を聞いてないってことがよくわかった。」
「は?何が??」
「もういい。」

ちょうどその時ガチャっと玄関が開き、やいやいと他のメンバーが入ってきて山口くんのレジュメを覗き込む。

「お。もう始めてんの?」
「ああ、さっさと寝てーんだよ、オレは。」

そうして、買ってきた夜食にも手を付けず、あっという間に出されていた課題の考察が始まった。

「ここんとこ、ちょっともう少しデータ集めたほうがいいかもね。」
「おい、長尾、これの続きのシケプリあるか?」
「ああ、それなら狭川が持ってる。」
「これ??でも、昨年のやつだから、念のため確認しといた方がいいだろうな。」
「だなあ、、、じゃ、茉希はこっちのヤツ、まとめといて。」
「りょうかーい。」

なんというか、わたし以外の4人は、本当に優秀だ。

物理や数字に異常に強い狭川くんと、長尾くん、長い海外生活で身に付いている語学力を武器に原書や論文を読みまくり、幅広い知識を持つ茉希ちゃん、そして、特に目立った得意分野はなさそうなのだが、視野が広く洞察力に優れた山口くん。

わたしなんて、本当に手先が器用ってくらいしか取り柄がない。今も、まとめ作業には何一つ貢献できなさそうで、部屋の隅で置物と化している。さっきだって、少し手を出したら「川端サンは、そこに座ってればいーから。」と山口くんに舌打ちされてしまった。あああ、もう、居た堪れない。

ビーカーの底に残ったプリンをスプーンで集めながら、「あのー、もしよろしければコーヒーでも淹れましょうか?」と小さな声でつぶやくと。一斉に、「いる!!」と4人から返事がきた。

おおっ、わたしにできること、あるじゃないか。

今度はちゃんと、豆からひこう。
美味しいコーヒー淹れるからね、待っててね。


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