ウミノアカリ | ナノ



79 いらない気持ち
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朝起きて、前日にパン屋で調達したバゲットとインスタントのスープで簡単な朝食を済ますと、形ばかりの身支度を整えて楽器ケースを担いて学校へ。

聴講できそうな講義は全て顔を出し、それ以外はひたすら練習室に篭った。

言葉の壁は相変わらず厚く、求めていることがきちんと理解しきれないというストレスは日に日にわたしを蝕み、他の学生達への嫉妬心というか、どうしようもない焦燥感も日本にいるときとは比べ物にならない。正直、体力的にも、精神的にも厳しい日々ではあったが、、、


使い古したボロボロのタオルほど、よく水を吸うもので。


ああ、今、わたしは成長している。


もしかしたら単なる思い込みや勘違いでしかないかもしれない、でもその不確かな実感のようなものだけが、わたしを動かしていた。



最終バスで短期留学生用のアパートメントに帰ってきたその日、ふと時間を確認するために携帯を見ると未読のLINEが数件たまっていることに気がついた。一番新しいのはさやかからのメッセージで、お世話になってる学校の先生が無事に出産されたことを知る。病院に行ったときの写真をアップしてあるから見ておけとのこと。

ベッドの脇にあるスツールに楽器ケースを置き、ゴロリと身体を横たえてアカウントだけ作って放置気味のインスタを開いてスクロールさせると、そこには、さやかとバスケ部の面々が、白いバスローブのようなものにくるまれた赤ちゃんを囲んでピースサインを送っている画像があった。

これ、3日も前の話なんだなあ、、、と遅ればせながら「いいね」をつけてコメントを読んでいると、ma-boというハイテンションなコメントをつけているアカウントが目につく。

これ、マーボくんだ。きっとそうだ。
懐かしい気持ちになってその名前をタップすると、いつもの海明3人組と、見切れるようにヤマケンくんの姿が写り込んだ写真が出てきた。

思いがけないところで彼に会えた嬉しさから、どんどん画面をスクロールする。

今は別荘に遊びに行ってるのか。みんなが釣りをしている後ろで、参考書らしきものを片手に涼んでいる彼の姿が写っている。勉強もがんばってるんだな。そうだよね、今は追い込みの時期だ。

自分がいっぱいいっぱいだったこともあるが、ヤマケンくんも今は大事な時期だと思うと、気軽にメールを送ることもできない。邪魔をしちゃいけないというよりは、めんどくさいと思われたくないという気持ちが大きかった気もするが、ここ数日は連絡をしていなかったなあ、と思い当たる。

今のわたし、本当に余裕がないな。

そして、ヤマケンくんにそっくりな妹さんと、トミオくんが釣果を自慢げに掲げている写真を微笑ましく眺めていたわたしにとって、次に目に入ったそれは、突然の衝撃だった。

マーボくんが飲み物を片手に一緒に写っている女子二人。きっと一緒に別荘に来ているのであろう二人の女の子の一人が、あの、水谷さんに見える。

急に心臓がバクバクと音を立て、ダメだと思うのにスクロールする指が止まらない。どの写真を見ても、明らかに水谷さんだ。


なんで彼女がそこにいるの?ヤマケンくんと一緒に?なんで??


受験生じゃないの?遊んでていいの?なんて、他のみんなだって同じなのに、彼女に対してだけ意地悪な
コメントがどんどん頭に浮かんでくる。

どす黒い気持ちがブワーッと自分を包み、今にも叫びだしそうになったそのとき、コンコンと控えめにドアを叩く音が聞こえて我に返った。

「成田さん、今ちょっといいかな?」

隣の部屋を借りている日本の大学からの短期留学生が訪ねてきたらしく、ドアの向こうから聞こえてきた声に返事をすることもできないままドアを開ける。

「あのね、連絡先を交換しておこうと思って、って、ちょっと大丈夫!?」
「え、、、あの、何がでしょうか?」
「すごく顔色悪いよ?体調悪いの??」

相手のあまりの驚きように、自分の顔色が相当ひどいことになっていることに気がつく。

「いえ、大丈夫です。というか助かりました。」
「ん?何が?」
「ナイスタイミングです。もう少しでネット上に罵詈雑言をぶちまけるハメになるところでした。」
「どういうことなの、それ、、、」

納得いかないと言った顔をしつつも、隣人は連絡先だけ交換して去っていった。

隣人を見送り、部屋に鍵をかけると、倒れ込むようにベットに横たわる。

インスタを閉じ、もう一度残りの未読メッセージを確認すると、一番古いものはヤマケンくんだった。

「いつ戻るの?」


いつ、、、日本に戻るのか。気にしてくれてるの?
それとも、わたしの不在がいつまでなのか、自分が自由にしていられる時間を確認している??

嫌だ。
何もかもが嫌になってきた。

なんで、わたし、今日本にいないんだろう。

日本の大学を選んで、一緒に予備校通いをしていたら、こんな気持になることはなかったんじゃない。


いやいや、そもそも別に水谷さんと二人でどこかに行ってるわけじゃないし。わたしが気にすることなんて、何も、、、


両目からブワッと涙が溢れてきて、枕を濡らしていく。
喉からは無意識に嗚咽が漏れ、気がついたらわたしは布団を頭からかぶって号泣していた。

日本からたった一人でやってきて、
ボロボロになりながらやっとの思いで過ごしている音楽の都。

貪欲に音楽を求める毎日の中で、このどうしようもなく不安定な気持ちは枷にしかならないだろうに。

自分ではどうにも処理できない気持ちを持て余し、ありえないくらいダウナーな三日間を過ごした後、脳が限界を感じたのだろうか、スコンといろんなことがどうでもよくなった。


そして、わたしの音が明らかに変わったのを感じた。


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